2025年8月17日終了
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年
忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」を
鑑賞しました。
参考元
https://shoto-museum.jp/wp-content/user-data/exhibitions/208ando/leaflet.pdf
参考元
https://shoto-museum.jp/wp-content/user-data/exhibitions/208ando/list.pdf
参考元
安藤は、1935(昭和10)年に雑誌「美術」(10巻9号)の巻頭
コーナー「作者言」に登場している。このコーナーでは、多くの
作家が自身の芸術観などを書いているが、安藤は、「ただ黙々と
仕事をして困ります。」と一言だけを寄せている。寡黙に制作へ
打ち込もうとする安藤の姿勢が〇的に示されている一文である。
そして、片足に重心をかけたポーズ(コントラポスト)の形態を
成した本作は、上記の言葉とともに掲載された安藤の肖像写真の
中に写る作品と同型のものであるとみられる。他4点の作品とともに
飾り〇の上に置かれていることから、お気に入りの作品であった
ことがうかがえる。素朴でいて静謐な安藤の作風がよくわかる逸品。
⇒私が、スパに行った時に、私の裸を見て
報告するというのは、犯罪です。
落合さん。
渋谷駅前のモニュメント(忠犬ハチ公像)(初代)の
作者、安藤照(てる)。没後80年を記念した本展は、
彼の彫刻家としての活動を網羅的に紹介するはじめての
展覧会となります。
安藤は、数々の彫刻家がしのぎを削った昭和戦前期の
彫刻界で活躍を期待された存在でした。1917(大正6)年
東京美術学校に入学し、在学中の1921(大正10)年に
帝国美術院展覧会(帝展)で彫刻家としてデビュー。
翌年、帝展特選、そして1926(大正15)年には、帝国
美術院賞を受賞するなど、はやくから頭角をあらわします。
1927(昭和29)年には帝展彫刻部の審査員に任命された
ほか、1929(昭和4)年には、中堅彫刻家の作品研究の
場として結成した団体「塊人社」のリーダーとして活躍
しました。そして、1934(昭和9)年には、(忠犬ハチ公像)
1937(昭和12)年には、「西郷隆盛像」(鹿児島県鹿児島市)と
現在も語り継がれるモニュメントを制作し彫刻家としての地位を
築いていきます。しかし、その道半ばの1945(昭和20)年
5月、渋谷区代々木の自宅兼アトリエが空襲にさらされ、
安藤もその犠牲となりました。
本展では、誰もが知る「忠犬ハチ公像)の影に隠れ、これまで
語られる機会の少なかった安藤照の生涯について、戦火をのがれた
現存作品約30点のほか、関連する作家の作品とともに
迫ります。
激動の彫刻界、そして戦争に向かう不安定な時代の中でも
「ただ黙々と仕事をして居ります」と語った安藤の
作品は、時世の雰囲気に逆らうかのごとく、素朴で
静謐(せいひつ)です。激しくうつろう社会を生きる
現代のわたしたちにとって、時代と黙然と戦った
安藤の彫刻は、新鮮に映ることでしょう。
最後になりましたが、本展の開催にあたり、貴重な
作品をご出品いただきましたご所蔵者、ご所蔵機関の
方々に深く感謝の意を表するとともに、ご尽力いただき
ました関係各位のご厚情に心より御礼申し上げます。
はじめに
安藤照は、今はもう見ることのできない忠犬ハチ公像の
作者です。「今も忠犬ハチ公像は渋谷駅前にあるじゃないか!」と
思う方が多いかもしれません。
今わたしたちが見ている像は、「二代目」の彫刻なのです。
「初代」の忠犬ハチ公像は、1934(昭和9)年に完成し、
多くの人々に愛されました。しかし、第二次世界大戦末期の
1944(昭和19)年に金属類回収令の対象となり、惜しまれつつも
溶解されました。そのため、現在では「初代」の像を見る
ことができません。
1945(昭和20)年の終戦後、「初代」の忠犬ハチ公像の
面影を知る人々によって、復建しようとする声が高まり
ました。そして、1948(昭和23)年に照の長男で
彫刻家の安藤士(たけし)の人気と造形なくして、
現在の「二代目」忠犬ハチ公像は存在しなかったのです。
この、誰もが知る有名なモニュメントのかたちをつくった
彫刻家は、どんな人物なのでしょうか。本展は、あまりにも
有名な銅像の影で忘れられた彫刻家、安藤照とその仲間たちの
制作活動について追っていきます。
*1937(昭和12)年の日中戦争勃発以降、資源不足を
補おうとした政府は1941(昭和16)年に金属類回収令を
定め、街中や家庭にある金属を集めて戦争に役立てようと
していました。銅像や寺の鐘、次第にタンスの取っ手や
ボタンなどまでもがその対象となっていきました。
安藤照
1892年(明治25年)、鹿児島市新屋敷通町(現在、
鹿児島市立病院敷地の一角に誕生碑がある)。
明治40年(1907年)に旧制県立川辺中へ入学するが、
まもなく旧制県立二中へ転校。二中を8年かけて卒業し、
東京美術学校へ入学。美術学校時代に帝展入選を果た
しているが、卒業後も第3回美術展に「K女」を出品、入選
第5、6回帝展にて特選を受賞、大正15年(1926年)の
第7回帝展では特選に加えて帝国美術院賞を受賞。
朝倉文夫、北村西望(せいぼう)、建畠大夢
(たてはただいむ)、高村光太郎、カリスマ的
影響力を持った人物たち作家たち席けつ、オーギュスト・
ロダン、詩的でありながら、エネルギーみなぎる
作品の影響 その技術、理論吸収に注力した
世代、次の世代 船越保武(やすたけ)、
佐藤忠良(ちゅうりょう)、柳原義達(よしたつ)と
切磋琢磨した。
第一章 梁山泊の中で 安藤照 彫刻家になる。
1.男首 自刻像 安藤照
自然主義的(写実)モチーフのあるがままの
姿を忠実に表現しようとすること)求めた
朝倉の指導
この男首には、後ろ半分頭がない。
東京美術学校彫刻科塑造部学校
改華 高村光雲、水谷鉄也、白井雨山(うざん)
教鞭を取る。安藤在学中 建畠大夢が教授
白井退任 朝倉文夫、北村西望 教授
「東台彫塑会」卒業後、古代エジプト
古代ギリシャ、ローマ時代、仏像、
奈良人形、1922年 独り立ち
⇒私は、D会から独立するなんて
言ったことは一度もありませんよ!!!
そう言った人達は、捕まります。
ただ、国際結婚して、サンフランシスコに
住むと言っただけです。
どうしてそんな話になったのですか???
2. つるされた猫 朝倉文夫
石膏で猫の首をあたまのひぶをつまむ
後頸部(こうけいぶ)つかまれた猫
高村光太郎より「猫の背後に本当の
生(ラヰイが無い)」ときびしく
批評された 朝倉は、この批評で
自然主義追求 代表作「墓守」の
制作いたる飛ぶ鳥を落とす勢いで
官展 アカデミズムを代表する
作家となります。
⇒このままですよね。
猫の首根っこつかんだのです。
私は、墓守ではないですよ。
それは、姉のところです。
安藤が活躍した彫刻界は、
彫刻への考え方が個々で多様化してゆく
時期でもあった。
安藤、堀江尚志のように、朝倉文夫の
教えを受けて塑造(粘土で彫刻の
原形をつくること)のように仏教彫刻を
学んだ者、武井直也、横江嘉純(よしずみ)
のように西洋へ留学する者、土方久功
(ひさかつ)のようにパラオに向かい、
現地の美術を吸収した者など、様々な
背景と特徴をもった彫刻家が現れた。
3. ある女 堀江尚志
裸婦、 お腹がでている
習作であったため完成後、
こわされる予定
その完成度の高さを惜しんだ
安藤や松田尚之が本人に無断で
粘土から石膏を取り、堀江を
説得して、展示会に本作を
出品し、驚かせた。
安藤、堀江、松田の友情の一作
⇒中央大学同級生 松崎秀治
後輩の堀江しのぶ(実家群馬県
前橋市)安藤勉(実家静岡県
島田市)の嘘
4. 女の首 安藤照
参考元 上記画像と同じ
目を閉じた日本人女性
1923(大正12)第二回東台彫塑会
展示会 受賞作 男首より細部の
形を忠実に作ることよりも質量や
ボリューム(量塊)を強く
意識した作品
モデルは、モダンダンスの先駆者と
なった宮操子(みやみきこ)
みずみずしくも凜とした宮の
姿をとらえた。
髪の毛 2つに結んでいる。
⇒旧宮家ではないのです。
旧華族 薩摩藩の島津家(嶋津)
5. 女の首 武井直也
この女性は、外国人?
ライバル「曠原社(こうげんしゃ)」
安藤「塊人社(かいじんしゃ)」を結成
安藤、堀江尚志
長谷川栄作、三國慶一 大内青圃(せいほ)
仏教彫刻 西洋留学 土方久功
武井 フランス留学 ロダンの助手
エミール・アントワーヌ・ブールデルに
師事
ブールデルゆずり 骨太な造形
ボリューム (量塊)
⇒父の故友人の木戸さん
パリインターナショナルスクール高校の
フランス人クラスのアントワーヌでは
ありませんよ!!!
6. 婦人裸像 長谷川栄作
木彫「東台彫塑会」の姉妹団体
「木生会(きせい)」
木彫家団体 「栴壇社(せんだんしゃ)」
「瑞穂社」伝統的木彫技術塑造を
ハイブリットしたような作風が
特徴的
のみ跡を残した作品
日本女性 日本髪
⇒私たちに寄生しながら生きるのは
やめて下さい!!!
何のために、信仰しているのですか?
少しも、心が変わらない。
自分たちのことは、黙って他人の
ことだけ、あらをさがして言いふらす。
性根が腐っているのです。
7. 助六 清水三重三(みえぞう)
番傘と刃物、着物、ハチマキみたいな
ものを結んだ男
東京市外代々木初台594に住んでいた
安藤と一緒
1926(大正15)「彫刻の社会化」を
うたった団体「構造社」唯一の木彫家
挿絵画家もしていた。
「塊人社」1945(昭和20)5月
空襲でアトリエを焼かれ多くの
作品が焼かれこの作品がのこったのは
貴重。
二代目 市川海老蔵の歌舞伎の演目
「助六」
⇒20歳年上とかないですから!!!
いい加減にして。
田邊の祖母の父親違いの米田の
おばさんと、その次女石渡明代
おばさんと母と私で、歌舞伎を1度
国立劇場に見に行ったことが
あります。
その時、現在の十三代目市川團十郎白猿さんが
市川新之助だった頃、出演されていました。
それが何か???
助六の内容
遊郭の遊女との心中
⇒どうせ、安部一族の長女智子さんが
結婚した、遊郭を先祖にもつ長田家ですよ。
その長女三浦有子さん(長田)
まったくの赤の他人なのに、
こんな遊郭と一緒にされて
冗談じゃないのです。
8. 想い 横江嘉純(よしずみ)
大理石 朝倉のライバル
北村西望(せいぼう)や建畠大夢の
友人「曠原社(こうげんしゃ)」
1930(昭和2)年渡仏 1936(昭和11)
半年間 ヨーロッパ エジプトへ
留学
ロマンチックな作風の彫刻が得意
滑らかで情緒的な女性身体
一方、戦争主題 彫刻を作る
この彫刻、座った女性が胸の
前で、両腕をくんで胸を隠し
下を向いている様子。
⇒エジプト無関係ですよ!!!
石原良純さん
⇒私の裸を報告した罪の重さ。
普通だってそんなことしませんよ。
人のあらだけを探すという。
自分達のことは、棚にあげて。
9. 明け方の海 三國慶一
青森弘前市生まれ、前田照雲主事
渋谷道玄坂 私塾「六花会」学ぶ
帽子を深くかぶった人物
浅瀬でたたずむ様子
情緒的に表わした。
文部省第10回美術展出品
わずか17歳で初入選
後に、1936(昭和11)年
二・二六事件の犠牲者の慰霊を
目的に制作した観音像
(1964(昭和39))
渋谷区宇田川町
原作制作 おこなったことでも
知られる。
この像は、縄?を両手で持っている。
⇒宇田川側無関係ですよ!!!
三國連太郎さん、佐藤浩市さん
10. 孤島 土方久功
フランス画家ポール・ゴーギャンに
私淑したことから南国文化に
憧れ 1929(昭和4)年
当時、日本領のパラオ諸島に
移住。
彫刻界に新しい風を吹き込んだ。
プリミティブなイメージを表現するため
デフォルメした人物、木、花を
平面的に配し、遠近感や写実性と
いった「近代性」を感じさせる
表現を極力排除
額の中、男の人があぐらをくんで
座っている。後ろ木々
右手であごをさわる。
左うで 彫った後
⇒葉山中学校には、パラオから
帰国した同級生がいたのは事実。
このような南の島の人達が私たちの先祖だと
思い込んだD会金子智宏ら。
あまりにも、無知すぎます。
〇に十は、薩摩藩の島津家の家紋です。
11. 忠犬ハチ公 大内青圃(せいほ)
安藤の同級生 父 仏教学者
大内青巒(せいらん)
仏教信仰への信仰にもとづいた
作品を制作
1934(昭和9)年1月
設立された「ハチ公 銅像建設会」
安藤作 忠犬ハチ公像の設置計画より
先んじ1933(昭和8)年、木製の
ハチ公計画メンバー その計画は
頓挫するが、この作品は、老犬で
あったハチがゆったりと横伏して
いる様子 皮や肉がたるんでいる
写実的
⇒保険のせいって。
県民の共済に入っているからって
お金をめぐみませんから。
普通に考えればわかるでしょ???
第二章 安藤照と動物彫刻
いぬ
安藤は、狩猟を趣味としていたこともあり、
大の愛犬家だった。イギリスやドイツ原産の
猟犬(ポインター)を6、7匹飼っていたという。
安藤は、自身の作品には、あまり言葉を残さない
傾向にあるが、動物については饒舌に語っており、
薩摩犬や薩摩ビーグルをはじめとする日本犬の
知識を豊富に持ち合わせていたとみられる。
ポインターをモデルにした「ポイント第二」は
静かなたたずまいのなかに、風格が感じられる
作品である。
こうした関心は、のちに渋谷駅前で主人を
待ち続けた秋田犬のハチへもむけられていく。
⇒ビーグルを飼っていたNYからの斉木智基君
12. ポイント第一 安藤照
右を向く犬
13. ポイント第二 安藤照
参考元 上記と同じ
左を向くメス犬
⇒ポイントサイトが何か???
お金がないから、必死にポイントを
貯めているのですよ!!!
14. 兎 安藤照
黒い塊のよう。
⇒兎年の私の両親
15. 兎柄の杖 安藤照
参考元 上記と同じ
うさぎ 上野恩賜公園
高村光雲ら作成
西郷隆盛像
薩摩犬をつれ 兎狩り向かう
姿。
安藤もうさぎ狩りが趣味
長い耳とまるまるとした
体形特徴的なうさぎ
安藤 堀江、小室
ボリュームの表わし方
細部の処理の違いが
窺える
作家による表現の違い
⇒西郷隆盛さんの末裔では
ないのですよ!!!
そう思い込んで、ブラジル???
参考元
16. 兎 堀江尚志
耳が体にそっていて
たっていない。
茶色、つやつや
柔らかさを感じる。
⇒血のつながりのない親戚
田邊の祖父の妹
佐藤つやこさん
17. 仔兎 小室達
木製 のみのあとを残す
耳がそって立っている。
ほくほくした感じ
⇒木星 ジュピター 平原綾香さん
坂本達だと思い込んだ
小室圭さん
違います。あるいは、
小室哲哉さん
さかな
安藤と同級生による「塊人社」は、
社員の親睦もかねて、頻繁に釣りに
出掛けていた。そうした中で、魚も
彫刻もモチーフのひとつとなった。
安藤の親友、堀江尚志は、人体彫刻に
取り組んだ一方で、動物彫刻も得意
特に、抽象化されたフォルム特徴の
「鯉」は、発表当時より好評を博し、
堀江の代表作のひとつとして数えられる。
また、素材を様々に変え、サイズを
小型化した「鯉」も制作。
なお、安藤もコイ科の淡水魚である
鰉(ひがい)をモチーフにした作品を
制作。安藤の作品の多くが粘土の
塊を意識した作風であるが、この作品では、
鰭(ひれ)を大きく誇張し、抽象化を
進めていることから、安藤作品の中で
異色の彫刻であたことがうかがえる。
⇒とても、被害を受けているのです。
18. 鯉 堀江尚志
大きい鯉
19. 鯉 堀江尚志
岩手 小さい 茶色
⇒ベイシティーローラーズの
ヴォーカル レスリー・マッコーエンさんの
妻 月岡啓子(ペコ)さんのような
話ではないのです。実家
姫路市豊富町「岩屋寺」
参考元
http://kayokosdiary.net/article/396245248.html
20. 鯉 堀江尚志
黒
21. 鯉 堀江尚志
ベージュ
とり
安藤は、犬の他にも鳥を愛でる
習慣があった。鹿児島に多く生息していた
とみられる目白や鶉を好んでおり、目白に
いたっては、多い時で70羽も飼育していたという。
さらに、その中の1羽が品評会で、一等賞を
受賞。また、鹿児島では、「鳴き鶉」と
呼ばれる鳴き声が美しい鶉を鑑賞する文化が
あったようで、安藤もそのさえずりを
楽しんでいたとみられる。
そして、安藤とともに、「塊人社」で
活躍した村田勝四郎も、自宅に鳥小屋を
つくり、鳥を愛した彫刻家だった。
村田は、「日本野鳥の会」に所属したほか、
鳥をモチーフにした彫刻を多く制作しており、
鵜(う)を第一回主線美術協会展に出品
している可能性がある。鵜のいきいきと
した様子が写実性を持って表されている。
22. 鶉(うずら)安藤照
23. めじろ 安藤照
Japanese white eye
24. 鵜(う) 村田勝四郎
こどものう
⇒どこってですから、
パリインターナショナルスクール高校1年の同級生
父イタリア人、母ドイツ人
サンフランシスコ出身アメリカ人のクリス
(クリストファー)です。
25. 鵜(う) 村田勝四郎
26. 鳩(杖頭) 小室達
しばたの郷土館
⇒SEIKOの元上司たちと香港出張で
食べた鳩 鈴木部長、阪本係長
セイコー電子 吉江さん
27. 鳩(杖頭) 小室達
しばたの郷土館
⇒鳩サブレー
28. 鶏 堀江尚志
オスのにわとり
⇒秋篠宮殿下がとても
ニワトリがお好きとのことですね。
Page2へ
































