私がオレゴンに6カ月ステイしていて、一番大きなできごとはホストグランパの死である。死についての考え方が大きく変わった。死以上に人生観というものが変わった気がする。今まで、親戚を失ったことはあるがどれも突然の死であった。余命1カ月と宣告され、目の前に迫った死というものの訪れを一緒に味わうことがどのようなものか、身を持って体験したのである。


私はグランパが余命1カ月と聞いた時、想像もしなかったことなので言葉を失った。目の前には元気なグランパがいる。肺癌なんて信じられなかった。それ以来、最初の1週間はグランパを前にするだけで涙が出てきてしまい、耐えるのに必死で部屋にこもってしまうこともあった。そして辛いと言って弱音を吐いていた。しかししばらくして、私以上にグランパが辛いのに何を言っているのだ、部屋にいたって何も変わることはない。今の自分に何ができるのか考えるようになった。それ以来、これから死ぬまで決して、「辛い」と言わないと心に決めた。辛いと言って何になるのだ。死ぬ以上辛いことなどこの世にはないのだ。


それから私は1000羽鶴を折り始めた。グランパの隣にいる時間、何をすれば良いのかわからなかった。何かしていたい。そんな時に思いついたのが千羽鶴だった。1000枚も日本から折り紙を持ってきていなかったので、1枚の折り紙を4つに切って、小さい鶴をたくさん作った。毎日毎日折った。友人学園の昼休みの時間も使った。それぐらいグランパが頭の中から離れなかった。友人学園と家との間を歩いている間に見る車の中にいる人がすべてグランパに見えるくらいだった。グランパは毎晩、喜んでくれた。ホストシスターのブリトニーや別れの挨拶をしに来る親戚の人たちも鶴の折り方教えてよと言って手伝ってくれた。日本から鶴を送ってくれた友達もいた。


それから毎日グランパの隣にいる時間がとても尊く思えた。今私が過ごしている時間がとても貴重に思えた。何も変わっていないのに、私も死へのカウントダウンはもう既に始まっているのに。1秒1秒が重く感じられた。時間を無駄に使っていられないと思うようになった。夜に散歩に出かけたり、一緒にテレビを観たり、何もない日常がとても幸せに思えた。


グランパがあと2,3日だと聞いたのは私がのんちゃんに会いにシアトルに行く日の直前だった。私は考えた。ここオレゴンに来るはずで一緒に頑張ってきたのんちゃんとの約束を果たしたい。そんな思いと少しでもグランパと一緒の時間を供にしたいという気持ちがぐるぐると私の中を駆け巡った。しかし私は今しかできないことを優先した。私は今しかグランパのそばにしかいてあげられない。友達をしては最低の友達かもしれないのに私の友達はそんな選択を下した私を全く責めなかった。私は友達にも恵まれていると友達のありがたさも感じた。


連休中も千羽鶴を折って、連休開けの朝、千羽鶴は完成した。1000羽になった。


その4時間後にグランパは帰らぬ人になった。。。。


まるで千羽鶴の完成を待っていたかのように。。。


ホストマザーが教えてくれた。千羽鶴はグランパがネクストステージに行くのを助けたんだよ。と。グランパの次のステージはJOURNEYなんだ。と。


それから1週間後、グランパグランパのお葬式があった。正確にいうとお葬式ではない。お葬式というものはない。MemorialServiceだ。日本と全く違う、死の捉え方に私は驚いた。


グランパは死ぬ前に、もし自分が死んだら火葬してその灰を自分が好きだった所に撒いてほしいと言ったらしい。私はアメリカ人は皆、土葬だと思っていたので驚いた。グランパにお墓はあるの?と尋ねるとお墓はあるけれど何も眠っていない。という答えが返ってきた。灰をその周りに撒くだけだと言っていた。私は人間は死んだらお墓に眠るという考え方が当然だと思っていた。そして死人の灰というものに恐怖心というものがあった。最初、グランパの灰を小さなビンに入れて、欲しい人に配るんだと聞いた時は、どこかに恐ろしいという気持ちがあった。幽霊が出てくるのではないかとかそういう気持ちである。しかし今は全くそのような心がない。私もグランパの灰をもらった。日本に撒いてあげるのだ。今もグランパの灰が私の隣に写真と一緒に置いてある。恐怖心など全くない。グランパがいつも一緒にいるというどこかお守りのような気がするのだ。人を愛すると全く恐怖というものがなくなるのだ。どこか不思議なような気もするが当然のことなのかもしれない。グランパはいつも私と一緒にいる。


私はここアメリカで世界一すばらしい家族に巡り合えた。グランパという苦しみを一緒に乗り越えることによって家族で大きな一体感が生まれたように思える。ホストファザーのメモリアルでのスピーチに私は感動してしまった。感動したという言葉はとても重みのある言葉なので私は簡単には使わないのだが、感動するに値するスピーチだったと思う。私を本当の家族と言ってくれたのはとてもうれしかった。おかげで涙が止まらなかった。


それと同時に私は世界一心の冷たい人にも会った。韓国人のハウスメイトはグランパのMemorialServiceから帰ってくるともういなかった。彼女の部屋はすっからかんであった。ホストファミリーにありがとうもグッバイも言わずに家を出ていった。残していったものといえば私がプレゼントしたブレスレットとホストシスターがあげたペンシル。代わりに割り勘で買った体重計はしっかり持っていった。なんて心の冷たい人間なのであろう。怒りと悲しみで私の心は爆発しそうだった。グランパの亡くなった2日後にホストファミリーの愛犬も亡くなった。それに2週間後になるまで気づかず、最終的に私の日本人の友達から聞いて知ったのだ。それに加えて、私に対してなんで教えてくれなかったのかと怒り、しまいには今月二人で一緒に行く予定だったLAの旅行も一方的にキャンセルされてしまった。日本を出てみて世の中の広さを知った。心の広い人もいれば考えられないくらい狭い人もいる。


私はこの留学で生きていく上での基本を学んだと思う。20歳にしてやっと生きるということの基本を学んだのだ。
物事には感謝するということが大切だ。感謝から何もかもが始まる。感謝することにより、その体験も最大限に


そして人生は真剣勝負だということだ。自分の死ぬところなど今、想像できないが、もし自分がやりたいことを全て成し遂げていたら死ぬ時、これからの未来に燃える人たちを見て、うらやましくならないのではないだろうか。私はそうグランパの前にいて思った。グランパは私をうらやましく思っているのかと考えた時、そうでない気がしたのだ。グランパはしあわせそうだったのだ。会社員、セールスマン、映画のディレクター、さまざまな事に挑戦してきたグランパは満足そうだった。大きな気持ちで死を受け止めている気がしたのだ。苦しい時も弱音を吐くことなく、ジョークを言って私たちを笑わせてくれた。そんなグランパ。私のだいすきなグランパ。私はグランパと4カ月しか一緒にいなかったことが未だに信じられない。まるで私とずっと一緒にいたかのようだ。こんなにも人に影響を与えられる人に出会えた私は幸せだ。


いつ死を宣告されてもI’m OKでいられるような人間でありたい。死へのカウントダウンはもう始まっている。私は死を意識した決断する術をこの留学で身に付けたともいえる。死を意識することで全てに重みが出てくる。もしかしたらこの人と会うのもこれが最後かもしれない。もしかしたらこれが私にとってラストチャンスかもしれない。こう思うことによって今自分に与えられた時間を重みあるものにデザインすることができるのだ。


死。それはある1人の人間がこの地球から姿を消すこと。でもそれ以上に私たちに与えられるものはある。