以前にも記載したのですが、
その記事が削除されて
本当に悲しいですね。
帰国子女とは、
親の仕事の関係で海外に住み、
現地の学校、日本人学校、
インターナショナルスクール、
アメリカンスクールなどに
通った子供たちのことで
それぞれ経験が異なります。
日本人学校というのは、中学まで
しかありませんので、その後の
進路は、インターナショナル
スクール、現地の高校、
アメリカンスクールの高校、
あれば、日本の系列の
学校(例えば、全寮制の英国立教、
全寮制の慶應義塾大学NYなど)があります。
それぞれ、学校も違えば
教育の仕方が全然異なるのですね。
なので、十把一絡げで判断は
できないのです。
十把一絡げとは、いろいろな種類のものを
無差別にひとまとめにして扱うということ。
インターナショナルスクールにも
レベルの違いがありますし。
日本人学校の場合は、日本の小学校・
中学校が海外にあるという
感じです。(月~金)
そして、大概の生徒は、日本の
高校受験で日本に帰るため
受験に向けた教育をしているのです。
ただし、アメリカにある
日本人学校補習校は、
土曜日だけの学校で、
普段の月~金は、現地校に
通っています。
日本人学校の授業は、もちろん
日本語で授業を行い、
それプラス、イギリス人や
アメリカ人の英語の先生の授業、
フランスだったら、フランス人に
よるフランス語の授業もあります。
でも、私のいたパリ日本人学校の場合、
大抵の生徒が、「フランス語なんて
勉強してもしょうがない。」という
感覚で、全然フランス語は
勉強していなかった様です。
それで、大人になって同窓会で
「やっぱり、あの時、フランス語の
勉強をしておけば良かった。」なんて
言う始末。
そんなものですよ。
あるいは、「現地校に行っておけば…」
とか。
それは、後から気づくことですよね。
親からすると、言葉の面で苦労させたく
なかったから、日本人学校に入れたという
ような。
そして、私の通っていたアメリカの
日本人学校補習校は、土曜日だけで朝から
夕方まで、国語、算数、理科、
社会というような授業だったのですね。
私は、少し通いましたが、日本語だったので
授業の内容をほとんど理解できませんでした。
普段、月~金は、アメリカのNYの現地校でしたから。
下の画像が現地校の入園の写真です。
卒園式
西謙一(けんちゃん)とは、兄弟のように育った訳です。
もちろん、姉の都ちゃんたちもね。
でも、けんちゃんたちが、結婚してからは、
お嫁さんの手前会ってはいませんよ。
いつだったか、西さんのおばさんが入院して
いた時に、私がちょこっと顔を出して、何十年ぶりに
けんちゃんに会ったのです。
西さんのおじさんが亡くなった時には、
葬儀は、欠席し、後からお宅に
お経をあげに、父と姉と3人でたずね
久しぶりに西さんのおばさん、都ちゃん
けんちゃんに会ったのです。
それに、いさやま家には、私は、NY以来会っていませんよ。
母と西さん、斉木さんのおばさんたちは、
京都で神東(いさやま)さんに会ったことが
あったのですが…
卒園式
上記の写真を合成だと言う大馬鹿ものたち。
とにかく、NYは、まるっきり
無関係ですよ!!!
このように、パリ日本人学校と
NYの補習校の日本人学校では、
まるっきり違うということが
理解できていなかったのでしょうね。
パリ日本人学校の同級生たちは。
パリ日本人学校で、はないちもんめをやっていた時の
写真がこちら↓
日本の高校の受験だったため、皆、本当、ピリピリしていましたよ。
私は、下の画像 前列左から3番目
パリインターナショナルスクール高校1年のクラス A5
私たちは、写っていません。
写っているのは、日本人だと、服部姉妹、筆宝義隆
上記の名前の部分
きちんと、名前は記載されているでしょう!!!
こちらがクリスですよ。
実在するに決まってるじゃないですか。
パリインターナショナルスクールにて、
A5の筆宝輝子(姉、一つ年上)、義隆(弟
私と同じ年)が日本に帰るというので、
輝子と、先輩の飯島和歌子さん、大森友子さんと。
私は、後列左 輝子の後ろに立っています。
義隆は、私と同じ年です。
輝子が私のサイン帳に書いたこと
↓
下の画像
一つ下の学年(A4)の篗田さんが日本に帰国する前
撮影した写真
篗田さんがクリスの妹クリスティナと
同じクラスだったのですよ。
篗田さんのクラスA4
上記の写真左にクリスの写真 先輩のニックがイジワルで
妹のクリスティナの隣に入れたのです。
クリスの隣の写真で、こちらを見ている女子がクリスティナ
クリスの写真がこちら↓
後列の三つ編みの女子が篗田さん
彼女の左2人目がパトリックの弟のピーター
晶子のお気に入りのピーター
篗田さんは、帰国し、ICU高校へ。
篗田さんは、クラスA4で日本人一人だったので、
中庭にいた時に「日本人ですか?」と声を掛けられてから
の付き合い。
それで、そのクラスにフランス人男子のオリヴィエがいたので、
篗田さんが帰国した後も、オリヴィエと話す機会は
ありましたけでどね。
帰国子女のそれぞれの経験について
例えば、ウラは、モロッコでは
アメリカンスクールに通い、
パリでは、日本人学校、卒業後には、
私とは、別の凱旋門の近くにあった
インターナショナルスクールに
通っていたのです。
その学校では、インターナショナル
バカロレアを取得できなかったので、
ウラは、高校2年の時に私の通っていた
インターナショナルスクール
(フランス語メイン)に
転校してきたのです。
高校2年(Premiere BI)
下記の写真
2列目、左からウラ、惣田さん、私、晶子、その右上が
漆間あや、あやの隣がピーター、その隣がケビン(黒人)
ケビンが帰国するというので、写真を撮影したら、
ケビンが「私を撮影する」と言って撮影したものが
こちら↓
私の後ろでカメラ目線なのが
ノルウェー人の女子 マリアンヌ(金髪)
私たちのアングル通りのアパート(16区)
下の画像、私の部屋、ずっと勉強し通しでした。
下の画像、右の写真は、突然、父が撮影して驚いてのけぞったのです。
机で勉強しているところ。
田邊の祖母が持っていた般若、おたふく、
4つあったのですが、現在2つだけですね。
現在家にあるのは、この2つです。
高校3年(Terminale BI) 日本人皆(美和は母が日本人、父がカナダ人)
下の画像、フランス語の先生 マダム・リュックスと。
インターナショナルバカロレアの試験の前
また、パリ日本人学校の同級生の
ヨヨ(朝野、保坂)は、子供の頃にも
パリにいたことがあり、
再び中学2年からパリ日本人学校へ
転校。
パリ日本人学校に通学して
いた頃から、フランスの現地校の
リセ・モリエールに通い、
日本人学校卒業後もそのまま
モリエールへ。
けれども、私が、高校3年の時に
モリエールから、私のインターナショナル
スクール高校の1つ下の学年に
転校してきたのです。
ヨヨのクラスには、パリ日本人学校後輩の
沼田ちえこさんと林麻里さんがいたのです。
現地校のリセ・モリエールには、パリ日本人学校の
同級生 佐藤敏知君も通っていたのです。
パリ日本人学校の同級生
門奈千絵さんは、日本人学校卒業後
ピアノの音楽学校に通ったのです。
門奈さんの学校の見学をした時の写真。
「エコール・ノルマル・ド・ミュージック」
音楽学校は、初めて見学、ピアノの個人レッスンだったのですよ。
私のパリインターナショナルスクール高校とは
まるで違う音楽学校。
パリ日本人学校、パリインターナショナル
スクール高校の同級生 スチュワート美和は、
カナダからパリに来て、アメリカンスクールに
入ったのですが、いじめに合い、パリ日本人
学校に転校。
パリ日本人学校を卒業した後、
私のインターナショナルスクールの
フランス人クラス(seconde3)に転入し、
高校2年から私のインターナショナルクラスに
入ってきたのです。
美和のフランス人クラス seconde3
スペルミスで、Steward Jiwaになっています。
美和は、上記の写真の一列目、一番左。
なので、美和がクリスを知ったのは、
高校1年の最後、6月頃ですよ。
これだけ、パリ日本人学校同級生でも経験が
異なるのです。
パリインターナショナルスクール高校1年と2年(1ヶ月)ほど
いた漆間あや(結婚後 川島)は、突然いなくなったのですね。
あやのおばさんがサンフランシスコにいたのも事実。
あやのおばさんが「さが」というお店を出していたのです。
その後、どうしていたのかというと、フェイスブックを
はじめて3年くらいしてあやを見つけたのです。
(またいなくなった)
あやは、私たちの高校から全寮制の英国立教へ転校
卒業後は、明治大学に入学、卒業、結婚(川島
旧姓漆間)そして、おばさんのいたサンフランシスコへ
移住したのです。
パリインターナショナルスクール同級生の
服部姉妹は、外交官のお嬢さんたち。
私が知っている限りでは、
最初、NYからバングラデシュ、オランダの
アムステルダム、パリと父の転勤で
4ヵ国に住んでいたのです。
服部姉妹は、アムステルダムでは、
アメリカンスクールに通っていたのです。
服部ともこが姉で、妹のきょうこが私と
同じ年です。
ヌイイの晶子(しょうこ)の家で、パリインターナショナル
スクールの同級生たちと先輩ののりちゃん、
パリ日本人学校同級生松本陽子(まつ)と。
まつは、前列一番左。
まつは、私たちとは、別のインターナショナル
スクールに通っていたのです。
私たちの一つ上の学年 のりちゃんたちのクラス
飯島さん、大森さん、沼田真理子さん、高橋ポール、なかのみかさん
ひょっとして、パリ日本人学校同級生二見道康の姉あやこさんも??
少しの間いました??ね!
思い出しました…
にもかかわらず、どうして、パリ日本人学校でクリスが実在しない
なんて話になったのですか???
以前にもお話しましたが、
私の通っていたパリインターナショナルスクールでは、
高校1年までは、フランス語の授業以外、英語だったのですね。
その時、クラスは、A5でした。
でも、フランス語の勉強になるからと、フランス人クラスの
secondeの体育の授業に参加してたのです。
因みに高校1年のイギリス英語の授業もフランス人クラスと
一緒だったのです。
英語の教科書
なので、アントワンヌも知っているのです。
そして、高校2年からは、インターナショナル
バカロレアの試験のプログラムになるので、
授業を選択しなければならないのです。
それで、私は、英語を語学として取ることが
できなかったのです。
というのも、母国語である日本語が
必修だったからです。
それに、もちろん、フランス語も必修。
「私は、英語の勉強をしたいから」と
「もう1年高校1年で勉強させてほしい」と
マダム・リュックスにお願いしたのですが、
「駄目」と言われたのです。
それで、「母国語以外の授業をすべて
フランス語で取りなさい」と言われたのですが、
どうしても英語を捨てることができず
「生物を英語で取らせてほしい」と
お願いしたのです。
それも、選択できたのが、高いレベルの
生物の授業。
無謀な選択だと思いましたが、でも
やっぱり生物の授業があったから、
頑張れたような気がします。
なので、他の科目、美術、地理、
数学、知の理論(フロイト、カント、
哲学のような)
バスケットボールもすべて
フランス語。
課外事業も必修
私たちは、福祉活動として、
目の不自由な人たちのために、
フランス語で、本を読んで
それをテープに録音するという
課外活動を選んだのです。
その課外活動の中には、楽器が上手な
人は、それを他の人達に聞かせるとか。
歌とか。あったのでしょう。
イヤーブックを作る、スポンサー集めとか。
それは、色々あったのです。
なので、フランス語がメインの
インターナショナルスクールだったことが
分かると思います。
惣田さんと晶子は、母国語以外
すべてフランス語で授業を取っていました。
日本人が持っているイメージの
英語だけのインターナショナルスクールとは
かなり異なります。
とにもかくにも、私は、2007年から
現在に至るまで、お話ししているのは、
パリインターナショナルスクール1年の
同級生のクリストファー(クリス)と
国際結婚するということです。
閉経するまで飼い殺し。卵子凍結もなし。
なんてあってはならないのですよ。
そんなことに私は同意しませんよ。
結婚の妨害をするなんて最低です。
大変な人権の侵害です。
思い出でもなく、未来のことでもなく、
ずっと現在続いている話です。
私とクリスの子供たちを諦めませんよ!!!
日本に住むことはありません!!!
自分で海外留学することと、親の仕事の
転勤で海外に住むこととはまるっきり
違うのですよ。
それに、会社での転勤も、国を選ぶことは
できないのです。
そんなことができたら、誰も苦労はしませんよ。
帰国子女のいじめの記事
参考元
私の場合は、沼間小学校の5年間、残酷で、陰湿ないじめに
合いましたが、登校拒否もすることもできず、学校に
通い続けるしかありませんでした。
葉山に引っ越したことが、転機になったのです。
沼間小学校のいじめっこのボスだった
小山田泉が、SEIKOの元同期の渡辺佳乃(松本)
ちゃんと高校の同級生だったため、そこから、
悪いデマが流れつづけたのです。
それに、同じく沼間小学校の同級生
いじめっこ池田喜美子(元D会員)
結局、子供の頃から、いじめっこだと、大人に
なっても変らないのです。
それを信じ続けたD会落合弘美さん
小山田泉からも、池田喜美子からも
私は、謝罪を受けたことは
ないのですからね。
子供の頃にきちんと謝っておけば、少しは
違う方向にいけたのかもしれないけれど、
変ることがなかったのです。
落合弘美さんも、私に対して「何をどうしたのか
謝らなければならないのです。」
「悪いうわさを信じてそれを吹聴して
喜んでいたのです。
金子妙子さんと一緒になって、皆で。」
そのことを心底謝罪するべきなのですが。
それができないまま
一体何のために、信仰しているのですか???
逃げても無駄なのです。
罪を償うしかないのです。
それは、本当の刑務所に入るということです。




























































