20代前半の頃、ariはとある道路工事関係の現場事務所にお勤めしていました

バブル最盛期に新卒で建築関係の事務所に就職したものの、半年後にはバブルがあぶくの如くはじけ、そのあおりを食らった前職の建築事務所はあっという間に倒産叫び

二十歳のみそらで無職となった私は、就職とともに窮屈な実家を出て、自立しようと必死だったので、就職先が倒産したとは親に言えず、次の職が見つかるまでなんとか食いつなぎ、再就職するもつかの間、人事という部署は私の身体を蝕みはじめ、とうとう生理も止まってしまって、結局そこもやめる羽目になってしまいます

そのタイミングで、ariは泣く泣く実家に戻ることになってしまいましたが、実家に戻った2日後に母のガンが発覚し、入院-手術-抗がん治療となり、母が入院してしまったことで家事全般、それまで母親が請負っていたことをすべて私がする生活に一転しました

入院、手術から退院までの2ヶ月の間に、建築事務所時代の友人からご縁をいただいて、冒頭にある道路工事現場事務所への就職も決まり、母の退院後すぐの9月から仕事をしながら家事、看病の日々となります

看病といっても、あまり身の回りのことや家事も全部こちらがやってしまうと母の(心の)負担にもなっていたようで、外出が出来ないので、リハビリもかねて家の中のことなど体の負担にならない程度を母にまかせて、つかず離れず野距離を保って過ごしていたように記憶しています

残念ながら、その2ヶ月後の11月の初旬に、母は突然逝ってしまいましたが、新しい職場での居場所を守るため、3年半後に退職するまでその事は誰にも明かさないまま過ごしました

今思えば、その職場では人間関係に恵まれていて、男性職員10人に対して女子事務員1人という環境だったのですが、とりわけ女子職員の仲が良くて、お昼休みに畳部屋の女子更衣室でみんなでわいわい楽しく過ごせた時間は、当時の私にとっては数少ない大切な思い出です

道路工事事務所とあって、年々いろいろな行事があるのですが、ふと最近になってトンネル開通式での1コマを思い出し、想うところがあったのでシェアします

当時、主要道路の渋滞解消のため、大規模なトンネル工事を請負っていたのですが、そのトンネルがいよいよ開通する(あっちとこっちから掘り進めて、ちょうど中でトンネルが繋がるという)開通式の現場を見学できる機会があり、事務服にヘルメットというへんてこないでたちで現場のおじさんたちと一緒に瓦礫の現場に連れて行ってもらいました

開通式では、こちら側に主賓や現場で働く方々、私のように関係者の見学者が目の前に立ちはだかるまだ開通してないトンネルの壁を静かにじっと見守っています

すると、ドリルが岩を削る音が、壁の向こうから聞こえてきます

振動と音がどんどん大きくなってきて、ドリルが貫通し向こう側とこちら側が繋がる瞬間!

穴の開いた穴の向こう側から、明るい光が差し込んできて、向こうから穴を掘っていた人のシルエットに後光が差しています(笑

「おーい!」手を振っている後光の君に、「おーい!」とこちら側から応えます

トンネルが開通した瞬間ー

    向こうとこちらの人が手を繋ぐ瞬間、

私たちに内在する、潜在意識と顕在意識が繋がった瞬間には、こんなイベントが行われているのではないでしょうか?

生まれてから今生での目的地にたどり着くため、再び本質へ還るために、時には回り道をし、時には綱渡りをしながら私たちは人生ゲームという冒険を続けます

途方もにもなく大きな山の向こうに道はあるのに、山を登るのか、迂回するのか、飛び越えていくのか、どんな体験をしたいかによってルートはさまざまですが(笑)

潜在意識と顕在意識が繋がると、トンネルが開通し目的地までの道のりがぐっと縮まるんじゃないか、そんな風に思います

大きな山のあちら側とこちら側から掘り進めて、ばっちり繋がるトンネル掘削の技術には驚きましたが、「開通する」という目的を元に技術は開発され工事に関わる人たちの努力もあって、快適なドライブルートが出来ているんですね

潜在意識と顕在意識は、あちら側とこちら側

双方の目的が一致し手を繋いだ時、物事は加速度的に進んでいきます

ふと、開通式での記憶が蘇ったことで、そんな想いにふけっているariでした

(おしまい)