歌詞 第8回 | がらくた通り3丁目

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人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

そういえば
先月からの持ち越しの連載があと3回。
消化したいと思います。

自分の音楽の楽しみ方って
大別すると2種類。
ひとつはそのミュージシャンの
音楽っていうか響きから
自分の脳裏にいろんな情景を
映し出すって感じの楽しみ方。

もうひとつは曲と言葉から
いろんなことを感じるって楽しみ方。
言葉がある分
いく分イメージが限定されてしまうが
思ったほどでもない。

今じゃどちらの音楽も好きなのだが
ここ数十年は
前者の楽しみ方しかしてこなかった。
つまりひとつの楽しみ方しか
していなかったのだ。

それが数年前
久しぶりにアコギ引っ張り出してきて
中学の頃好きだったフォークを歌った途端
涙で言葉に詰まって
歌えなくなるという経験をした。
こんなことで涙が溢れてくる自分に戸惑った。

これをきっかけに
また歌詞の内容がわかる
日本のフォークを聴くようにもなった。
ただずっと聴いているわけでもない。

基本音からいろんなことを想像する
映像喚起的能力の高い音楽の方が好みだからだ。

凄く個人的なことだけど
歌詞を聴きたい時にはロックっぽい音って
必要じゃないというかジャマなのだ。

だから歌詞を聴きたい時には
日本のフォーク。
ロックは海外って図式が
自分の中にできあがる。

と言いながら自分が作る曲って
歌詞にも気を使うもんだから
何を言わんかやである。

フォークは自分の中じゃ
ノスタルジーでしかない。

洋楽ロックの合間に箸休め的に聴く。
ただこの箸休め
時にはこれが凄く重要なのだ。

この連載の第4回で
共感できる音楽が好きだって書いてたが
共感できるかどうかにまた少し深く踏み込むと
そのミュージシャンの精神性って気になる。

歌詞と精神性と音
これが理想的にバランスよく
機能しているバンドって
僕の中じゃピンク・フロイドなのかもしれない。
海外のバンドで
歌詞にまで興味をそそられるのは
彼らだけって言えるくらい好きです。

〈つづく〉

Pink Floydで
「Comfortably Numb」です。
1990年のKnebworthでのライブでの
ギターソロが大好きなので
ご紹介させていただきます♪

このフェスティバル
久々にライブ復帰したポール・マッカートニー
ペイジとプラントそして
クラプトンとマーク・ノップラーの競演と
見所聴き所が満載。
当時BSでノーカットで放映されましたが
この完全版はまだソフト化されてません。

そしてトリを務めたのがピンク・フロイド
彼らがステージに立つやいなや
雨が降り出したといいます。
このバンドやはり自然をも味方にする
何かを秘めたバンドなんです。
1971年伝説の「箱根アフロディーテ」
の時もそうだったように。


またはhttps://youtu.be/TewFVkInDTM

※箱根アフロディーテに関しては以前記事にしました。
興味がございましたらどうぞ。
当時のフロイドが他のプログレ・ミュージシャンに対する
見解を発言したテキストも載せてます♪
http://ameblo.jp/pecobro/entry-11988934393.html