「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 

忠犬ハチ公像をつくった彫刻家 Page3

 

第5章 迫りくる戦禍 安藤照の死

 

安藤の死

 

1945(昭和20)3月10日

東京大空襲 東城東エリア

(現 台東区中央区より東地区

標的)

4月5月 山の手 空襲

464機 B29 約32591-2 

焼夷弾 投下 大規模攻撃

安藤が犠牲に。

安藤の死後、アトリエ整理

小室達、渋谷から徒歩初台

途中全部 焼け跡 全然

見当がつかず、一寸道に

まよった程だった。(原文ママ)

と渋谷の惨状をつづった日記

 

告別式 6月29日

戦中戦後 金属類回収令

溶解された忠犬ハチ公像を

惜しんだ人々の努力により

1948(昭和23)年、長男士(たけし)に

よって二代目 ハチ公像完成

 

空襲によって作品が焼かれ

焼失したが 安藤の存在が

忘れさられてゆくことを

理不尽にも命と作品奪われた

安藤

戦後80年 多く知るべき

小室達の日記 1945

6月8日 制作時 材料不足に

困り、戦火をのがれた父の

代表作「大空に」を溶かし

忠犬ハチ公像の材料にした。

 

小室達日記

 

5月28日 晴れ

朝 、達亥君が

訪ねてきた。 25日夜

空襲で社長 安藤氏及び

さと子氏、女中なみ子

叔母、近所の子供

計7名 

防空壕の中で蒸し焼きになり

悲壮な最期をとげられたそうで

ある。今後の如何にすべきかを

講ぜねばならないが、目下

の状態では、全然方策

かたためだろう。 原文ママ

 

さと子 安藤照、長女なみ子

加茂なみ 、女中

 

藤が丘女子学生会館で一緒だった

父親が日商岩井NYにいた加茂真理子

(慶應義塾大学卒)のせい。

 

知ったかぶりしたからです。

 

 

56. 刀の礼 赤堀信平

 

「東台彫塑会」狛犬モチーフ

「鎮護」出品 日中戦争勃発後

陸軍省へ寄贈

 

「聖戦下の観兵式(かんぺいしき)を

拝して」

 

「数万の兵が無我の境に入って行進する。

我軍の大精神、至誠奉公の精神に

感激する。」

 

観兵式 兵力訓練状況

天皇に確認してもらう閲兵式(えっぺいしき)

かねた軍事パレード

 

天皇の前で整列行進 敬礼

1943(昭和18)年、昭和天皇

献上している。

リュック、 右手にサーベルもつ

 

そうです。昭和天皇です。

昭和天皇のと香淳皇后の第5皇女子

島津貴子さん(旧清宮貴子内親王)が

結婚した相手が

島津久永さんです。

 

私たちの母方は、薩摩藩の島津家(嶋津)

なのですから。

 

 

57. 「敵陣 蹂躙(じゅうりん)」伊藤国男

蹂躙とは、ふみにじること。暴力や権力によって

他の権利を侵したり,社会の秩序を乱したりすること。

 

伊藤は、安藤と同世代の彫刻家で鋳金の

原型師としても活躍。

 

馬専門の彫刻家として知られ、20代から

多くの作品を宮中に奉納してきた。

 

伊藤は、戦時下になると、積極的に戦争を

主題とした彫刻に取り組み、1939(昭和14)年

第1回聖戦美術展には、本作を出品

 

敵を暴力的に踏みにじることを意味した

本作の題からもわかるように、当時は、

戦争の暴力を正当化する表現が許されており、

むしろ国民の戦意高揚をうながす効果として

受けいられていた。伊藤は、本作にるいて

「騎兵の特色たる神速なる機動力を発揮し

敵をして立ち直る暇も与えず武器を打捨て

逃る敵を追散らす処なり。」

と解説しており、劇的なイメージを

破綻のない造形で彫刻化することにより

国成発揚をうながそうとした。

 

私とクリスの結婚の話なのに、

戦争などと口にした人達の愚かさに

あきれ果てます。

 

葉山小・中学校同級生伊藤知恵子(関浪)の

嫉妬と嘘

 

 

58. 「最後の伝令」小倉右一郎

1937(昭和129年、日中戦争

満州国の平頂山を攻撃

長尾部隊 敵の攻撃

窮地に追い込まれ、

惨状を一刻も早く本部へ

報告必要 伝令

願い出た 爆弾の破片で

失明した吉見伍長と右脚と

左手を負傷した池内一等兵

盲目の吉見は、地形を知る

一等兵を背負い指示を受けながら

歩みをすすめ2日後、本部に

到着 ナショナリズムをあおる

聖戦美談のひとつとして

語られた。

その像

 

D会の本部に連絡した

吉見幸江さん

元横須賀基地勤務

娘ななちゃんは、今もなお勤務

 

米軍基地にいるような

アメリカ人ではありませんよ!!!

 

 

59. 「廣瀬中佐と杉野兵曹長像」渡辺長男

鎖で繋がれた2人

 

かつて、神田須田町 万世橋駅に

巨大な像があった。

 

日露戦争 海上線、くりひろげられ

戦艦とともに命海にしづめた

2人 死後「軍神」として神格化

あがめられる存在

一大観光名所に。

国民意識を戦争に向けさせて

戦意高揚をうながす装置として

機能。

銅象は、戦後GHQ 1949(昭和22)年

国威発揚を目的とするとみなされ

撤去された。

 

神田正輝さんではありませんよ!!!

神田さんが巣でしょ。

どういうことですか???

 

 

60.「菅公銅像建設記念

皇紀貮千六百年」

長谷川塊記

 

彫刻家の中には、展覧会出品作や

銅象などの大作のほか、人々の

生活の中にある建築装飾、

置物、人形、メダルなどを

てがけた者もいた。

こうした活動の裏には、市井の人々に

対して彫刻が社会的に役に立つもの

であることを認めてもらいたいという

彫刻家達の切なる願いがあったと

みられる。

当時は、社会からの彫刻への最大の

需要が戦争のプロパガンダや

記録にあったため、彫刻家たちは

たちまちその波に飲み込まれ、

戦争協力への道を進むこととなる。

そうした中で、彼らが、制作した

メダルの装飾も戦時色を帯びて行く。

ここで、紹介するのは、菅原道真と

日本武尊のメダルである。

小型の作品ではあるが、確かな

造形性が認められる。小さな

メダルの延長戦上に戦争という

大きなできごとが続いている

ことを感じさせる作品。

 

メダルを要求したのです。

 

D会は、ノーベル賞のメダルを。

D会の櫻井さんからのお土産。

なんと強欲なのでしょう。

 

去年、被団協がノーベル平和賞取ったから

良いではないですか!!!

 

映画「リヴォルヴァー・リリー」

市井の人 やめて下さい!!!

こんな話ではないですし、

なぜ、私がそんな他人の子供ばかりに

気を遣わなければならないのでしょう???

 

私は、クリスとの子供たちをこの世に

残すべき女性です。

 

こんなパワハラ、人権の侵害

有り得ませんよ。

 

子供のいる人達は、子供のいない人達の

気持ちがまるで理解できないのですよ!!!

私は、不妊治療なんてしていませんし、

子供を産める体ですよ。

 

それなのに、閉経するまで飼い殺し。

卵子凍結もなし。

日本人たちは、一体何を

考えていたのですか???

61. 「日本武尊」吉田久継

 

 

刀を持ち戦う男性 

 

ヤマトタケルですよね。

 

 

62. 「裸婦座像」安藤照

 

参考元 画像Aと同じ

 

「形態理」の題名で出品された。

のびのびとした造形を呈している。

太平洋戦争勃発後、時勢にとらわれない

安藤が「皆、第一線で立っている

兵隊さんと同じ心がまえで忠霊顕彰碑の

一つ製作するにも自然科学者の立場から

美の根源を忘れないで国家的の

要求に副い且つ単に戦時下とのみ

言はず各時代を通じての日本文化の

健全な発達のため努力してゐる。」

とコメント

こうした作風を貫くための社会的な

正当性をアピールしている。

 

私の携帯のメーカーとか

全然意味はありませんよ!!!

 

すべてこじつけです。

 

アメリカのものばかり身につけられないですし

アメリカだってNYではなく、サンフランシスコ

なのですよ!!!

 

 

63. 「観世音像」安藤照

参考元 画像Aと同じ

飛鳥時代法隆寺 百濟観音像参考

スラリとしている。

この2ヶ月後9月18碑 1931(昭和6)年

日本軍(関東軍)中国遼寧省の奉天(ほうてん)

現瀋陽市の郊外 南満州事変

関東軍は、この爆破を中国軍の

仕業とし、強引に満州全域を占領、

開戦に持ち込んだ。一方、1929(昭和4)年

世界恐慌のあおりを受けて発生した

昭和恐慌の影響で、日本国内では、人々が

不安と閉塞感をかんじ、その最中に

起きた満州事変は、国民の支持を得て

いくこととなる。

安藤が満州事変をどのように受け止めていたかは

不明であるが、どのような境遇にあっても

三十三の姿になって衆生を救済するという

観音の中に、不安定な世相を生きるための

よりどころを見いだそうとしていたの

かもしれない。

 

観音様が先だったという。

大船観音?

人の願いばかり、叶えませんよ。

私の願いを叶えるしかないのです。

これほど横暴なことをしたのですから。

 

64. 「石地蔵尊像」安藤照

 

笠地蔵とか?

そんな都合が良すぎます。

 

お金をめぐみませんから!!!

 

血のつながりのない親戚

田邊の祖母の異父兄弟

川口家もめぐむと嘘をついたのです。

 

お寺が貸すと言ったとしても

それも、私のお金を窃盗したものを

貸しているので、無理です。

 

 

65. 「狛犬」安藤照

 

1943(昭和16)年の作。同年は、

真珠湾攻撃の立役者とされていた

山本五十六連合艦隊司令長官の戦死と

そのすぐ後にアメリカ領のアッツ島

(アリューシャン列島)を占領していた

日本軍にアメリカ軍が奪還を

目的とした攻撃をしかけ、日本軍の

守備隊260人が全滅するという大きな

出来事があった。

そして日本軍は、この大敗と戦局の

悪化を伏せるとともに、むしろ山本を

英雄視し、アッツ島守備隊全滅を国の

あめに、「玉砕」したとして美談化して

多くの国民の戦意高揚をもとめていく。

 

狛犬は、神前守護と邪気を払う意味が

あることから、戦時中は、敵国から

天皇を守る存在とされ、多くの

彫刻家たちが勇ましい姿の狛犬を

製作した。本作もそうした流れの

中、製作されたものとみられ、

胸を張った威勢のよい狛犬の

姿が表されている。しかし

よく観察すると、寸胴な体と

太い足、愛嬌のある表情と

どこか余裕を感じる表現が

垣間見える。安藤は、実際の

戦局をどこまで知っていたのだろうか。

 

負けていたのに、勝っていたように

見せつけていたといういやらしい

やり方ですよ。

 

江戸は、勝ちません。

 

資料1 小室達 アルバム

 

資料2 第四回塊人社彫塑会出品目録

 

資料3 小倉一利塑造頒布会会員芳名録

 

資料4 小室達 名刺

資料5 小室達 日記 

1945(昭和29)年

 

私の日記、私の名刺も本物ですよ。

当たり前でしょ???

そんな作り話しても仕方ないではないですか???

 

調べればすぐに分かることなのですよ。

 

もちろん、慶應義塾大学法学部の

高田先生と田上先生の名刺も

慶應義塾大学法学部で

働いていたからもらったのです。

 

 

慶應義塾大学にて

 

何も悪いことしていないのに

猫を飼っていた、飼っている人達が

私に罰を与え続けたという

恐ろしい状況。

 

それなのに、お詫びもせず、

ただ 沈黙しても、何も

なりませんよ。すべて

分かっているからです。

 

D会落合家をはじめとして。

 

それから、野口健さんとフェイスブックで

繋がっている理由は、野口さんの父親

野口雅昭さんが元外交官であること、

兄の野口哲也さんが

三菱商事に務めていたこと、

野口健さん自身が英国立教出身で

パリインターナショナル高校同級生の

漆間あやも英国立教に転校していたからです。

 

葉山小学校、パリ日本人学校

同級生で実家が私と同じ住宅地にある

稲森一郎の父が三菱商事に勤務していたこと、

NYからの斉木家の長男 敦史君が

三菱商事だったことが理由です。

元外交官の父をもつパリ

インターナショナル高校同級生の

服部姉妹。

 

D会故小林とも子さんが

コスモ石油のガソリンスタンドで

働いていたこと、

それに、コスモ石油のCMに

野口健さんが出演していたのです。

 

それで、霊だという噂が

流れたのは、確かなことです。

 

霊ではないです。

 

嘘ばかりで本当

あまりにも情けないです。