パパと呼ばないで(後編) | がらくた通り3丁目

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人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

パパと呼ばないで2

今より昭和が好きだと言い出した息子。

年老いた僕がこの時代が好きだというのはいいけど、
昭和もしらないこんな子が昭和が好きだという。
昭和には現代しか知らない人をも飲み込む
不思議な魅力が詰まっているのかな?

理由を聞くと雑多な街の雰囲気とか
人情みたいなものに心打たれたようです。

そういえば僕が子供の頃にもスーパーはあったけれども
どちらかといえば市場に近い感じ。

お魚は魚屋さん。野菜は八百屋さん。お米は米屋さん。
お酒は酒屋さん。
お酒は子供だったから飲まなかったけど、
じいちゃんのおつかいでよく買いに行ってました。
今は未成年へのアルコール販売は禁止だし、
明らかに未成年でない僕に向かって
指さし確認を求めるスーパーもある。

当時では考えられないこと。
おおらかな時代でした。

たばこだっておつかいで買いに行ったものです。
もちろんたばこ屋さんで。

それが今や大型スーパーだらけになってしまって
お魚も野菜もなんでもすべてスーパーで事足りる。
しかも安い。

個人商店は姿を消してしまった。

考えたら現代は決まりごとが多すぎて窮屈かもしれない。

物事すべて杓子定規の上でしか計れない現代人の
なんて心の貧しいことか。

人間にはもっと自分の頭で考えることができる
ハバがあるはずなのに
すべてが決まり事で管理されていく。

僕たちは人間から社会の部品へと
成り下がっていく。

人間は見た目は裕福になったかもしれないが
心がだんだん貧しくなってきていると感じるのは
僕だけなのだろうか?

人間は便利さと引き替えに
何か大切なものを失いつつあるのではないだろうか?

そのうち思考さえも排除されてしまうのでは?
恐ろしい!

僕は息子とのやりとりで
僕らはこんないい時代に呼吸をしていたんだと
誇りに思うとともに
僕が大好きだった時代をこの子も気に入ってくれた。
息子と世代を超えたものを共有できた喜びを感じました。