天然水のCMよろしく南アルプスに囲まれた大自然に囲まれて育った私。
出産に際して、里帰りという選択肢は最初からなかった。
なぜなら実家までは唯一の移動手段である車で4時間。
(新幹線と特急を乗り継いでもいけるけど、鉄男・鉄子及び大人の休日倶楽部の会員しか乗らないような、ご当地観光電車なのだ。景色はすごーーーくいいんだけど)
どうやっても旦那は立ち会えないだろう。
立ち会えたとしても、旦那も1ヶ月実家に世話になるわけにいかない(男性の育休もとれるが、1ヶ月という長期間は物理的に無理だ)。
また実母の体の具合が悪く、私が世話になっている場合ではない。
という、物理的な理由と、
私にとって、核となる家族は「旦那と娘と私」だ。
産後の一番大変な時期をこの3人で乗り切れば、家族の絆は絶対強くなるし、旦那と娘のアタッチメントは必ず深まる、と確信を持っていた。
旦那もこの時期を一緒に過ごせば、スムーズに育児参加できるはずだ、という読みもあった。
(私は、お父さんが上手に育児参加できていない場合、その要因の一つは産褥期を一緒に過ごしていないことにあると思っている。里帰りをすると双方にとって楽かもしれないけれど、その一時の楽は、その後のハードルとなって返ってくる気がしているのである。里帰りしたわけではないので、仮説だけれど)
という、産後の育児参加を見通しての理由からだ。
となると東京の自宅で、誰かに手伝ってもらいながら産褥期の1ヶ月を過ごすしかない。
「誰か」の選択肢は2つしかなく、ヘルパーさんか姑だ。
旦那には年の離れた高校生の妹がいる。
姑は、舅、大姑に加え、娘の面倒も見ている。
ご自身の体力的にも不安が大きいと思う。
来てもらえるか心配だったが、そこはさすが姑、もろもろをやりくりして、退院のその日から住み込みでヘルプしてくれることになった。
退院のその日は、娘に簡単な晴れ着を着せた。
私も久方ぶりに化粧をし、パジャマでもジャージでもない服を着て、スリッパ以外の履物を履いた。
旦那が出生届を出しに行っている間(市役所のすぐ近くの病院だったのだ)、おくるみにくるまれた娘はすやすや眠って待っていた。
一緒に退院した仲間に挨拶をし、タクシーの運転手に病院の前で記念写真を撮ってもらい、自宅へと戻った。
既に姑の荷物は運び込まれており、お七夜のお祝いにと尾頭付きの鯛もスタンバっていた。
会計や出生届の確認などに意外と時間がかかり、くたくたな私。
できれば早く横になりたいところだが、命名紙に名前を書くという。
そうだった。そういえば命名紙及び墨汁を買っておけと指示されていたのだったが、墨汁を買いそびれた。
しかし、そこはやはり姑、墨汁及び筆を持参で、しかも自宅で下書きまでしてきているではないか。
(姑は、書を嗜んでいたのです)
その下書きを見ながら、旦那が書く命名紙。
2人とも、私の疲れきった顔を見て「時間がかかるし、やめておく?」と聞いてくれるが、下書きまでしてくれたのだし、せっかくだから命名紙を書いてしまいたい(だって、暑い中買いに行ったんだし)。
上手に書きあがったところで(私が書かなくて本当によかった)、一同夕食となった。
そのあとのことは、全然覚えていない。
たぶん、シャワーを浴びて寝たのだと思う。
娘は病院で沐浴をしてきたので、自宅では沐浴をしていない。
どういうことか、私の記憶はここでぷっつり途切れているのだ。
自宅とはいえ、姑と過ごすのは緊張する。
さらに、娘がいるのだ。
今までは母子異室で、明け方娘を受けとりに行き、夜には娘を預けていたので、24時間同室で一緒に過ごすのは初めてだ。
おっぱいはじょうずに飲めるかな。
明日から沐浴、ちゃんとできるかな。
いろいろ考えていたら眠ってしまったのだと思う。
こうして退院のその日は過ぎていった。
そしてこの日の夜から、おっぱいとの戦いがまた始まるのだった・・・
続く