亡くなった人との思い出で1番最初に忘れるのは、その人の声なんだって
いつかの日に聞いた話だ。どこで、誰に聞いたのかも朧げではあるが、確かに脳裏には記憶がある。
なぜ今、そんなことを思い出しているのか。
私の目の前には、現在危篤状態に陥っている祖父がいる。体の至る所がチューブで繋がっており、"生きている"というより"生かされている"状態だ。
祖父は、私が高校を卒業するまでの間、ひとりで育ててくれた。父は、私が生まれる前に交通事故で亡くなっており、母は、育児放棄気味であったため、見かねた祖父が、私が小学校2年生の時に引き取ってくれた。
高校を卒業してからは就職し一人暮らしを始め、忙しくて中々祖父の家に顔を出すこともできず、6年が経過していた。
そんな時、祖父の容体が急変して入院しているという連絡を受け、急遽有給を使い、飛行機の便を取って会いに来た。
着いたときには、ほぼ手遅れだった。祖父の意識は混濁しており、話すことはおろか生命を維持することすらままならない状態だ。ただまどろんでいるようにも見えるが、体は痩せこけ、魂の灯火が消えかかっていることは火を見るよりも明らかだった。
意識が混濁している祖父を目の前にして私は、酷いショックを受けた。それは、こんな状態になるまでなぜ顔を出してやらなかったのか、という後悔ではない。何度思い出そうとしても、祖父の声が思い出せないのだ。
祖父の死については、人並み以上に考えているつもりだった。なぜなら、普通の人にとっての家族は両親にあたるが、私にとってはそれが祖父だったからだ。年齢も違うため、その分死期も早い。
今までは、私の大切な思い出を共有できる唯一の存在である祖父がいなくなることで、思い出が徐々に消えていくと思っていた。
しかし、実際はそうではなかった。私自身の脳みそが、祖父との思い出を徐々に忘れていたのだ。脳みそにとって祖父との思い出は、ケアをしなければ捨てられてしまうものに分類されていることに虚しさを覚えた。思い出とは、"思い出せる"からこそ、思い出なのだ。忘れてしまっては、思い出とは言えない。
実際の祖父はまだ生きているが、彼の声を思い出せない私の心の中では、祖父はすでに死んでいた。あまりに惨憺たる話だ。
生きるとか、死ぬとか、そんなことはどうでもいい。あなたの声が聞きたい。一言でいいから、声を聞かせてほしい。
そう切に願ったが、そのまま息を引き取る祖父を見守ることしかできなかった。
大切なものは、風化させてはいけない。思い出には賞味期限がある。誰かが覚えている限り、真の意味で死ぬことはない。だから、大切な人がいる限り、その人の声を聞いてほしい。