33歳になりました | ぺこさんち

33歳になりました

中・高校生の頃から、33歳(の見た目)だった私が、
33歳になった。

33という数字はなんともリアルで、
さっ
ささささ……さんじゅうさん
と、何度も反芻してみては、「いやぁこれが33歳か」と妙に納得している今。

子供の頃、30代のイメージは
「母ちゃん」もしくは「おばさん」

しかし時代は変わり、何歳なのかよくわからん、アンチエイジングの時代へ。
まわりのみんなが若返り、化粧をし、綺麗な服を着て、インスタ映えだかなんだかよくわからん素敵な写真を撮っているこの時代に、
私は変わらず、素のままで汚い生活と変な顔を記録し続けている。

時代の流行りに乗れないことがいい事なのか悪いことなのか、
はたまた自分が卑屈になっているだけなのかどうかは、正直よくわからない。

しかし私はいつだって、
自分が好きだと思うことしかしないし、家族がいいと思っていることをしている。
楽しい。苦しいが、楽しい日々なのだ。



「どこいきたい?」
と聞かれたので、
「厄を落としたい」と答えた。

我が家御用達の、静岡は法多山へ。
豊橋は雨だったが、晴天だった。
「日頃の行いがいいだな」と言い放つ母の言葉を、3人とも華麗に無視し、みんなで参拝した。

と同時に、
雷が落ちまくる。
こんなにも雷が短時間に落ちまくった経験は、そうない。



雷が落ちまくる中、風鈴見学し、
おみくじまで引き、余裕で歩いて帰った。

しかし

最後の最後で、ゲリラ豪雨よ。
途中の土産屋さんに駆け込み、パチンコで遊ぶ。



ゲリラ豪雨が終わらないので、
駐車場まで走った。

ゲリラの中、雨に強打されながら走る。
もう、痛い。しかし笑える。
雷と豪雨の降りしきる中、笑いながら走るぺこさんち。
33歳のはじまりだ。
ビショビショになり、半ば全裸の勢いで帰宅した。
さすがに私と画伯は服は脱げなかったが、そんな思い出も笑いになるこの家族が、私は心底好きだ。


思えば20歳から、いろいろあった。
20歳で結婚し、21歳で杏菜を産み、
22歳で牛乳配達、23歳で家を買い、
24歳で漣人を産み、杏菜の闘病が始まり、
25歳はほとんど闘病。
26歳でロザフィ講師になり
27歳で本を出版し
28歳で本が増刷、マトリョーシカを描き始め
29歳で裁判員になりかけ、マトリョミンをはじめ
30歳でギネス保持者(マト)、本が賞に入り
31歳でパン屋に務めだし、32歳でだるま書き出した。

ここに書いてないことも多々ありすぎる。
漣人がぜんそくになり入院したり、
ホルモン出てなくて毎日注射するようになったり、
杏菜の歯の矯正がはじまったり、
私の前歯が3回折れたり。(今偽物だし)

何が起こるかわからないが、
すべて、自分で起こしたことだ。

33歳
きっといろいろあるだろう。
でも頑張れる。好きな人が一緒にいるからね。

今日聞いた風鈴の音と雷の音が
私の33歳の一年を予感しているようで、心臓が早く動いた。