昨日は終戦の日
原爆投下作戦の「英雄」
クロード・イーザリーのことを知り
いろいろ考えさせられました。
イーザリーは自国で「英雄」と
もてはやされたが
原爆で亡くなった人たちの
幻影に怯え苦悩し
奇行を繰り返したそうだ。
そして精神が錯乱し
精神病院に入院させられた。
その後あらゆる原子兵器を
禁止するという使命のために
自分の一生をささげようと決心する。
イーザリーの存在は
日本でも報じられたそうだ。
日本の反核運動のリーダーになってほしいと
手紙も届いたという。
だがイーザリーを紹介した哲学者は
こうした依頼の一切について
とても批判的だったらしい。
最も純粋な善意にもかかわらず
見世物になってしまうだろうと懸念したから。
そしてこのことは
表面的な「反核平和」にとどまらないのだ。
問題なのは
軍というメカニズムのなかに組み込まれた
「一本のネジ」にもかかわらず、
広島に責任を感じる一人の人間がいる。
そのことをどう考えるかにある。
イーザリーの対極にあるのは「凡庸な悪」
広島の原爆投下に関わり
苦悩するイーザリーのことを
「アブノーマル」だとするのなら
その反対にいるノーマルとは何か?
何も考えず業務を遂行する「凡庸な行動」が
ノーマルということにならないか?
大事なのは
メカニズムのせいにして
自分の行為を免罪することではない。
「ネジ」なら「ネジ」として
自分の行為として苦悩し
責任を負おうとすることだと。
たとえ「一本のネジ」に過ぎないとしても
原爆投下に加担するくらいなら
「ネジ」として生きることは拒否する宣言。
本当におかしいのは誰なのか?
あれだけの大量殺人を起こしながら、
いささかも良心の呵責を感じず
英雄視されるパイロットか?
命令に従っただけと自身を免罪する人か?
それとも苦悩するイーザリーか?
イーザリーの苦悩は人間の良心だ。
ざっとこんな内容だ。
本当におかしいのは誰なんだろう?
ひどい世の中なのは今も同じ。
所詮自分も社会を構成する「一本のネジ」
思考のない「ネジ」に徹するか?
自分の頭で考える「ネジ」なのか?
昔からイジメは嫌いだった。
イジメの大将は嫌いだが
それに追随するやつらはもっと嫌いだった。
言うこと聞かないもんだから
逆にイジメられたこともあった。
今だって変わらない。
おかしな違和感を感じる。
道徳の時間で教わったことを手本に
生きているだけなのに
カッコつけるなと言われたこともある。
カッコなんかつけたおぼえなどない。
ただ普通に生きているだけ。
おかしいことはおかしい
ただそう言っただけ。
「普通」は生きにくいし諦めました。
そう宣言して「普通」を放棄したようなヤツに
言われる筋合いでもない。
どんな生き方しようが覚悟はいるもんだ。
あなたはあなた。
あなたの言うことは尊重してあげます。
だから自分の敷地には
土足で入って来ないでください。
そして押しつけないでください。
そう思った。
この指止まれ!
いちぬけた!
イーザリーの話を読んで思いだした。
物心ついた頃からだったんだな
「ネジ」として生きることを拒否したのは。
The Kinksで「Over the edge」です。
またはhttps://youtu.be/RtyCO6WXSJI
キンクスはそれほど詳しくないけど
1993年「フォビア」の一曲。
Wikiによると
荒廃した世相を、様々な角度から描写・風刺し
こんな社会に住む我々は
みんな何かの恐怖症(フォビア)だと歌った作品。
双極性障害(躁うつ病)を患っていた
レイ・デイヴィスらしいテーマですね。
こんな作品書けるのって
彼とポール・マッカートニーくらいじゃないか?
って思えるくらい個性的です。