ほんまのホンマに

 色んな事が有り過ぎて

やっとこさ精神的、気力的、体力的に

 自分の脚で立って

 また歩みだしてます。


忘れたいような

  忘れたくないような。


そんな自分の為の忘備録。2月。


前のブログから数日後。


 朝 起きたら

  とぉちゃんが寝てる状態で

    亡くなってました。


 もう既に身体は冷たく

  死後硬直が始まってました。


 お店辞めて 

   自宅で過ごしてて

  あまり身体を

 動かして無かった事も良くなかったと

  今だから思う。


 亡くなる数週間前から

  ご飯が小出ししか食べれなかった事。


息がしづらいから

寒い時期やけど

 小まめに炭酸水を

 ゆっくり飲んでた事。


私は感じなかったけど

 自分自身では自分の体臭が

  臭くて気持ち悪がってた事。

 

 色んなサインはあったんだと。


  互いに気付けなかった。


 亡くなる前の晩

  事務的な事に ひと目処ついた私に

 体調が優れないのに

  『肩揉んだろ♡』と声掛けてくれた。


 しんどいのん解ってるから

  遠慮して 

『いぃよ💦』と言ってしもた。


  最期になるんなら

  揉んでもろて 互いに

  触れ合っておけば良かったと思う。


 色んな事で 互いに

 あんまり眠れない月日が当たり前の中


 私は久しぶり眠れてしまった夜。


 朝起きて

  とぉちゃんを起こさない様に

  静かにコーヒー入れて

 自然と目覚めるのを

  ワンズと待ってた。


 入れ替わり立ち替わり

  ワンズが とぉちゃんの頭に

 おはよう♡の鼻ツンしても起きず

  珍しく眠れてるんや!と思ってた。


 ナルが とぉちゃんが起きないのを

  待ちきれず

  とぉちゃんの腕の中に

  そぉ〜っと入って寝だしたのに

 起きないのに異変を感じて…。


  カーテンを開けて

   朝日の光を入れて


  やっとこさ気付いた。


  嘘やろ…。

   寝てる様にしか見えへんけど。


  そぉ〜っと触れた頬は

   2月の寒さも相まって

     冷たかった。


  もう亡くなってるけど

  こんな時は

  どっちに連絡したら良いのん⁉️と

  悩んだけど

  先ずは救急に連絡入れて

  指示を仰いだ。


  蘇生措置を提案されたけど

  もう とっても冷たいのと

  我が家はワンズだらけで

 救急隊員に 自宅に入ってもらうには

  犬を

バリケンや部屋に分けないといけない。

 四苦八苦してもた。


  普段からオールフリーで

 犬と暮らしてた反省点やった。


 到着した救急から警察に連絡。


 警察官も自宅に入って


 その後 遠くから検死官が来た。

(田舎過ぎて検死官は 

車で2時間かかる場所から来はった。)


我が仔達の見送りで

 『死』と向き合ってた経験で

 とぉちゃんの死に

 泣き叫ぶ事が無かった。


 がっ、これが警察官や検死官には

  私が殺したんちゃうんか⁈と疑いも

 濃かったみたいな所があった。


 救急車が到着するまでに、

 とぉちゃんの息子にも電話。


 とぉちゃんの身体を動かして

  簡易的な検死。


とぉちゃんと私のスマホを

 調べて。


自宅の ありとあらゆる所を

 写真撮影して。


 とぉちゃんの身体は

  一旦 警察署に安置される事になり。


も一度 息子に電話入れてと言われ

 電話を警察官に代わると

 息子に

『今なら 詳しい検死出来るよ!』と。


 私達は 内縁関係やったから

  親族で無いと出来ないこと

   権限がない事が

 この時から

    ぎょうさんあった。


 たまたま休みを取ってた息子も

 大阪から走って来てくれたから

  その後 

死亡診断書も受け取れたし

 とぉちゃんの身体を警察署まで

  迎えに行けた。

 (親族じゃないと出来ない事やった。)


生前から

  2人とも元気な時から

 お葬式って要らんよね。


 焼いて骨にしてくれたら充分。


 そんな考えがあったし、あるので


 二人の息子と私   3人で直葬。

 まだ温かい 

とぉちゃんの遺骨箱を

  代わる変わる

  『お疲れ様』と撫でた。


  3人で コンビニ弁当やけど

  話ししながら お昼食べて

 直ぐに帰らないといけない方の息子を

  駅まで見送り。


 数日間、色んな手続きの為に

  忌引きした息子と自宅へ。


 役場の手続き、スマホの解約

 なんじゃら かんじゃら

 親族じゃないと出来ない事だらけやった。


 止めどなく涙が溢れて

   声なく泣いたのは

  泊まってくれた息子の寝顔。




 あんまり

  とぉちゃんに似てないと思ってたのに

  寝顔は

 若くて元気だった頃の

   とぉちゃんソックリで。




  いつも 

とぉちゃんに腕枕して貰ってたデスが

  息子に腕枕して貰って寝てた寝姿。





 2月23日 

 令和天皇のお誕生日

  日付けが変わった頃

 とぉちゃん永眠しました。


 忘れられへん日 祝日に。


 来年のこの日には

  お墓の前で

  とぉちゃん居らんくなっても

  元気で しっかりやってけるで!と

 穏やかな気持ちで

   手合わせに行ったるねん!と

    心に誓ってます。


本人はね

 色んなところが痛かったり、

  しんどかったりしたやろうけど

  自宅で過ごして

 寝た時に グッときて

   逝けて良かったんやと思う。


 どんな形でも

   見送るって見送る側が

 パワー要るんやと思う。


 病院とかと違って

  見送る方が覚悟とかなくて。


  お別れの覚悟がないのは、

   お互いさまやけど。



  怒涛の日々。


ブロ友さんの

  ”ある時はザクロのように苦しめ、死ぬな”

  この言葉を胸に留めて

   過ごした日々。



  沢山の人に

   心配かけて

   温もりに支えられて。


  やっとこさ忘備録。


  泣かないように

  やっとこさなってきたけど

  ブログ書いてたら

   やっぱり涙は溢れてくるね。



  ここから

    これから。







 亡くなって数日後、

  仲良くして貰ってた

  ご近所さんが

  とぉちゃんにと。