愛子さまは「お市の方」の子孫である…信長亡き後、織田家の血筋を皇室へとつなげた「お市の娘の執念」【2026年2月BEST】
私は、織田信長の末裔ではないのです。
映画「レジェンド&バタフライ」の濃姫も
無関係ですよ!!!
私の母方は、薩摩藩の島津家(嶋津)です。
次の記事
徳川家と宮家、そして天皇家に嫁ぐ忠義の娘
明治三十二年(一八九九)十月六日、島津忠義の
八女俔子(ちかこ)(生母は側室寿満子)と
久迩宮邦彦王(くにのみやくによしおう)(中川宮の
三男)が、明治三十五年十一月二十六日には、
忠義の四女常子(ひさこ)(生母は同じく
側室寿満子)が伏見宮家出身の山階宮菊麿王の
妃となる。翌明治三十六年三月六日、
久迩宮邦彦王と俔子との間に長女良子(ながこ)が
誕生する。
明治四十二(一九〇九)十一月十五日、天璋院
(篤姫)の遺言に従って島津忠義の十女正子(なおこ)が
公爵徳川家達の嫡男家正(のちの徳川宗家十七代当主)に
嫁ぐ。すでに(明治三十年頃か)島津忠義の五女知子
(生母は側室寿満子)は、田安徳川家の当主で
伯爵徳川達孝(さちたか)(家達の弟)の後妻
となり(達孝の最初の妻は、慶喜の長女鏡子(きょうこ)、
大正五年(一九一六)七月二十五日には、忠義の
十一女為子(生母は、側室菱刈久)が紀州徳川家の
当主で侯爵徳川頼貞(家正の従兄弟)の妻となる。
戊辰戦争で対立した島津家と徳川家ではあったが、
結びつきを深めていたのだ。
伏見宮邦家と鷹司景子の子である久迩宮朝彦と島津俔子が
結婚。
その娘、良子(ながこ)が昭和天皇と結婚しているのです。
伏見宮邦家と鷹司景子の子である北白川宮能久と
島津富子(宇和島藩最後の藩主だった伊達宗徳(のちに侯爵)の
次女。後に旧薩摩藩国父の島津久光(のちに公爵)の養女)が
結婚。
その子供の小松輝久と島津薫子(島津忠済の娘)が結婚。
つまり、島津富子さんは、島津とは血縁関係が
ないのですね。
篤姫は、薩摩藩島津家の一門今和泉島津家に生まれ、
島津本家の養女となり、更に五摂家筆頭近衛家の
養女として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府
第13代将軍・徳川家定御台所となった人物
実父は薩摩藩主島津家の一門・今和泉(いまいずみ)
領主・島津忠剛。母は島津久丙の娘・お幸。
薩摩藩9代藩主・島津斉宣の孫である。

なので、島津家の女性たちで、際だっていたのが、
篤姫と香淳皇后(島津俔子の娘)良子
そして昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子、末子)
貴子さん。
貴子さんは、第126代天皇・徳仁(今上天皇)と
秋篠宮文仁親王の叔母。
第125代天皇・明仁(上皇)と
常陸宮正仁親王の妹。
貴子さんが結婚したのが、島津久永さん
島津久永さんと貴子さんの長男・禎久さん
(昭和天皇の孫)が結婚したのが、
カナダケベック出身の白人女性で
家族でカナダ在住であり、一男、
一女に恵まれています。
なので、私が国際結婚してはいけないなんて
天皇陛下が命令するはずがないのです。
私も、お金目当てではありませんよ!!!
ただ、パリインターナショナルスクール
高校1年の同級生クリストファー(クリス)と
結婚し、サンフランシスコに
住むと言っているだけなのです。
それも、2007年から現在に至るまで
ずっと続いている話です。
もちろん、私も普通の女性、クリスも
普通の男性なのですよ!!!
天皇陛下の命令なんて大嘘をD会の
落合弘美さんが吹聴したので、仕方なく、
姿を隠しているのです。
クリスは。
おまけに榊原雅彦らが戦争などと
口にしたからです。
それに、榊原雅彦が、徳川慶喜の末裔の
榊原家のふりをしたからです。
それだけのことです。
それで、私は、閉経するまで飼い殺し。
卵子凍結もなし。なんて異常な
ことになったのですよ。
そんなことをしてはいけないのです。
分かりましたか???
私は、これからクリスと結婚するのです。
クリスが日本に来ることはありません!!!


























