先日の春祭りでの子育て講座。
テーマは「叱らない子育て」でした。
この学校、大人が子どもを叱らないんですよね。
叱らないように、日々訓練しています。
そう、子どもへの対応って、訓練なんですよね。
親になったからといって、子どもが大きくなったからといって、
自然とできるようになるものではないのですよね。
大人から見て困った子どもは、子ども自身も困っている、という話から始まり、
乳幼児期と学童期で子どもはどう異なるかというのをエリクソンのモデルを用いて説明してくれました。
子どもが異なるステージにいるのだから、周囲の接し方も変化させていくべきで、
ではどうやったらいいのか、という話。
そのなかで、
子どもをそっとしておく力、見守る力がない人が多すぎる、という話になりました。
そりゃそうよね。訓練を受けていませんもの。
行政はさ、母親学級とかもいいんだけど、こういうのをプログラムに入れてくれないかなぁ。
小学校に上がる前に家庭ですることって、
「時間内にご飯を食べられるようにする」とか、
「立ったまま靴下を履けるようにする」とか、
そういうこと(だけ)じゃないと思うんだよなぁ。
閑話。
私が話を聞いて感じたのは、
叱るというのは(怒るでなくて、叱るであっても)、会話の可能性を閉ざす行為なんだな、
ということ。
自分で気づけるようにもっていくことが、対話のドアを開けるということなんだなと。
たとえば、「静かにしなさい」と言って、
その通り子どもが静かになったとします。
それは「ことばに(大人の言うことに)従順な子ども」を育てるだけではないか、
というのがこの学校の考え方です。
説明会で、「目上の人の言うことが聞ける子」を目標にしていた区立小学校とは考えを異にします。
子どもが自分で気づくようになるには、
受容や共感が必要で、編集工学的にいうとモデル交換も必要。
そこに、事実を端的に言葉にして伝え、自分がしている行為によって、何が起こっているかを伝える、というものです。
これ、言うは易しのなんですよねー。私も全然できません。
でも、できそうなことが1つ。
それは、叱りそうになったらまず抱きしめる、
というもの。
「抱きしめながら叱れる人はいません」、
と言っていて、なるほどと納得。
私たちが叱らずにはいられないのは、古い価値観を内面化させたままでいるからだ、と。
この学校が「先生」と読んでいるニイルの表現を借りれば、
「困った子どもと同じ船に乗っている」のだそうです。
まずは、自分自身の不自由さに気づいて、自分を解放してあげることが必要だと。
この話をしてくれたのは、中学校の校長のかとちゃんですが、
一度も叱られずに育ったというこのかとちゃんでさえ、
学校のおとなというのは一生の修行で、死ぬまで完璧などというものはない、とおっしゃっていました。
この学校は、一般的にはエッジのきいた教育をしているように見えますが、
おとなたちは至って平常心で謙虚。
自分たちが先駆的だとか特別だというような気持ちはかけらもなくて、
ただひたすら、子どもに学び、子どもを幸せにすることだけを考えているのです。
まずは、とにかく抱きしめる。
みなさんも一緒にやってみませんか?