歌詞 第7回 | がらくた通り3丁目

がらくた通り3丁目

人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

凄いミュージシャンって
自分の感じたことを
具現化する能力に長けていると思う。

アーティストは発明家じゃない
既存の常識とされているモノの
見方や視点を変えるのがアーティストだ。
とはヨーコ・オノの弁。

ミュージシャンって発明家じゃない。
既存のものを再編集して再提示する仕事だ。

曲作りって既存の部品を使って
建築家が一軒の家を組み立てるようなものだ。

こんな見方はどうだろう?
曲作りは本作りと同じではなかろうか?

写真やイラストやテキストといった素材を
どのページのどこに入れたら効果的か
面白い本を作るために考える。
それが決まったら
レイアウトして一冊の本にまとめ製本する。

この一連の作業と曲作りは
ピッタリ当てはまるではないか。

このレイアウト能力と編集能力
これがズバ抜けていたのがビートルズであり
ジョージ・マーチンだったのではなかろうか?

素晴らしいミュージシャンの正体って
一流の編集者であり
レイアウターなのではなかろうか?

曲とか歌に関してはそうだけど
ただ演奏となるとどうだろう?

生演奏の時にのみ生み出される
リズムだとかグルーヴってどうなんだろう?
この原始の叫びみたいな感覚。

人間の本能として
生まれ落ちた時から潜んでいるもの。
これは曲と切り離された
違う次元にあるような気もする。
グルーヴってメロディみたいに
記号化や譜面化できないだろうし
部品としての使い回しなんて
できるんだろうか?
本当のオリジナリティって呼べるものが
存在するとしたら
これなんじゃなかろうか?

それともうひとつ
レッド・ツェッペリンⅢ収録の「Friends」
この曲がCSN&Yの「 Carry On」と酷似していると
評論家から叩かれたそうな。
確かにギターリフやリズムは似ている
似ているけどまったくの別物。

CSN&Yのはフォーク・ロックに
ラテン・ロックが融合したような世界観
ツェッペリンのはエスニック臭が
これでもかと匂う代物。

アーティストが放つ世界観の違い
とでもいえばいいのか

評論家はただギターリフとリズムが
似ているから
つまり譜面として記号化されたものがそっくりだから
CSN&Yの模倣と切り捨てたが
そんなことじゃないのだ。

ツェッペリンの本質を
まったくわかってないし
僕が感じるオリジナリティって
そんなことじゃない。

アーティストたちが表現する
世界観みたいなことだ。
これがオリジナリティということでは
なかろうか?

〈つづく〉

Paul McCartney And Wingsで
「Maybe I'm Amazed」です。



またはhttps://youtu.be/x_FiIilTwIA