9月21日終了東京国立博物館「大奥展」を

鑑賞してきました。

 

「そろそろ何があったか語ろうか。」という

のが、この展示会の趣旨。

 

そうです。

 

私のことなのに、私に内緒で

何があったかということです。

 

参考元

 

 

 

 

 

参考元

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考元

file:///C:/Users/user/Downloads/%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95%E3%80%8C%E6%B1%9F%E6%88%B8%E2%98%85%E5%A4%A7%E5%A5%A5%E3%80%8D%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88_JP_HP_0728%20(1).pdf

 

 

 

 

 

 

第一章 あこがれの大奥

 

 

 

私は、大奥に、憧れたことはありません。

 

男女逆転で演じた大奥

 

瀧山役 古川雄大

 

 

徳川家定役 愛希れいか

 

 

 

天璋院役 福士蒼汰

 

 

徳川吉宗役 冨永愛

 

 

徳川綱吉役 仲里依紗

 

 

徳川家光役 堀田真由

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆくぞ!! 大奥 勤めは」

 

滅私奉公(めっしぼうこう)

 

「よ 吉野ちゃん」

 

「実は私は、猫が大好きなのだ。」

 

「やっぱり!」

 

 

 

ネコ「ニャー」

 

「千代丸ちゃん ツヤツヤ」

 

「さすが やんごとなき猫ね。」

 

「恥じてはならぬ。胸を張ってこの大奥で

上様にお仕えせよ。」

 

この猫は、D会落合家ではないのです!!!

勘違いも甚だしい!!!

 

 

 

そうです。篤姫が原因です。

 

NHKの大河ドラマ「篤姫」が2008年から放送されていたから。

 

篤姫が薩摩藩の島津家(嶋津)だったからですが、

この方は、近衛家に養女となったのです。

 

この方の末裔ではありませんよ!!!

 

何度もいいますが、私の母方は、薩摩藩の島津家(嶋津)なのは

事実。

 

 

 

 

 

 

 

高巌院 (浅宮顕子) 不治の病にも最期まで気高く生きた、

初の宮家出身の御台所

 

違います。

薩摩藩の島津家は、旧宮家ではありませんよ!!!

 

 

 

天英院 (近衛ひろ子)

幼い将軍家家継の後見となり大奥最高の権力者に

 

違います。

 

近衛家ではないのです。

 

 

 

 

 

 

広大院(近衛ただ子)

 

初の薩摩出身、半世紀にわたり大奥に君臨

 

違います。

 

近衛家ではないのです。

 

 

 

 

御台所は、1日5回お召し替え

 

1. 千代田の大奥

楊洲周延筆

 

島倉千代子さんの歌「人生いろいろ」に

こじつけたのです。

 

2.千代田の大奥

楊洲周延筆

 

⇒D会鈴木千代子さん

 

目録

 

おさざれ石 元旦お清めの儀式

御台所 手を清める所作をしながら

君が代の和歌を唱えます。

 

お流れ 正月5日 

御対面所にて、御表使までの大奥の女中が

将軍と御台所から直接お酌を頂きます。

 

かるた かるたは、大奥の女中の数少ない

手遊びでした。元旦の御台所も、夜に

当番の御中とかるた取りを行うのが

せいぜいの楽しみだったともいいます。

 

D会の当番あるいは、 野球の登板

 

釈迦もふで 4月8日の灌仏会では、釈迦仏を安んじ

釈迦の誕生を祝いました。また、長局の中には

露店が設けられ、衣装や本、細工物などさまざまな

商品が並べられました。

 

D会15日の筆の修業

嫉妬に狂ってデタラメばかり

 

追ひ羽根 楽しげに羽根をつく大奥の女中。

ただし、大奥では羽根をつくことはなかったとも

いわれ、想像上の正月が様子を描いたのかも

しれません。

 

女中ではありませんよ!!!

 

節分 12月から正月に行われる節分。年男の

御留守居が大奥に出仕し、煎豆で「万々歳」の

三字を畳の上に置き豆林を行います。その後、

大奥の御使番が年男を蒲団で巻き、胴上げするのが

通例でした。

 

 

雛拝見 御台所のお雛様は御対面所、お二の間下段

私室の3か所に飾られ、雛段は、3段だったといいます。

1~4日には、朝昼にお雛様用の小さなお膳を作り、

供えました。

 

哥合 哥合(うたあわせ)は、お題に対して詠んだ

歌のできばえを競う遊びです。御台所や大奥の

女中において和歌は、嗜みとされ、正月の

御書き初めはじめ、中秋や月見には、歌合が

催されたようです。

 

D会落合家の孫 矢島わかちゃん

 

船あそび 八重桜が満開に咲くなか、花笄(はなこうがい)を

挿し掻取りをまとった御台所を中心に、小舟を出す御中臈や

御小姓たち。江戸城にはいくつものお濠があり、舟遊びを

楽しむこともできたかもしれません。

 

遊びではないのです。

 

 

花菖蒲 端午の節句にあたり、御三家、御三卿からは

粽(ちまき)が献上され、御目見以上には、柏餅が

下されました。御台所へ。菖蒲酒や菖蒲湯を用意しました。

 

⇒花の人達が勝負だと言った。

花屋で働いていた葉山小・中学校同級生

伊藤知恵子(関浪)、元市議会議員だった故吉田勝義さんの

娘 東逗子で花屋を経営、吉田勝義さんは、元D会

会員だったから。姉のフラワーアレンジメント、

大磯の叔母ほか。

ちがいますけどね。

 

婚礼 白の掻取姿の瓶子、銚子、提子役の女中4名が

左手に控え、奥には、掻取袴着の御台所と、御紋付の

裃をまとった将軍が座ります。三々九度の儀式を

表わしているものでしょう。婚礼は正午から夜

四ツ時(午後10時)までかかったといいます。

 

お庭あるき 島田髷、やの字に結びの帯に、

振袖で褄を取りながらお庭を歩く女中、

御中臈を将軍の目にとまらせるための

「お庭御目見」の様子を描いているのかも

しれません。

 

私は女中ではありませんよ!!!

田邊の祖父母の雇っていた

お手伝いさんたちです。

 

狆くるい 大奥の女性にとってのひとつの慰みの一つが

狆や猫などの愛玩動物でした。天璋院(篤姫)は、

狆好きだったものの、十三代将軍徳川家定が好まな

かったため、猫を飼っていたようです。

 

七夕 実際には、願い事を成就させるため、

あえて墨塗りにした短冊を竹竿につけたと

いいます。7月7日の食事にはそうめんも

出されたようです。

 

ほたる 十代将軍徳川家治の御台所・心観院

(五十宮倫子・いそのみやりんこ)は、

石神井川から西の丸に取り寄せた蛍を見て

宇治の蛍のようだと喜んだといいます。

女中たちはこのように蛍狩りを楽しんだことも

あったでしょうか。

 

昔、都ちゃんと鎌倉鶴岡八幡宮のほたるを

見に行ったことがあります。

 

 

瀧見のお茶や 吹上御庭にはいくつかの

茶屋が設けられており、滝が流れる

「瀧見御茶屋」がありました。十四代

将軍徳川家茂は瀧見御茶屋に出掛け、

天璋院(篤姫)や静寛院宮(和宮)と

春の花見を行なったといいます。

 

 

長刀稽古 武家のお家騒動を題材とした

歌舞伎「加賀見山旧錦絵」や「千代田城

大奥」では、女中も武芸の素養が必要と

説きます。太平の世であった江戸時代、

実際は、女性が長刀稽古をすることは

なかったでしょう。

 

加賀藩

 

故郷に錦を飾れと強要したのです。

 

猿若狂言 猿若とは、道化役を主人公と

した歌舞伎を指し、向かって右の女中は

猿若人形を手にしています。大奥には

お抱えの女性のお狂言師(歌舞伎役者)が

おり、将軍の遠御成の間に催しました。

 

⇒狂言ではありませんよ!!!

 

円中の雪 梅香る雪景色のなか、つがいの

鴛鴦(おしどり)を眺める姫君たち、

実際に、吹上御庭には、いくつもの

池があったようです。

 

おたち払 江戸城は火災による焼失と

再建を繰り返しています。出火すると

人々は、城内の安全な場所へ立ち退きました。

その際、御台所や御目見以上は黒の

御紋付をまとい威儀を正しました。

 

御煤払 12月13日まで、新年に向けた

煤払いを行います。実際は、掻取姿ではなく

手拭も被りませんでした。このときも

男性に会うこともなく、胴上げをしても

中年寄や御中臈が対象でした。

煤払いの後には蕎麦が下されます。

 

 

3.葵岬松の裏苑

豊原国周筆(とよはらくにちか)

 

3-1.第五帙 綱吉公御台所

 

3-2.第六帙 家宣公御台所

 

3-3.第八帙 吉宗公御台所

 

3-4.第九帙 家重公御台所

 

3-5.第十 帙 家治公御台所

 

3-6.第十二帙 家慶公御台所

 

3-7.第十五帙 慶喜公御台所

 

4.葵艸松の裏苑

豊原国周筆

 

家康公御台所つまり、

家康の正室宛て

 

何かあったら、「自害」するようにと

書かれていたのですね。

 

すごい。

 

4-1.第壱帙 家康公御台所

 

4-2.第弐帙 秀忠公御台所

 

4-3.第三帙 家光公御台所

 

4-4.第四帙 家綱公御台所

 

4-5.第七帙 家継公御台所

 

4-6.第十一帙 家斉公御台所

 

4-7.第十四帙 家茂公御台所

 

5.松の徳葵の賑ひ

 

6.葵草松の裏苑 けしやう之図

豊原国周筆

 

7.葵艸松の裏苑 雪の国

豊原国周筆

 

8.偐紫田舎源氏

柳亭種彦作、歌川国貞

(三代豊国)筆

 

足利次郞光氏かけじく

 

9.田舎源氏図 

歌川国貞(三代豊国)筆

 

外套に源氏香と鈴虫の模様

えび茶

千髷がトレードマーク

 

トレードは、やめて下さい!!!

普通の国際結婚なのですよ!!!

 

 

10.八代目市川団十郎の足利次郞ノ君

二代目市川九蔵のしののめ

初代板東しうかのたそがれ

三代目嵐吉三郎の仁木良清

歌川国貞(三代豊国)筆

 

女性に襲いかかろうとしている場面

 

11.錦絵版画帖

歌川国貞(三代豊国)筆

 

11-1. 春の御庭遊戯乃図

 

羽子板や鞠で遊ぶ女性たち

 

11-2. 春のあした生け花稽古

 

11.3. 秋乃庭ゆかりの松風

 

11-4. 若紫年中行事之内 菊月

 

12. 奥奉公出世双六

万亭応賀作、歌川国貞

(三代豊国)筆

 

大奥で働く女性の出世のため

針妙(しんのう)針仕事など

 

大奥の女中たちの出世は、大変なものだったようですね。

 

 

13.松徳葵賑大奥双六

(まつのとくあおいのにぎわいおおおく

すごろく)

 

「御狂言」がスタート

「婚礼」がゴール

 

もちろん、私とクリスとの結婚ですが、

クリスは日本には来ません。

私がクリスのところに行くのです。

 

結婚式は、パリと決めているのです。

結婚式に関してはすぐではないですし。

 

 

興味深かったのは、奉公の儀

 

実儀を第一につかまつり 少しも御うしろくらき儀

いたすまじき候 ようづ御法度之おもむき

 

堅相守申べき事

 

① 御為(おんため)に対したてまつり、

悪心を以て申合いおまじき事

 

① 奥方之儀 何事によらず外様(そとさま)へ

申しまじきこと

 

① 女中方の外・おもてむき

願がましき儀 1切(いっせつ)取持致まじき事

附。御威光をかり、私のおごり、いたすまじき事

 

① 諸傍輩中 しょぼうばいのかけごと

(陰口)を申 あるひは、人の中をかき候

やるなる儀 つかまつるまじき事

 

① 好色がましき儀は、不及申に宿下りの

時分も、物見遊所へまいるまじき事

 

① めんめん面々 心のおよび候ほどは

行跡(ぎょうせき)をたしなみ申すべき事

附。部屋へ火の元念入り申つけべき事

 

女中たちが守らなければならなかった

ことです。

 

女中たちがおごってはならないし、

陰口をたたくなんてありえません。

 

 

第2章 大奥の誕生と構造

 

 

2-1. 春日局(齋藤福)

 

三代将軍 家光の乳母・春日局は、

明智光秀の家臣、齋藤利三の娘

母の実家、稲葉家で養育され、

稲葉正成の妻に。離縁して大奥入り


 

14.春日局坐像

 

非袴(ひはかま)

 

霊屋(たまや)安置されている

春日局坐像

 

大奥の場所、将軍の正室、側室暮らした場所

とざされた場所 

 

銅塀(あかがねへい)で

囲まれ城への出入り平川門に限られ

将軍くらす場所(中奥なかおく)と繋がる

通路が御鈴廊下、おすずろうかのみだった。

 

豊田家文書

 

そういう意味の鈴です。

失礼な想像はやめて下さい!!!

正室ですよ。

 

15.春日局像 伝狩野探幽筆

東京湯島の麟祥院

 

 

16.徳川家光像 池田継政筆

 

 

17.伝春日局和歌短冊 伝春日局筆

 

玉椿 光をみかく 君か代に、百かへりさく

うとむけの花

 

春日局は、無関係ですよ!!!

 

D会落合家の孫 矢島わかちゃん

 

私は、他人の子供より先に

自分の子供たちを産み、育てるべきなのです。

 

18.百椿図屏風 

 

クリスは、日本には、来ませんし

日本に暮らすことはないのです。

 

2-2. 天樹院(千姫)

 

幸菱紋に葵紋

 

二代目将軍秀忠の娘、千姫は、豊臣秀吉と

淀殿の間に生まれ、秀頼に嫁ぎます。

 

慶長20年(1615)、大阪夏の陣では祖父・

家役の命により千姫は救出されます。

 

元和2年(1616)には、桑名藩の本多

忠刻に輿入れし、一男一女をもうけますが、

息子と夫・忠刻とに相次いで死別。

寛永3年(1626)、娘の勝姫とともに

江戸城に戻ります。

出家して天樹院と号し、家光の三男

綱重を養子にして将軍家直系の子孫を

養育。綱重は、早世しますが、

綱重の子、家宣が子のなかった

綱吉の後を継ぎ六代将軍に

就任。

美女として誉れ高かった天樹院は

後世には、男性をもてあそぶ

「吉田御殿」などよくない噂が

巷に流布。しかし、実際には、

草創期の大奥を支え、徳川将軍家直系の

存続を守った功労者といえるでしょう。

 

⇒もちろん、千姫でもないのです。

けれど、

私に対して嫉妬に狂った女性たちが

悪い噂を流し、とても残念に思っています。

 

それらは、すべて嘘。デマ。犯罪です。

 

⇒元市議会議員故吉田勝議さんの娘さんが

御殿を建てるようにいった?

 

それで、人生めちゃくちゃにされたのですよ。

 

その罪の重さがまだ分かっていないようです。

 

19.天樹院(千姫)像

 

 

20.天樹院(千姫)復元衣装

 

21.掛絡 白地幸菱葵紋散模様浮織物

天樹院(千姫)所用

 

2-3. 大奥の構造

 

江戸城の本丸は、「表」「中奥」「大奥」に

分かれており、御台所や側室、御年寄(老女)を

はじめとする女中たちは、「大奥」で生活して

いました。

また、時期将軍となる世継ぎやその家族、

将軍亡き後の御台所たちとその家族は

「西の丸」や「二の丸」に移り住みました。

江戸城は、幾度も火事に見舞われ、そのたびに

再建されていますが、遺された文書から

幕末における大奥の構造を知ることが

できます。「大奥」で女中たちは、部屋が

すらりと並ぶ、「長局」に暮らしました。

御年寄を筆頭とする女中たちの構造が

定着するのは、正徳年間(1711~16)の

ことでした。御年寄は、女中の中で最も

大きな権力と財力があり、願い出れば

自らの親戚の身分も格上げすることも

できたのです。女性に権力が認められ

なかった江戸時代において、大奥の

女中はコネや才覚によって出世し、

政治力をもつこともできました。

 

22. 諸家奥女中袖鏡

 

23. 女中帳 

 

人事の記録。姉の病死により大奥に入った「むめ」の

採用記録、2冊目 84歳 引退する女中 

嶋田への報奨金

 

竹姫様 御用人 

遠山久四郎 須田三十郎

 

24. 江戸城奥向長局絵図

 

25.豊田家文書

 

26.江戸城本丸等障壁画下絵

西丸大奥御対面所

狩野(晴川院)養信筆

 

27.江戸城本丸等障壁画下絵

本丸大奥御対面所

狩野(晴川院)養信筆

 

平安時代 歴史物語 「栄花物語」(えいかものがたり)

月の宴 つきのうたげの場面

 

 

片思いではありませんよ!!!

相思相愛

 

28. 江戸城本丸大奥総地図

 

 

甲良家(こうらいけ) 資料

 

29. 西丸向惣絵図

 

大工・鈴木家伝来資料 

 

大工ではありませんよ!!!

それは、私の父の実父松鷹虎吉の

伯父、久保角太郎(宮大工 宮内省勤務)にこじつけた。

落合弘美さんたち。

そんなことある訳ないでしょう!!!

 

Page2へ

 

その前に余談

 

小袿 萌黄地葵唐草筥牡丹紋二陪織物

 

参考元

 

 
なくて残念でした。
 
参考元

 

 

私がこのサイトを見た時には、サコッシュの

表示がまるっきりありませんでした。

 

本当、信じられません!!!

 

ただで下さいよ!!!

 

篤姫のために私の人生

縛り着けられたにもかかわらず

D会齋藤幸範会長はじめ、

落合家、金子一族他

元会員たち、東逗子の人達

沼間小学校いじめっこ同級生たちからは

女中だと思われつづけたという。

 

最低最悪な状況だったのです。

 
 
それから、金平糖もなかったのです。
 
谷本 柔ちゃんですよね。
 
画像A
 
参考元


火事のときこうやって避難するんだそうです。

 

家事無関係ですよ!!!

 

参考元

 

 

 

 

参考元 画像Aと同じ

 

篤姫ですよ!!!

 

キティということは、旅行中に何か

あったと決めつけたのです。

 

どの旅行も、何もありませんよ!!!

 

Page2へ