この三次元にその身体をもって存在する者たちは、

意図し、行動することで事象を具現化するを繰り返す。


同じ行動をしているのに、結果的に手にするものがそれぞれ違うのはなぜだろう?


糖尿病で甘いもの厳禁のプリン営業マンが、新商品の「プリン」をお客様に売りに行くとする。

ある人は「このプリンを誰でもいいからとにかくたくさん売って売上をあげたい!」という思いで、

自分はそのプリンを食べたこともないのに「おいしいですよ!」と言ってお客様へすすめる行為。

またある人は「このプリンを食べてお客様に喜んでもらいたい、心をこめてこのプリンを作った人の真心をも届けたい!」という思いで、

自分はそのプリンを食べたことなくても「かたちのない何か」も含めてお客様へ届けるという行為。


お客様側からすれば、プリンはプリン。

買う、買わないはお客の自由。


パパ売上成績が上がって自分がうれしいだけの営業マン

お父様売れ行きはどうあれ、お客様の笑顔を見るのがなによりもうれしい営業マン


その行動を起こすベースとなっている思い(意図)が、目の前にあらわれる現象を創っている。



さてここで、

「今度、お祭りの時に子どもたちのおやつにプリンを出したいから100個納品お願いね!

子どもたちの喜ぶ顔が見たいから(^-^)」

という自治会長さん登場!


さて、どっちの営業マンに電話するのかしら??


「子どもたちが喜ぶ顔がみたい」という自治会長さんの思いと


「お客様がよろこぶ顔がみたい」という営業マン


同じバイブレーションを発しているものは、引き合うという法則がございます。


たかがプリン

されどプリン。。

どっちのプリンが美味しいかは、あなたの舌でお確かめください( ̄▽+ ̄*)




もし、いま目の前に映る現実が自分が求めているものと違っているのであれば、一旦立ち止まって「私のこの行動エネルギーの発信源はどこ?」って聞いてみるがよろし。


「発信源がどこかわかんないよーーヽ(;▽;)ノ」

な人はお声がけください(^人^)





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