蒲生氏、日野商人の魂が宿るPico Farmの土地
Pico Farmの場所として私たちが出会いを頂いた
土地は滋賀県蒲生郡日野町。
「区」でも「市」でもなく「郡」です。
「区役所」でも「市役所」でもなく「町役場」。
懐かしい、なんだかいい響き。
平成の大合併後でどんどん大きな市に吸収されて
消えていく「郡」。その中でも存続している
数少ない「郡」のひとつ「蒲生郡」。
その秘密は何だろう。
これから住み始めるとその理由にも出会っていくと
思いますが「蒲生氏郷」のスピリットが今でも存在
していることに「蒲生」という名前はなくさせない
という人々の思いがあるようにも感じます。
く
日野町出身の氏郷は織田信長に
その才能を見いだされ、信長の娘と結婚をし
8年の間に6万石から92万石に昇進する程の器
をもった文武両道の名将でした。
その氏郷氏の故郷である日野から後年多く
排出された近江商人のことを近江日野商人
ともいい彼らの活躍ぶりは今でも残る
近江商人のお屋敷からも伺えます。
なぜ日野から沢山の商人が生まれたのか・・・
その訳はやはり氏郷氏と関係していました。
彼はは40歳の若さで無くなり、
彼の子も孫達も若くしてなくなってしまいます。
そして最後に産まれた女の子も出生後すぐに
亡くなってしまい蒲生家は断絶します。
そこで蒲生家に使えていた家臣達は浪々と
なってしまいました。
今でいうと会社が潰れて社員数百名が
路頭に迷ってしまったということでしょうか。
日野に戻って来た家臣達は家族の養うため
武士を捨てて数年前まで住んでいた会津に
職探しの旅に出向く事になったそうです。
(氏郷は会津藩主であった時代もあります)
その際旅費の足しにするため京都で仕入れた
古着を天秤棒に乗せて運んでいったのが
近江日野商人の始まりだといわれています。
そして会津までの距離が長かったためその
中間地点である関東や信州に商圏を定着させて
いったのだそうです。
蒲生家の家臣たちは生きていくために
ある意味しかたなく武士から商人へと
身を転身したようです。
きっと武士から商人へ身を転じることに
抵抗のあった人たちもいたでしょうが
ここで発想の転換をし生きるすべを見つけ
ることが出来たことがきっと生きる自信にも
つながっていったのではないでしょうか。
この姿勢は今を生きる私にも大きな
ヒントを与えてくれます。
この事を知って、私達夫婦にも何か共通する
ものを感じました。
東京→滋賀という流れは逆ですが、
仕事やモノなど沢山のものを手放し、
東京を離れ1年間旅をして最後に
滋賀に辿り着き、ここで沢山の出会いを頂き
そしてある意味ゼロから新しい土地で
新しいライフスタイルを生み出す準備を
させて頂いている。
氏郷の生きていた時代とは背景は違うし
私達の場合は自発的に無職になった訳
ですがそのおかげで、余計なこだわりが
外れ自分たちの求める本質に直面する
機会が増えてきたように思います。
何はともあれこれから住み始める家も
この近江日野商人として成功した方
のお屋敷の一部を使わせて頂くので
日野商人の発祥の背景を知り、
彼らの気持ちに思いを馳せる事ができた
ことで少しばかり彼らに近づけた気持ちです。
Pico Farmでも彼らの生き方から学び
そのスピリットにあやかりながら
「三方よし」の精神を取り入れさせて
頂こうて思っています。
土地は滋賀県蒲生郡日野町。
「区」でも「市」でもなく「郡」です。
「区役所」でも「市役所」でもなく「町役場」。
懐かしい、なんだかいい響き。
平成の大合併後でどんどん大きな市に吸収されて
消えていく「郡」。その中でも存続している
数少ない「郡」のひとつ「蒲生郡」。
その秘密は何だろう。
これから住み始めるとその理由にも出会っていくと
思いますが「蒲生氏郷」のスピリットが今でも存在
していることに「蒲生」という名前はなくさせない
という人々の思いがあるようにも感じます。
く

日野町出身の氏郷は織田信長に
その才能を見いだされ、信長の娘と結婚をし
8年の間に6万石から92万石に昇進する程の器
をもった文武両道の名将でした。
その氏郷氏の故郷である日野から後年多く
排出された近江商人のことを近江日野商人
ともいい彼らの活躍ぶりは今でも残る
近江商人のお屋敷からも伺えます。
なぜ日野から沢山の商人が生まれたのか・・・
その訳はやはり氏郷氏と関係していました。
彼はは40歳の若さで無くなり、
彼の子も孫達も若くしてなくなってしまいます。
そして最後に産まれた女の子も出生後すぐに
亡くなってしまい蒲生家は断絶します。
そこで蒲生家に使えていた家臣達は浪々と
なってしまいました。
今でいうと会社が潰れて社員数百名が
路頭に迷ってしまったということでしょうか。
日野に戻って来た家臣達は家族の養うため
武士を捨てて数年前まで住んでいた会津に
職探しの旅に出向く事になったそうです。
(氏郷は会津藩主であった時代もあります)
その際旅費の足しにするため京都で仕入れた
古着を天秤棒に乗せて運んでいったのが
近江日野商人の始まりだといわれています。
そして会津までの距離が長かったためその
中間地点である関東や信州に商圏を定着させて
いったのだそうです。
蒲生家の家臣たちは生きていくために
ある意味しかたなく武士から商人へと
身を転身したようです。
きっと武士から商人へ身を転じることに
抵抗のあった人たちもいたでしょうが
ここで発想の転換をし生きるすべを見つけ
ることが出来たことがきっと生きる自信にも
つながっていったのではないでしょうか。
この姿勢は今を生きる私にも大きな
ヒントを与えてくれます。
この事を知って、私達夫婦にも何か共通する
ものを感じました。
東京→滋賀という流れは逆ですが、
仕事やモノなど沢山のものを手放し、
東京を離れ1年間旅をして最後に
滋賀に辿り着き、ここで沢山の出会いを頂き
そしてある意味ゼロから新しい土地で
新しいライフスタイルを生み出す準備を
させて頂いている。
氏郷の生きていた時代とは背景は違うし
私達の場合は自発的に無職になった訳
ですがそのおかげで、余計なこだわりが
外れ自分たちの求める本質に直面する
機会が増えてきたように思います。
何はともあれこれから住み始める家も
この近江日野商人として成功した方
のお屋敷の一部を使わせて頂くので
日野商人の発祥の背景を知り、
彼らの気持ちに思いを馳せる事ができた
ことで少しばかり彼らに近づけた気持ちです。
Pico Farmでも彼らの生き方から学び
そのスピリットにあやかりながら
「三方よし」の精神を取り入れさせて
頂こうて思っています。