さらすわてぃ
前回のブログから随分間があいてしまいました。
鞆の浦の旅の体験は時の経過に比例して色褪せるようでもありなが
ら確実に体に浸透しそして身になっていくような感覚も同時に感じ
ています。
鞆の浦から帰る日の朝、行きたいと思っていたカフェは開店時間
になっていたのにも関わらず開いておらず、代わりにそのそばに
あったカフェ「さらすわてぃ」に立ち寄ることにしました。
またもや弁天様(サラスバティ)です。
モモは海からの潮風を浴びながらおんぶされカフェに着いた時には
熟睡状態、1Fは椅子のみで寝させられないということもあり
2Fに案内していただきました。
この2Fからの眺めは最高に良いのでここはカフェを訪れる人がだれでも
景色を楽しめるようにと普段はお客様を通さずあけておくそうです。
ですが今回は特別にモモが寝てしまったこともありここを使わせて
いただけたのでした。

ここの店主の奥様の芸術的センスを買われ朽ちそうだったこの古民家は
カフェギャラリーとして息を吹き返したそうですが、この2Fからの景色
と同化するように主張しすぎずともそれぞれがそのモノがそれぞれの
もつ存在感と共に配置され、そこに吹いて来る潮風とまざりあいそれは
幸福な時間でした。

そしてそこでいただいた珈琲が美味で・・・
ただ単に良質の珈琲だから美味しいのではなく「器」がその味を
一層味わい深いものにしていました。
そこにいた3人のコーヒーはそれぞれ違うカップでサーブされました。
気になってお互いのカップの飲み心地を試してみたところ同じコーヒー
なのに使うカップで味が違う。
そのことを店主に伝えると、この違いを分かっていただけた
ということを喜んでくださり、ここから店主ご夫婦と私たちの会話
がどんどんと深まり、そして興味深い話へと発展していったのです。



ひとつのコーヒーカップ。
そのカップを作った作家さんの思い、コーヒー豆を厳選しそして
焙煎した方、そしてその豆からコーヒーを入れてくれたお店の方
それぞれの思いが伝わってくるようなそんな一杯を体験したら
その感動を伝えないではいられなかった。
その場で時間を共有したひとみんなの中にこの思いが広がったように
感じました。
話はTPPの話題から、ここ数ヶ月私が出会いたいと思っていた瞑想や
浄化についてまでも広がっていきました。
広島から滋賀まで帰らなくてはいけない私たちは後ろ髪引かれながらも
お店を後にしましたが、この世界はみんなつながっていて必要なものは
その準備ができたときにもたらされるんですね。
こうして弁天様に見守られながら鞆の浦を後にしたのです。
鞆の浦の旅の体験は時の経過に比例して色褪せるようでもありなが
ら確実に体に浸透しそして身になっていくような感覚も同時に感じ
ています。
鞆の浦から帰る日の朝、行きたいと思っていたカフェは開店時間
になっていたのにも関わらず開いておらず、代わりにそのそばに
あったカフェ「さらすわてぃ」に立ち寄ることにしました。
またもや弁天様(サラスバティ)です。
モモは海からの潮風を浴びながらおんぶされカフェに着いた時には
熟睡状態、1Fは椅子のみで寝させられないということもあり
2Fに案内していただきました。
この2Fからの眺めは最高に良いのでここはカフェを訪れる人がだれでも
景色を楽しめるようにと普段はお客様を通さずあけておくそうです。
ですが今回は特別にモモが寝てしまったこともありここを使わせて
いただけたのでした。

ここの店主の奥様の芸術的センスを買われ朽ちそうだったこの古民家は
カフェギャラリーとして息を吹き返したそうですが、この2Fからの景色
と同化するように主張しすぎずともそれぞれがそのモノがそれぞれの
もつ存在感と共に配置され、そこに吹いて来る潮風とまざりあいそれは
幸福な時間でした。

そしてそこでいただいた珈琲が美味で・・・
ただ単に良質の珈琲だから美味しいのではなく「器」がその味を
一層味わい深いものにしていました。
そこにいた3人のコーヒーはそれぞれ違うカップでサーブされました。
気になってお互いのカップの飲み心地を試してみたところ同じコーヒー
なのに使うカップで味が違う。
そのことを店主に伝えると、この違いを分かっていただけた
ということを喜んでくださり、ここから店主ご夫婦と私たちの会話
がどんどんと深まり、そして興味深い話へと発展していったのです。



ひとつのコーヒーカップ。
そのカップを作った作家さんの思い、コーヒー豆を厳選しそして
焙煎した方、そしてその豆からコーヒーを入れてくれたお店の方
それぞれの思いが伝わってくるようなそんな一杯を体験したら
その感動を伝えないではいられなかった。
その場で時間を共有したひとみんなの中にこの思いが広がったように
感じました。
話はTPPの話題から、ここ数ヶ月私が出会いたいと思っていた瞑想や
浄化についてまでも広がっていきました。
広島から滋賀まで帰らなくてはいけない私たちは後ろ髪引かれながらも
お店を後にしましたが、この世界はみんなつながっていて必要なものは
その準備ができたときにもたらされるんですね。
こうして弁天様に見守られながら鞆の浦を後にしたのです。