続いて3組の様子。3組もこの時間は文集にのせる作文の清書をしています。何か浅村先生は怖くて始めはみんな先生をきらっていたけど、2学期になってくるとみんな先生の良さが分かってきてあんまり嫌う人もいなくなったと書いている人がいてその人も浅村先生は厳しかったけどいい先生だったと書いています。この人ははじめに僕たちは5年の時わるかったから浅村先生になったのだろうとか書いています。5年3組は担任が新任でやさしく、クラスが荒れていたのです。
 教卓の目の前には小田君がいます。彼は、習った先生のことを書いているようです。
 「僕の思い出といえば・・・。マスミ先生、大橋先生、田村先生、浜田先生、山本先生、浅村先生と6人の先生に習ってきた。僕はこの先生方から勉強だけを学んだのではない。戦争時代の苦しさや戦時中は女性もたくさん働いたこと、そして掃除の仕方なども教えていただいた。この先生の中には先生をやめた先生もいる。また、他の学校に行ってしまった先生、今もこの光井小にいらっしゃる先生などいる。また、友達もいろんな友達とそれぞれ上手くやってきたつもりだ。中学になると違う学校に行ってしまう人もいるけど、これまで通りみんなと仲良くやっていこうと思う。」
 隣は坂根君です。いろいろかいていますが・・・。
 「6年間勉強を教えてもらった先生はまだ覚えている。その中でも4年の時の山根先生が一番思い出に残っており、一生忘れないだろう。」
 一番後ろにあの問題児吉田君がいます。先生によく怒られたことを書いています。
 「1年2年とよく怒られた。
   3年の時は先生が石村先生で、ほかの先生と違って、授業中に紙芝居などよんでくれた。少し悪いことをするとすごく怒ったけど、とてもやさしい先生だった。
   4年の時はろうかにだされ、こっぴどく叱られました。」
そのあともよく怒られたことを書いているようです。
 女子もがんばって書いています。まずは香織です。6年の始業式の日、担任が浅村先生といわれたときこわそうな先生だなと思ったことを書いています。そして続きから・・・。
 「でも、思ったよりやさしかった。6年では辛いこと苦しいことがたくさんあったけど、みんなで励ましあいやってきた。私は今の楽しいクラスの人とちょっと怖い浅村先生で良かったです。
 中学でもガンバルゾー!!」
 隣の大末景子は・・・。思い出の最後にこんなことを書いています。
 「入学した頃はまだできあがっていなかった校舎も2年、3年とあがっていくにつれ、どんどんできあがっていきました。思い出を残してくれた校舎にありがとう。」
 後ろには幸子と寛子がいます。
 幸子は・・・。「1年の時は友達ができるかなと思ったけど、何人かできました。宿題にテスト。1年の時は何もかもめずらしいことばかりでした」
 そして5年でははじめてやさしい先生になったと書いていてこんな先生でだいじょうぶかなとおもったけど、とてもうれしかったですと書いています。そして6年では宿泊訓練や修学旅行など楽しいことがたくさんありましたと書いています。そして最後に・・・。
 「長いようで短かった6年間。どれも楽しく苦しかった思い出。それも今となればよい思い出です。」
 寛子の文章は・・・。一部を見てみましょう。
 「6年間一番の思い出は修学旅行です。みんなとホテルに泊まれ、楽しかったです。」  
 尚、ここまで文集にに書かれている数字ですが実際の文集にのせるのは縦書きなので、漢数字で書いている人もいます。そして別の席の智子。一番目に転校してきたことを書き、2番目の思い出は修学旅行だと書いています。
 4組では・・・。思い出で2学期は南先生と一緒に行ってしまいましたとか書いている人がいます。他の男子は一人一人千差万別とか何かいいことでも書こうとしているのでしょうか。いろんな人がいていいとか・・・。
 原口純一「僕は6年間習った先生で南先生が一番思い出に残っています。僕たちは今まで一定の人としか遊ばなかった。しかし、南先生が担任になり、男女差別やひいきをせず平等に話を聞いて下さり、クラスのみんなも自然にそうなっていったにちがいない。」
純一は南先生のおかげでクラスの雰囲気がよくなっていったことを作文に書こうとしているようです。
 田村健吾「僕は6年間よく先生に怒られた。1年ではよく怒られ、2年では1回棒みたいなのでたたかれ、折れたことがあった。逆に3年ではあまり怒られず、4年でも怒られるようなことはしなかったから怒られなかった。5年はまるっきり反対でよく怒られ6年も同じでよく怒られ、もうこりごりだと思った。」
 相本利昌「僕の6年間の思い出と言えば・・・。1年は木村先生。2年は池冨士先生がおさんでちょくちょくしか来てくれなかったけど、そのかわりの小森先生がちゃんと来てくれた。3年の時は、田村照子先生がいろいろな話をしてくれた。4年の時は、浜田陽子先生がファイトまんまんの先生で、休み時間は僕たちと一緒に遊んでくれてとても愉快で楽しい先生だった。5年では栗原先生がおさんでちょくちょくしか出てくれなかったけど、他のいろいろな先生が来てくれた。6年は南先生。一番好きな先生です。」
 深見康則「僕はよく先生に怒られました。1年・2年とよく怒られ、3年の時は、職員室に呼び出されたこともありました。思えば、一番よく怒られていたのは4年の時でした。毎日何かで怒られていたと思います。原因は物のやりすぎなどです。5年の時は、✖✖先生にビンタをくらってしまいました。」
 女子も頑張って書いています。泉則子は「放送委員になって」というタイトルで放送委員になってよかったと書いています。大下乃世は「ミニバスに入って」というタイトルでミニバスに入って学んだことを書いています。
 河口良美「   転入してきて
         私は5年の3学期に徳山から転入してきました。。(中略)この学校は男子と女子がとても仲が良く
        いいと思いました。」
 品田典子「6年で始めて担任になった南正子先生は、今まで習った先生の中でも一番私達の事を考え、心配してくれた先生でした。だれか一人心配事などがあると、最後まで目を真っ赤にして真剣に取りくんでくださいました。休み時間や遠足などの時にはじょうだんを言ってかけまわっているとても楽しい先生です。これからも六年間で一番思い出に残る先生になるようにと思います。」
 由夏は、登校班の班長になったことを書いています。最初は登校中きちんと並ばない人がいて、厳しく言っていたと書いています。途中から見ると・・・。
 「厳しくし、きちんと並ばせていると、暑い時でも寒い時でもピシッとなるのです。すると、今では何も言わなくてもピシッとなるのです。班長集会などがあり、無断で校区外外出をする人がいて注意されることもありましたが、今ではほとんどいなくなりました。私はとてもうれしいです。私が卒業するまでは、事故ひとつなく登下校しようお思います。」
 長尾美鈴「今は中学生になりたいようななりたくないような気持ちです。なりたいと思うことは、何もかもが新し
        くなるし、クラブも毎日あるからです。なりたくないと思うことは、友達とクラスが別れるかもしれない
        し、勉強は難しくなるし、家に帰るのがおそくなるからです。 
         修学旅行や宿泊訓練など楽しい思い出がたくさんありました。(中略)
         野外炊事で雨で中止になってビーチバレー大会をし、私達の班は成績がよかったです。」