2025年12月21日終了

静嘉堂文庫美術館

「静嘉堂の重文・国宝・未来の国宝」を

鑑賞してきました。

 

 

 

岩崎家(静嘉堂)と博覧会
 
日本が初めて万国博覧会に正式参加したのは、
1867年パリ万国博覧会である。
「博覧会」なる日本語もこれを機に
誕生したもので、初出は2年前、慶応元年
発行の公式文書にみる「仏国博覧会」である。
福澤諭吉「西洋事情」では、「博覧会」とは、
各地の名産、産業、古物奇品を集め、世界の
人々に示す産物の大会であるとする。
出品事例としてあがった「古代の名器」
「書画等」は今でいう美術品であり、
「博覧会」に出品された文物は、
いわばそれぞれのジャンルのその時の
日本の代表といえよう。本章では、岩崎彌之助
小彌太が、それぞれ博覧会やそれに準ずる海外展に
出陳協力をした美術品を概観する。
 
ごあいさつ
 
このたび、静嘉堂@丸の内開館3周年にあたり、
「修理後大公開!静嘉堂の重文・国宝・未来の国宝」展を
開催するはこびとなりました。本展では、2025年日本国際
博覧会(大阪・関西万博)の開催を記念し、岩崎彌之助、
小彌太、父子および静嘉堂として博覧会に出品した品々を
皮切りに、静嘉堂ならではの東洋絵画の優品を一堂に
展観します。加えて、これを機に後世に伝えたい静嘉堂の
所蔵品を「未来の国宝」と銘打って改めてご紹介します。
また当館では、文化財を守り伝えるべく、平成11(1999)年
より、国宝や、重要文化財を中心に修理事業を継続して
まいりました。
この度、修理を終えて美しくよみがえった作品群は、
文人趣味の岩崎父子にふさわしく、詩書画一致の水墨画や
文人画が大多数を占めます。本展がこうした東洋絵画の
メッセージを一歩踏み込んで味わう機会となれば幸いです。

 

画像A

 

 

 

参考元

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考元

https://www.seikado.or.jp/file/wp-content/themes/seikado/images/exhibition/251004/exhibition_list251004.pdf

 

 

 

 

東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)で、

大阪・関西万博を記念した展覧会「修理後大公開!静嘉堂の

重文・国宝・未来の国宝」が開催される。会期は10月4日~12月21日。

 静嘉堂@丸の内の開館から3周年となる本展では、

同館ならではの東洋絵画の逸品が勢ぞろい。

また大阪・関西万博にちなんで、会場では、20世紀初頭の

博覧会に出品された岩﨑家(静嘉堂)所蔵の琳派や肉筆浮世絵、

近代絵画などのほか、国宝から重要文化財、重要美術品、

そして「未来の国宝」ともなり得る菊池容斎の巨大絵画に

至るまでを展示。

さらに、近年修復を終えて蘇った室町時代の屏風や

中国宋・元の掛軸などもこのタイミングでお披露目されるという。

 

 会場は全4章構成となる。例えば1章では、岩﨑彌之助の

時代である「第四回内国勧業博覧会」(1895)、「パリ万博」(1900)、

「日英博覧」(1910)に出品された文物の数々を紹介する。

 

 

参考元 画像Bと同じ

 

参考元 画像Bと同じ

参考元 画像Bと同じ

 

 

鶏がお好きな秋篠宮殿下

 

 

第2章では、室町時代の屏風や中国宋・元の掛軸などの東洋画が

修復後初公開される。

東洋絵画には、中国の詩画一致(詩画同源)の思想に倣い、

しばしば画中に作者や作品に関わった人々の賛(題や詩文)が

添えられていることがあり、これらは宋代以降、

文人たちのあいだで「詩書画」の三位一体で鑑賞されてきた

歴史がある。

ここでも1970年の大阪万博にて出品された作品が

展示されるが、それらはすべて詩画一致の作品で

あったという。

 

参考元 画像Bと同じ

 

第3章では「未来の国宝」として、幕末明治の画壇の重鎮で、

明治中後期に隆盛する「歴史画」の先駆者でもあった

菊池容斎による巨大絵画と、中国明清時代の巨大絵画を

前期会期にて展示。

また後期は、近年修理を終えた2つの重要文化財の屛風と、

伝周文《四季山水図屛風》、式部輝忠《四季山水図屛風》が

あわせて展示されるという。

 

参考元 画像Bと同じ

 

最終章は、岩﨑父子にまつわる静嘉堂ならではの未来の国宝、

そして宋元の美術・古典籍で締めくくられる。

前期は、文人画家・渡辺崋山の名幅《月下鳴機図》と、

それを小彌太が丁寧に摸写し、松方正義が詩を添え双幅とした

作品を紹介。

後期は、南宋時代の国宝《風雨山水図》や、国宝《曜変天目》、

国宝《与中峰明本尺牘》などが展示されるという。

 

画像B

 

参考元

 

 
京都が初めて会場となった博覧会で、平安遷都1100年
記念事業。同時に平安神宮の創建、市電の開通など観光都市
としての基礎が作られた。会場の主要建物は、工業館、農林館、
機械館、水産館、動物館、美術館の6館。開催前年に没した
京都府知事・中井弘(ひろむ)の企画で、美術館では
東西の日本画家による屏風絵の競演がなされた。
彌之助は、中井の依頼で資金面で、協力。11件が展示され
うち現在8件が静嘉堂の所蔵。黒田清輝「朝妝(ちょうしょう)」が
裸体画論争を巻き起こすなど美術の話題の豊富な博覧会だった。
 
京都の伏見家ではありませんよ!!!
画家無関係。
 
1.野口幽谷「菊鶏図屏風」
 
秋の陽のもと白と黄色の菊が咲き誇り、根元には、可憐な瑠璃雛菊
(るりひなぎく)。雌雄の鶏の堂々たる姿と菊花の生命力が画面に
あふれる。野口幽谷は、関東南画の系譜の画家で明治26年帝室
技芸員。本作は、彌之助の出資で、第4回内国勧業博覧会のため
制作された屏風の一つ。妙技2等を受賞。15年後、岩崎家より
日英博覧会にも出品。豊穣な花鳥図を得意とした幽谷の代表作。
 
⇒野口健さんは、無関係ですよ!!!
ただ、父親が、外交官ということと、
お兄さんが三菱商事で働いていたから。
それに、英国立教出身だからです。
 
それが理由です。
 
皆、情報が繋がっているからです。
 
幽霊でもありません。
馬鹿馬鹿しい!!!
 
花鳥図⇒SEIKOの島崎五美雄元課長が
島崎藤村の孫だったからと、あらぬ方向に
話が脱線したのです。
 

そんなことある訳ないでしょう!!!

 

ハーバード大学創立300記念祝典に際し、ボストン

美術館の依頼を受けた国際文化振興会が日米友好に

資すべく開催した日本美術展。同館を会場に、日本から

国宝2件、重要美術品25件を含む、絵画、彫刻、書跡、

刺繍など6世紀から19世紀の美術品百点を集めた。

帝室博物館や御物、東京美術学校の他、政財界人の

所蔵品も多い。また模造、模写も有効活用した。

実行委員長は、公爵徳川家達、顧問に細川護立ら

各界の著名人、美術史家・矢代幸雄らも関係した。

ボストン美術館が東京で印刷した豪華図録あり。

 

ハーバード大学

NYからのいさやまともき

 

クリスの兄

 

慶應義塾大学法学部教授 玉井清さんも

ハーバード大学に留学していました。

 

皇后雅子様

 

 

ボストン⇒ドラマ「ロングバケーション」に

こじつけたのですよ。

D会の会員たちも。

 

6.伝 周文 「山水画」

 

双松が高く伸び、渓谷から水が流れだす。

梅に囲まれた庵に1人、高士が外を眺める。

中景の汀にも庵が結ばれ、3艘の舟が浮かび

手前の舟には、高士が乗る。もう1艘は、明友を

訪ね来たのだろうか。詩はないが、随所に

文人の営みが描かれる。本作は、無落款だが、

周文の作と伝えられており、こうした

水墨画が選ばれボストンに渡った。

 

⇒中国ではありません。

船頭でもありません。

 

映画「福田村事件」無関係ですよ!!!

でも、そうやって、皆で黙っていたって

無駄な抵抗なのです。

 

すべて分かっているから。

 

SEIKO元宣部先輩 吉野周さん

 

7.酒井抱一 「麦穂菜花図(ばくすいさいかず)」

 

雲雀(ひばり)と青麦、菜の花をテーマにした

清明な双幅。一方には、風に揺れる菜の花の上を

羽をいっぱいにひろげた1羽の雲雀を描く。

もう一方には、真っ直ぐ天に伸びる青麦の上を

さっと通り過ぎる雲雀を描く。俳味のある対の

趣向を意識した情景である。本作は、文人墨客と

交わり、俳諧をよくした江戸琳派の祖・抱一なら

では。日本美の代表としてボストン美術館に

出品された。

 

美空ひばりさんのように、兄弟の子供を

養子にもらったりしません。

 

そんなことを強要してはいけないのです。

 

大迷惑です。

 

私とクリスの子供達だから意味があるのですよ!!!

 

普通そうでしょう。

 

誰だって。

 

自分達の子供でしょう。

 

子供や孫がいる人達に子供のいない人の

気持ちはわかりませんよ。

 

冷たい人達です。

 

D会故小林とも子さんの家の近所には

美空ひばりさんのお墓があったのです。

 

ヒトラー統治下のドイツ政府の依頼に

日本政府がこたえ、日本美術の優秀性を

宣揚し、両国の親善を目的に開催。

日英博の規模には、及ばないが、国宝29点

重要美術品63点を含む絵画104点に

彫刻を加え126点で日本美術史を展観した。

通史的かつ日本美術の特質とされる仏画、

やまと絵、絵巻、装飾屏風などで構成。

御物、社寺や帝室博物館、ほか、個人

所蔵品が第二次大戦半年前のドイツに

輸送された。小彌太は、他に重文「駒競行

幸絵巻(こまくらべぎょうこうえまき)」、

同「住吉物語絵巻」も出陳。豪華図録

「伯林日本古美術展覧会」あり。

 

⇒どこのどいつだ?と言ったのでしょう。

 

パリインターナショナルスクール高校1年の同級生

クリストファー(クリス)

 

知りませんでしょう?

 

8.伝 尾形光琳 「布引滝及び鶏図(ぬのびきの

たきおよびとりず)」

 

貴族の滝見の場面を中心に左右に雌雄の鶏を

配す。中幅は、芦屋の里に住む男が兄たちと

布引の滝見物に出掛け、歌を詠んだ「伊勢物語」

「布引滝」の場面。本作は、「光琳百図後編」

(文化9年刊)掲載の「伊勢物語」と草花図を

押絵貼にした「彩色十二枚屏風紙本」のうちの

3図だろう。落款は後入れだが日本を代表とする

光琳画としてベルリンで展示された。

 

 

芦屋⇒パリ日本人学校同級生 中林裕晴

違います。

 

物語ではなく、2007年からずっと

今現在まで続いている話です。

 

⇒国連 緒方貞子さん

 

5.山本森之助 「濁らぬ水」

 

山本森之助は、長崎出身で黒田清輝の弟子。

岩崎小彌太が支援した洋画家。本作は、

小彌太の「何でも描きたいものを」との

依頼に応え、御嶽昇仙峡(山梨県)の

黒平温泉近くの渓流を数ヶ月取材した

意欲作。移ろう自然の表情を描く森之助の

写実の1つの頂点。日英博覧会の前年の

第3回文展での3年連続の受賞作であり、

岩崎家より日英博覧会「新美術」

部門に出品した唯一の作。

 

⇒ドラマ「外交官 黒田康作」

外交官の責任です。

 

山梨出身の母のいとこ(嶋津の祖母の弟の子供)

 

山梨だからって武田信玄に結び付けられたのです。

 

違います。

 

薩摩藩の島津家(嶋津)

 

ロンドン ホワイトシティ

 

日英同盟(明治35年)の継続と友好強化を

目的とした2国間のみの博覧会。日本は、

過去最高の博覧会参加費208万円を投入。

会場には、社寺建築や日本庭園が造られ、

美術展には、国宝33展を含む古美術1138点、

新美術(同時代の美術)263点を展示。

内務省編「特別保護建造物及び国宝帖」

(審美書院)を刊行。小彌太は、第4回内国

勧業博覧会出品作より野口幽谷「菊鶏図屏風」

(No.1)や滝和亭の屏風(焼失力)。尾形光琳

の屏風(関東大震災焼失)、浮世絵など全8件を

出品。展示と出版の両面で日本美術の優秀性を

誇示した。

 

⇒姪とロンドン旅行、何もありません。

マダムタッソー(ろう人形博物館)ですよね???

人形ではありませんよ!!!

 

 

1910年 日英博覧会

 

修理後初公開!

詩画一致の絵画

 

東洋絵画には、しばしば画中に作者や作品に

関わった人々の賛(題や詩文)が添えられている。

これは中国の詩画一致(詩画同源)の思想による

ところが多く、宋代以降、文人たちの間で、

詩書画は、三位一体で鑑賞されてきた。

日本では、この考えは、室町時代の禅僧たちに

よる「詩画帖」「書斎図」に反映される他、

江戸時代以降の文人画(南画)と共に隆盛する。

興味深いことに静嘉堂所蔵の絵画の国指定文化財

35件のうち、詩画軸や文人画は17件にのぼり、

1970年大阪万国博覧会には、所蔵の詩画一致

の絵画7年が出品された。彌之助や小彌太が

蒐集した詩画一致の絵画は、戦前から戦後に

かけて、高い評価を受けてきたのである。

当館では、貴重な文化財を後世に伝えるべく、

近年国指定文化財を中心に修理事業を継続

している。修理後美しいよみがえった画面を

詩と共に味わうことで、深遠な時空間を

感じていただきたい。

 

滋賀ではありません。

 

総合テーマは、「人類の進歩と調和」

国立西洋美術館初代館長富永惣一を

館長に迎えた万国博美術館で、文化財行政に

携わり、水墨画や仏画研究の第一者で

ある松下隆章実行委員長のもと、「調和の

発見」と題して5つのテーマ(I創造のあけぼの、

II東西の交流、III 聖なる造形、IV自由への

歩み、V現代の躍動)を掲げ、世界各国から

絵画・彫刻を中心に732点もの名作を集結

させた大規模展。

静嘉堂からは国宝・因陀羅筆楚石梵琦題

(いんだら筆そせきぼんき)

「禅機図断簡(ぜんきずだんかん)」

 

10.陳  紹英 「夏景山水画(かけいさんすいず)」

 

絹本墨画 一幅

 

山々が奥へと続く。滝の流れや木々が風に

揺れる音に囲まれた岸辺の書斎で読書する

文人が一人。訥々(とつとつ)とした線、

淡墨を重ねる木々などは元末四大家

(げんまつしだいか)の呉鎮(ごちん)に

倣ったという。陳  紹英は、杭州の人。

本作は、順治10(1653)年にある人物の

寿を祝し、贈った作。明清画のコレクターで

漢訳洋書の翻刻・出版した福田鳴鵞(めいが/

敬業(たかのり))の旧蔵品。1970年大阪

万博出品。

 

⇒D会山口絹江さんが元

 

SEIKO元同期の陳韻如(いんちゃん)

ですけど??何か?

 

SEIKOの元鈴木部長が料理の周富徳さんと

知り合いだったのも事実。

 

⇒葉山小・中学校同級生 亀ヶ谷栄謙(たかのり)

 

11.横山 雲南(黄仲祥(おうちょうしょう))

模本「夏景山水図(かけいさんず)」

 

No.10と共に伝来した模本。款記より安政5年

7月に黄仲祥が無壊道人(むかいどうじん)

(陳  紹英)の真筆を翠陰なる人物の依頼で

臨模したと知れる。ほぼ同寸の絖(ぬめ)に

達者な筆で描いた本図は、中国画と見まごう

ほどである。横山雲南は、出雲(島根県)に

生まれた文人画家。本図は江戸で多くの中

国画を臨模した時期の佳作。初公開。

 

13.伝 周文、玉えん梵芳など

三益斎図ならびに序

 

玉えん梵芳の序より、東福寺の中和歓公侍者が

自身の「松竹梅下の斎居」即ち書斎「三益斎」を

画工に描かせたもの。序・詩・画が揃った室町期の

詩画軸の最盛期の作。書斎は、3本の松、紅梅、

奥に竹に囲まれる。三益とは交際して利となる

3種(正直、誠実、多聞)のこと。序や画中の

賛では、8人の禅僧が三益と松竹梅の歳寒三友

(さいかんさんゆう)を踏まえた詩を寄せる。

1970年大阪博出品。

 

周文

室町中期(15世紀前半)の画僧。号は、越景

(えっけい)、字は、天章(てんしょう)。

京都・五山の一つ相国寺(しょうこくじ)の

僧で、後に室町幕府の御用絵師となった。

生没年や確実な真筆は不明。五山の禅僧たちの

隠逸趣味、文人趣味を反映して流行した

「詩画軸(しがじく)」の形式を確立させた他、

屏風などの大画面においても、水墨山水の

典型を作り上げた。弟子には、雪舟、墨渓、

岳翁など。

 

21.王 建章 「米法山水図(べいけんしょう)」

 

金箋紙(きんせんし)に米法山水の手法で

驟雨に煙る山々を描く。家の主人は、滝を眺め、

雨の中、石橋の道を蓑笠を着けて歩く人は、

主人を訪ねるのだろうか。題詩と款記より、

天啓7(1672)年の春、蓼翁馮(りょうおうふう)

老先生なる人に王建章が謹呈した作。

王建章は、福健省泉州の人。

本作は、江戸時代後期より煎茶の世界で珍重され、

大正期岩崎家の席を飾った。

模本も多数ある。

 

 

⇒法律です。

 

王貞治さんのような年の差なんて

御免被ります。

 

 

22.王 建章「川至日升図」

 

主山の中腹から滝が流れ、大きな松樹と柏の

後ろから水が満ちて波が立ち、右上方に旭日が

浮かぶ。自題「川至日升図」は、「詩経」小雅・

天保編の天が天子の位の安定を示す9つの喩

「山・阜・岡・陵・川至・恒月・日升・南山・

松柏」より「川の方(まさ)に至るが如く」

「日の升(のぼ)るが如く」。修理により軸首

内側の墨書「寿」を発見、長寿を祝い描かれ

装丁されたのだろう。

 

⇒アニメ「エースをねらえ」

岡ひろみ、宗方仁無関係ですよ!!!

 

23.李士達(りしたつ)「驟雨行客図(しゅうう

こうきゃくず)」

 

 

粗い絹地に双峰が描かれ、 俄雨を避け客舎に

走る行旅の人々を劇的に描く。画中の詩は、

杜甫(とほ)が晩年、官を辞し家族を連れ

秦州(甘粛省天水)に逃亡した時の一部

「(塞)門風落木、客舎雨連山」である。

本図は、明末の動乱を生きた李士達が、

不遇な杜甫に共感して描いたとされる。

李士達は、中国・明末蘇州で人気を博した

職業的文人画家。号は仰槐(よくかい)。

 

そうですよ。欲だらけ。

 

坂本達違います。

 

旧上巻 裂をつけた状態での巻姿

 

本格解体修理をした際、上巻裂(うわまききれ)

および総裏(そううら)に使用されていた

厚みのある裂(きれ)を取り外した。

江戸時代以来、本作を愛でた人々が施した

豪華な装丁も保存すべく、旧総裏、上巻裂を

再使用して、旧表装を復元した。

 

 

24.枚田  水石(ひらたすいせき)

模本「驟雨行客図」

 

五言詩の一文字目「塞」「客」が欠如し、

三角形に絹が補われる。原本に忠実な

模本。枚田水石は、古河藩士。谷文晁

(たにぶんちょう)門下となり

「文」の1字を授り文石と称したが、

他人に請われて号を譲り水石に改めた。

雪の殿様・土井利位(どいとしつら)

の信頼篤く、20年あまり江戸で利位に

仕え、福田半香(ふくだはんこう)、

椿椿山(つばきちんざん)ら文人

墨客と交流した。

 

⇒中央大学同級生 平田寿樹君

無関係ですよ!!!

 

三角関係はどこにもありません。

 

クリスと私は、相思相愛なのですよ!!!

 

パリ日本人学校、パリインターナショナルスクール高校

2年からの同級生 ウラ(三浦・森澤久美子)でしょ???

 

ハンコ王子のトニオロ・ロマは、昔、

クリスがこんな感じだったと表現するためです。

 

25.高久 靄涯(たかくあいがい)

模本「驟雨行客図(しゅううこうきゃくず)」

 

紙本墨画淡彩 一幅

 

李士達画に想を得、その筆意に倣ったいわゆる

倣古作(ほうこさく)。あるいは、原本ではなく

模本から本図を制作した可能性もある。高久靄涯は、

谷文晁の門下となり、文晁が模した藍瑛(らんえい)

「秋景山水図」(当館蔵)に倣った山水図を複数

残している。渡辺崋山(わたなべかざん)や

椿椿山、立原杏所(たちはらきょうしょ)と

共に、文晁四哲とされ、蛮社(ばんしゃ)の

獄で崋山が捕えられると、救出活動に尽力した。

 

⇒火山⇒滝沢秀明さん???フォローしたから???

違います。

 

何から何までいちいち、こじつけるのは

やめて下さい!!!

 

⇒紙本⇒神元⇒宮家ではないのです。

旧華族。

 

⇒キリスト教徒ですけど、

神父や牧師ではありません。

 

年寄り御免被ります。

 

26.趙 左(ちょうさ)「雪景山水図」

 

雪山が霞の中から現れる。蟹爪樹風

(かいそうじゅ)の木が楼閣に向かって

伸び、漁を終えた漁民が舟をつける。

楼閣の上から滝が流れ、主山の周りに

大気が満ちる。郭煕(かくき)「早春図」

(台北・国立故宮博物院)から主題と

モチーフを採りデフォルメさせたもの。

題詩は、唐代の詩の引用。趙 左は、

明末の画家。本作も幕末明治期に

珍重された中国画の1つで、模本も

知られる。

 

⇒ドラマ「メンタリスト」

キンブル・チョー役のティム・カンさん

無関係ですよ!!!

 

⇒SEIKO香港の元同僚 キャロル・チョーは、

ドイツ旅行中に、出会った中国の方と

結婚されています。

 

私は、旅行中、何もありませんよ!!!

 

 

掛幅の修理 水墨画の場合

 

紙に描かれ、掛軸に装丁した作品は、

取扱時に折れや擦れが生じやすく

折れた部分に亀裂が入ってしまうこともある。

本格解体修理により、掛軸の裏打紙(うら

うちがみ)を全て除去し、新たな紙に

交換すると、折れやしわは無くなる。

現在の絵画修理では、原本に新たに

筆を加えることはしない。過去の修理で

加筆が施された補修紙も基本的には

取り除き、新たに本紙と同じ紙質、

同じ色味に調整した補修紙を入れる。

そこにさらに極々薄い絵具を何度も

何度も慎重に塗り重ねてゆく「地色

補彩(じいろほさい)」を施すと、

本紙にあいた大きな穴も、本紙に

溶け込んで、目立たなくなる。ノイズを

無くすことで、オリジナルの筆墨の

魅力が際立ってくるのである。

 

⇒過去のことではなく、2007年から

ずっと現在まで続いている話です。

 

私の結婚の話。

 

穴⇒映画「アナと雪の女王」

でしょうね。

 

憧れの明清画

豪華な装丁、模本や倣古作

 

静嘉堂の中国画の多くは、彌之助時代に

蒐集された時期は不明だが、これらは、

掛軸の裏側にまで豪華な厚手の織物を用いた

特異な装丁がなされている。これは、

作品を大切にしていた証であると同時に、

掛軸の巻き姿や、あるいは出し入れの

様子を美しく見せるためであろうと

想像される。李士達「驟雨行客図」

No.23(前期展示)はその典型的な例で

総裏の裂まで分厚く豪華であったため

逆に本紙を傷めてしまった。

豪華な装丁の中国画には、模本も

多く伝わる。カメラやコピー機が

ない時代、模写は、貴重な中国画を

後世に残す、また先人に学ぶ手段であった。

模本は必ずしも原本にそっくりである

必要はなく、「倣古」という歴代名画の

筆意に倣う、文人画の考え方により

原本に倣って自身の解釈を加えた

作例もある。

 

未来の国宝!

謝時臣(しゃじじん)「四傑四景図

(しけつしけいず)」と菊池容斎

の巨幅

 

明代中期の職業的文人画家・謝時臣が

描いた「四傑四景図」(嘉靖30(1551年))は、

重厚感ある四季山水に、中国古代の4人の

英傑(春秋戦国時代の蘇秦(そしん))前漢の

宰相・朱買臣(しゅばいじん)、前漢の

韓信(かんしん)、北宋の宰相・呂蒙正

(りょもうせい)の苦難の時代を描く。

一方、幕末・明治期に活躍した菊池容斎が

描いた「馮昭儀当逸熊図(ふうしゅうぎいつ

ゆうにあたるのず)」(天保12年(1841年)

と「呂后斬〇夫人図(りょこうせきふじんを

きるのず」(天保14年)は、一部の仏画を

除けば破格の大幅に「漢書」「外〇伝(皇后や

皇太后、皇帝の寵姫らの伝記)」に取材した

前漢の傑女の逸話を描く。

制作背景は異なるが、共に大画面に、画題

としては、珍しい中国古代の説話(歴史画)を

描く。後者は、旗本の久貝因幡守正典

(くがいいんばのかみまさのり)の依頼によるが

前者も特注品だろう。一種奇怪な思想をも〇む

こうした主題を大勢で鑑賞できる大幅に描いたのは、

何のためであろうか。

 

第5回 パリ万博博覧会

明治33(1900)年4月15日~2月3日

 

テーマは、「過去を振り返り20世紀を展望する」

フランス外務大臣の要請に応じ、日本館で

日本古美術展覧会を開催。御物を含め、社寺や

個人所蔵家から総計381点を集めたのだった。

当時の市場を反映してか、工芸品は硯箱や

印籠などの漆器や刀装具などの武具が多く

展示され、岩崎彌之助も武具(兜、面頬

太刀、胴、刀装具)計17件を出品。

あわせて豪華本「日本美術史」(HISTORIE

de L'ART DU JAPON)の制作・寄贈も行われ、

体系的な美術史が展示された。

 

35.石黒是美(いしぐろこれよし)

「花鳥図大小鐔・三所物(かちょうずだい

しょうつばみところもの)」

 

一揃

 

作者の石黒是美は、江戸金工の一派石黒派を

代表する名手。石黒派は、高彫りと各種の

色金で花鳥を表した刀装具の制作を得意と

した。本作は、牡丹の花と、中国から輸入された

珍鳥・金鶏(きんけい・錦鶏)とを、量感

あるれる高彫りで表した刀装具。黒々とした

赤胴地に、金銀と赤色の緋色銅が映える。

本作は、是美の代表作とされる優品である。

 

参考元 画像Bと同じ

 

⇒霊友会の創設者 久保角太郎の右腕だった

石黒日出二さんが私の父・田邊隆治の実の母の

父親だと思われます。

 

私の父と石黒さん

 

 

それが何か???

 

霊友会に戻るなんてことある訳ないでしょう!!!

 

霊友会とは、何もありませんよ!!!

 

からの、石黒賢さんでしょうね。

 

SEIKOには、石黒賢さんの兄が務めていたのです。

石黒実さん???

 

石黒賢さんのお兄さんは、俳優の中井貴一さん

佐藤浩市さんと仲がよかったのです。

 

38. 荒木東明「粟穂図縁頭(あわほずふちがしら

・小柄(こづか)

 

 

作者の荒木東明は、京都生まれの金工。

後藤東乗と一乗に師事し、両者からそれぞれ

「東」と「一」の字を受け継ぎ「一斎」

「東明」と号した。本作は、東明の創案で

当時から知られていたという、粟穂をモチーフと

した刀装具。粟穂の実は、金無垢に特殊な

鏨(たがね)を打ち込んで立体的に表わされて

おり、写実的な表現が秀逸である。

 

⇒石黒賢さん 成城大学卒

⇒SEIKOの元先輩宣伝部にいた

鶴岡さんが結婚した広岡達朗元監督の

次男(ANA)、2人とも成城大学卒

 

⇒SEIKO元同期 茂原浩子(田村)の

故父(清水建設)が愛甲猛元選手と

一緒に子供達に野球を教えていたのも事実。

 

⇒荒木大輔元選手⇒清原和博元選手、

桑田真澄元選手⇒長嶋茂雄元監督

 

⇒大谷翔平選手

 

という感じで話が広まったのでしょう。

 

27.謝時臣 「四傑四景図(しけつしけいず)」

 

中国古代の英傑の苦難の時代が描かれる。

各幅に四字題を示し、年紀と年齢が刻まれた

印を捺し、仰視と俯瞰の構図、天候、時間の

対比が見てとれ、款記の配置を含め四幅対を

考慮し周到に構成される。完成度の高い本作は、

明末蘇州の職業的文人画家・謝時臣65歳の

円熟期の傑作。特殊な画題が大幅に描かれた

ことに鑑みれば特注の可能性もあろう。

 

すべて皆さんの勘違いが引き起こした

大事件なのです。

 

私は、ただ、パリインターナショナルスクール高校

1年の同級生のクリストファー(クリス)と

結婚する、サンフランシスコに住む、

子供達がほしいと言っただけ。

2007年から現在に至るまで続いていることです。

 

それで、その解決策の一つが、人間国宝に

なるということでしょう。

 

それだけでは、すべて解決しません。

 

私は、クリスとの子供達を諦めませんし、

iPS細胞などに希望を持っているだけです。

何にも悪いことしていないのですから!!!

信じられません!!!

 
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