とくに母乳に関する知識もなく、「産めば出る」と思っていた程度だった私は、退院してから母乳育児の本を買うまで、「卒乳」や「断乳」という言葉も知らなかった。
ではどう思っていたのかといえば、「おっぱいは子どもが飲まなくなるまで飲ませるものだ」と、ごくごく自然に思っていた。
途中でやめなければならないことがあるなんて、考えてもみなかった。
先日、娘を連れて会社に顔を出した。
「お披露目においでよ~」と心優しい先輩が誘ってくれ、社内をアテンドしてくれた。
先輩ママに会うたび、
「保育園は?(9月復帰なので)」と聞かれ、
「4月から認証に通えるんです」
「じゃぁ、おっぱいも楽になるね。おっぱいが大変だもんね」
と言われ。
違和感を覚えつつも華麗にスルー。
それにしても、みなさまどうしてそんなに「おっぱいが大変」とおっしゃるのか。
これも、私への気遣いのひとつではあるのだろうが。。。
立ち上がった今となっては、おっぱいって簡単便利で、私としては何ひとつ大変な事はないのだけれど、先輩はおっぱいにいい思い出がないのでしょうか。。。
もちろん私は、娘が保育園に通おうとも、私が職場に復帰しようとも、彼女が「おっぱいいらない」というその日まで、おっぱいはあげようと思っている。
こんなに小さいのに、頑張って保育園に通うのだ。
おっぱいという拠り所を娘から奪う権利は私にはない。
私は母乳で育った。
弟も母乳で育った。
そういえば、弟が生まれたとき、母親におっぱいを飲ませてもらったことがある。
弟とは5.5歳離れているので、ねだったという記憶がある。
上手に吸えなかったかは記憶にないが、ぺろっと舐めさせてもらったか、コップか何かにとってもらってちょこっと飲んだのだ。
甘くていいなぁと思った覚えがある。
とても嬉しい記憶として残っているので、きっと母親は「いいよ」と気軽に飲ませてくれたのだと思う。
こんなことを考えていたら、「私の」卒乳って、どんな風だったんだろうと気になってきた。
手紙で母親に聞いてみると、こんな返信が来た。(※は、私のコメント)
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○○(私の名前)は、2歳半までおっぱいを飲んでいました。もちろん、何でも食べられているのにです。△△(弟)は2歳までです。そういうのを「甘え乳」というのです。
○○は、2歳8ヶ月で2歳児クラスに入ったので、入園3ヶ月前でやっと断乳しました。
(※断乳、というあたりが当時を反映しているなぁ、としみじみ)
乳房に赤チンを真っ赤に塗って見せると、すごくびっくりして思わず2、3歩後ずさりし、その後、逃げていきました。ちょっとかわいそうでした。
そして、「ああちゃん(お母ちゃんと言えなかった)の「ぱい」は、ケガをしたんな」(※方言です)と、自分で自分に言い聞かせていました。
でも私は、母(※祖母)が一滴の母乳も出なかったので(※この世代で完ミというのも逆に珍しい)(もちろん覚えているわけではないですが)、自分の子には思う存分飲ませたかったです。
今では良かったと思っています。
抱っこもおんぶもおっぱいも十分してあげてください。甘えん坊だって何のさわりもありません。情緒が落ち着いて、それが知育を引き出します。―(以下、略)
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※祖母は心臓が弱くて、やっとの思いで母を産みました。一時は、親戚中に『母子共に死亡説』が流布するほど、祖母の体調は思わしくなかったそうです。加えて、ネグレクト気味だった祖母は、はなから母乳で育てる気もなかったのかもしれません。ヘビースモーカーでしたし。すべては推測ですが。
ああ、私はけっこう長いことおっぱい星人で、しかも、言い聞かせではなくいきなり断乳させられたようなのだ。
知人は、おっぱいにからしを塗られて断乳させられ、それが今でもトラウマだと言っていたけど、私はこの断乳に関してちっとも嫌な思い出がない。覚えてはいないけど、悲しかった感触もない。
それは、2歳半までおっぱいを飲ませてもらっていたからかもしれない。
おっぱいが怪我しちゃったんだったら、しょうがないな、と諦めたのだろう。
自分で自分を納得させているあたり、「セルフ言い聞かせ卒乳」と言えなくもないか(笑)
母子手帳に「断乳」の文字が躍っていたころ、母は自分の信念を貫き、私におっぱいを飲ませてくれていたのだ。
逆風もあっただろう、心無い言葉もかけられただろう。
そんな中で、2歳半までおっぱい飲ませてくれてありがとう。
お母さんの子どもで、よかったな。
思いがけない、自分の卒乳エピソード。
みなさんは、どうですか?