6月29日終了 神奈川近代美術館「日本画コレクション

再発見と片岡球子「蔦屋重三郎の浮世絵師たち」」を

鑑賞しました。

参考元

https://www.moma.pref.kanagawa.jp/wordpress/wp-content/uploads/2025-nihonga-rediscovered-flyer.pdf

 

 

 

参考元

https://www.moma.pref.kanagawa.jp/wordpress/wp-content/uploads/2025-nihonga-rediscovered-listofworks.pdf

 

狩野探雪《草花図》
17世紀後半 紙本著色
神奈川県立近代美術館蔵

 

画像A

 

参考元

 

 
狩野探雪(かのうたんせつ)鍜治橋狩野家(かじはしかのうけ)
狩野探幽の4男 狩野時信(狩野安信長男)の娘と結婚、
息子・探牛(守睦)が誕生するも、9歳で病死し断絶。

江戸幕府の奥絵師、狩野派四家の一。狩野探幽が
江戸鍛冶橋門外に屋敷を与えられたのでこの名がある。
 
お花の人達が、学歴のない人だと決めつけた。
どこからの発想なのですか?
誰のことを??
 
クリスは、ロサンゼルスの大学を卒業しています。
 
何度もいいますが、そんな今更
38歳の時に、学歴のないアメリカ人と
結婚したいなんて言うはずないでしょう???
 
それから、クリスの兄の学歴も
疑ったということですか???
 
どこまで、疑えば済むのでしょう???

 

 

 

岸連山《群鶴飛舞図》ぐんかくひぶす
1851年 絹本著色
神奈川県立近代美術館蔵

 

参考元 画像Aと同じ

 

青木新助の子として京に誕生。岸駒、岸良に師事

岸駒(がんく)の長女で岸良の妻・貞の先婿との娘・晴(春)と結婚

岸派、岸駒(がんく)に学んだ孫娘の婿に。

婿養子となり第三代岸派を継承した。文政6年(1823年)以降は

父祖と同様、有栖川宮家に仕えたという。

 

嘉永四(1851)年 亥蔵 2月8日御庭において

群つる ひらいよう その時の趣を正しく画に写し取りおき

大樹公(徳川家康)への御慰めのため進んぜられるに

相成り候のところ関東において命ぜられ御表具となる。

なお、また当御殿へ進ぜられる相成り後世のため紛れ

なきよう記しおとものなり、嘉永(五年)壬子年

初夏)とある。蓋の内側記載

 

⇒有栖川宮家の詐欺事件のように、

嶋津(島津)の薩摩藩の島津家では

ないと勝手に判断したという。

本当に悲しいことですが、私たちは、

本物ですよ。

 

SEIKOの元同期の萩原(岸恵子)ちゃんが元??

あるいは、岸恵子さん

あるいは、D会山口絹さんが元?

以前、ベースで働いていたから。

話を盛ったのでしょう!!!

どうしてそんなことを???

情けないです。

 

 

山田成章(やまだせいしょう)

 「霊鷹図(れいようず)

青木文庫

 

倚松(いしょう)1960年(万延元)年から

木村貫山(かんざん)に円山派

西山芳園に四條派まなび、洋画家へ、

1871年高橋由一が主事する天絵学舎入門

1876年 五姓田義松(後生だ!)が主催

第1回洋画会に「洋婦人」出品

和洋双方の画法

油絵(ヒポクラテス像)

1876年山形市郷土館蔵)

「雪鷹図(れいようず)」は、日清戦争に

勝利した日本海軍の防護巡洋艦「高千穂」の

マストにひらいた1話の鷹を水兵が捕えて

吉兆として明治天皇に献上に由来

日本の旗。

 

⇒霊ではありませんよ!!!

パリ日本人学校の同級生歯科医山田隆史のせいで

ショー(見世物)だと決めつけた。

あるいは、パリ日本人学校、

パリインターナショナルスクール高校同級生

玉村晶子(高橋)のせい。

 

いいえ、大事件です。

 

児玉果亭(こじまかてい)「花鳥図」

信濃国松代藩領の沓野村(くつのむら)渋湯組

(しぶゆぐみ)

 

信州渋温泉で生まれ育ち郷土愛の強い画家

雑貨商の息子

佐久間雲窓(うんそう)で学び

畔上楳仙(あぜがみばんせん)より

漢学・経学・禅の指導を受け

吉祥の意味「ざくろ」百合・牡丹

輪郭がない没骨法(もっこうほう)

「豊華呈祥図(ほうかていしょうず)」

佐野市 吉澤記念美術館

 

元代の詩人 楊維楨(ようてい)の

画論から始まる款記(かんき)

「果亭酔生」1880年から1890年の

号をもちいる。

 

岡村清吉編「絵画振起論並名家独

案内(しんきろんならびにめいかひとりあんない)」

引用 推定

 

 

⇒私の靴が何か?意味ないです。

映画「湯道」無関係ですよ!!!

 

平福百穂(ひらはくひゃくすい)

「牧馬(ぼくば)」

紙本着色

 

 

本名貞蔵 秋田角館待ち 父が平福穂庵(すいあん)

四条派の第一人者川端玉章の内弟子

 

自然主義かかげる天声会(むせいかい)結成

珊瑚会、金鈴社

 

アララギ派の歌人(阿羅々木)

茫然とは、風音きこえてくるかのよう。

 

 

神が元、違いますよ。

人ですよ。

 

⇒元D会金子妙子さんの長女

高柳和美ちゃんの前の夫

三五仁一さん無関係ですよ!!!

あるいは、映画「青い珊瑚礁」

無関係ですよ!!!

 

人生100年なんて言う言い訳は

ききたくもないです。

 

若い時の方がいいに決まっています。

 

なので、私の姪は、50歳すぎまで

結婚できないというのが

普通でしょ。

それが平等というもの。

 

 

柿崎雲嶺(うんれい) 「渓閣秋吟図

(けいかくしゅうぎんず)」墨絵

福岡池坊大牟田村(現大牟田市)

本名末松

 

絵、漢籍詩文学び日露戦争、

陸軍少兵従軍 朝鮮半島や

南満州憲兵 中国古来 南宋画の

研究

米点法(べいてんぽう)

黒点を打つ筆法)

 

⇒東京大学医学部卒

筆宝義隆がいるのに

なぜにクリスが実在しない

なんて話になるのでしょう???

 

⇒霊ではありませんよ!!!

 

人間です。

 

柿崎雲嶺(うんれい) 「蓬莱朝陽図

(ほうらいちょうようず)

 

緑、滝

 

柿崎雲嶺(うんれい)「蓬莱山水図

(ほうらいさんずいず)

 

 

牛田雞村《青蘆》
1929年 紙本著色
神奈川県立近代美術館蔵

 

参考元 画像Aと同じ

 

牛だ!丑年 本名 治(はる)

松本楓湖(ふうこ)の安雅堂画塾入門

(あんがどうがじゅく)

 

町三趣 出品

同門の今村紫紅(しこう)

 

速水御舟とともに赤曜会結成

大和絵 没骨法(もっこうほう)

革新的日本画

1917年第4回院展

「かまくらの一日」出品

第1回樗牛賞受賞(ちょぎゅう)

白鷺の群れ 青蘆(せいろ)青あし

青々とした葉と白い羽の対比が印象的

しっとりしている。

ささに水辺5羽の鷺 

 

詐欺です。

 

玉村方久斗(ほくと)「装飾パネル

a,b,c,d」 板地着色

 

京都中京区極錦天満宮付近

(現中央区中之町)和装用品店

「玉一」生まれる。

本名 善之助

 

京都市立芸術大学に入学

菊池芳文(ほうぶん)師事

入江波光(はこう)

岡本神草(しんそう)

甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)

「密栗会(みつりつかい)

結成 

1915(大正4)京都大丸呉服店

作品展開催 雅号「方久斗(ほくと)」

第40回院展 樗牛賞(ちょうぎゅうしょう)

受賞

1920年 脱退「三科」結成

欄間パネル展 お供の者が支える

長柄傘の下、貴人が雪の中をすすむ場面

「伊勢物語」「小野の雪」

牛にげて 人々おおあわて

 

⇒パリ日本人学校、パリインターナショナル

同級生玉村晶子(高橋)

白状した方がいいに決まっていますよ。

物語でなく、事実、2007年からずっと

続いている話。

 

 

新井勝利(しょうり) 「老人の肖像」

くじゃく 白い髭 火鉢

 

東京都京橋区中央区京橋美術商 三男

1909(明治42)梶田半古(かじたはんこ)

安田ゆきひく師事 1926(大正15)年

津登比会(つどいかい)に牛田けい村(そん)

太田、中島清、片岡球子と

1940年法隆寺金堂壁画の模写

吉岡堅二とともに従事(心寺)

1943年海軍報道班員 1949年

多摩美術大教鞭とり、1958年

日本美術院評議員に推挙され

煎茶道の茶席 老人

 

⇒SEIKOの後輩新井智子さんは、

私が、パリとバルセロナ出張したこと

知っていますよ。

 

朝香宮ではありませんよ!!!

年寄り御免被ります。

ある訳ないでしょう!!!

四方だ!

 

太田聴雨(ちょうう)「朝」

絹本着色

 

⇒朝ね。

 

太田聴雨「阿ざ美(あざみ)」

 

⇒井上陽水さんの「少年時代」

無関係ですよ!!!

 

あざみ野に実家がある

パリ日本人学校、パリ

インターナショナルスクール高校同級生

森澤久美子(三浦)ウラの実家

 

太田聴雨 「星」

 

違います。

 

太田聴雨「観音」

古典的絵画に愛着

 

太田脳出血倒れる

冴えきった線描としぶい

色使い美しい

 

 

⇒観音様が何か?

大船でしょう。

 

私は、尼ではありませんよ!!!

 

太田聴雨《鶴》
1956年 絹本著色
神奈川県立近代美術館蔵

本名栄吉 仙台生まれ 5羽の鶴

参考元 画像Aと同じ

 

川端玉章門下 内藤晴州に弟子入り

模型作り、絵付け、

1915(大正4)小林三季(さんき)と

青樹社を結成

関東大震災で解散

1927(昭和2)小林と紹介で

前田青邨師事

「浄土変」1930第7回

美術展初入選

1951年東京藝術大学助教授

鎌倉市転居7年後「鶴」と

「花と唐傭(とうよう)」が

高く評価された。

 

ですから、鶴見の姉、

お花の人達、東洋だと

言い張ったのでしょう。

 

違いますよ。

 

⇒吉田栄作さん無関係

 

鶴見の姉のところ、D会鶴間の

山口家その他

 

太田聴雨「花と唐傭(とうよう)」

女性一人立つ 

牡丹・菊 ロシア 

 

⇒ロシア無関係ですよ!!!

 

長谷川路可(ろか)「瀬戸内風景」

カトリック洗礼

 

国立競技場青山内の外構設置

1日国立競技場メインスタンド

モザイク壁画「勝利と栄光」の作者

フランス留学 サロン・ドートンヌ

フランス、イギリス、ドイツで

西域壁画模写 フランス国立

高等技術学校フレスコ画技法

学ぶ 1927(昭和2)

キリシタン題材とした日本画

教会 フレスコ画 モザイク画てがける。

1934年帝人事件(逮捕起訴されるが無罪)

辞職するまで台湾銀行頭取をつとめた

島田茂の目黒にあった自邸のマントル

ピース上部の装飾として、事件のあった

1934年 別作

島田の出身地岡山 瀬戸内海風景

台湾各地巡る 

絵は、帆船が10以上、山々の間

流れる海

 

 

⇒瀬戸内寂聴さんと一緒に

しないで下さい!!!

 

⇒父は、栄光学園卒(カトリックキリスト教

イエズス会)

クリスのところと同じキリスト教

 

中島清之「孔雀」白

本名清 京都府宇治郡山科村

横浜移住

松本風湖(ふうこ)

安雅堂画塾(あんがどうがじゅく)

 

⇒朝香宮家ではありませんよ!!!

私に子供はいませんよ!!!

 

耕花(こうか)に師事

原三渓を通して速水御舟

下村観山 安田靫彦

前田青邨(せいそん)知り合う

小島一けい(いっけい)らと津登比(つどい)会

片岡球子出会う

陸軍慰問使訪中

1976年神文化賞受賞

1977年三渓園臨春閣のふすま絵1982年着手

三男 千波にひきついだ。

この絵は、神奈川県知事 内山岩太郞へ

1966年 かつての知事公舎玄関

衝立としておかれた。

 

 

⇒柴崎コウさんほか

 

アトム⇒旧日商岩井原子力部だった父と

部下たち

不死鳥 フェニックス

⇒葉山小・中学生同級生日吉敬偉子

 

三渓園でもありませんよ!!!

ただ、実業家で茶人の原富太郎によって1906年に造園

原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に

養子として入り、生糸貿易で財を成した。

原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に

関心を持って収集した。

 

⇒生糸貿易ということが嶋津の祖父と

同じというだけ。

 

四方田章炎(そうえん)

「憩える海女」

本名 清次郎

 

埼玉県児玉郡北泉村四方田(しほうでん)

本庄市 川端画学校へ。

川端龍子(りゅうし)

御形塾(おんぎょうじゅく)へ

龍子は、青龍社を結成

第3回青龍展入選

1938年 脱退 1947年

岩崎巴人(はじん)

筵上会(えんしょうかい)

結成事実上解散となる

第8回まで出品

石上会展や草草会展

青郊会展

女性の目 色つけず

生々しい強さがある。

 

⇒四方だ!

NYからの西けんちゃんの友人で

私たちの家の隣の隣にすんでいたのです。

随分前に引っ越しましたが。

 

2008年 映画「容疑者Xの献身」

のような話ではありませんよ!!!

 

三谷十糸子「蝶」

 

兵庫県加古郡高砂市生まれ

本名 敏子

 

私のいとこが、過去の話だと

言った。

いいえ、2007年から現在に至るまで

続いている話です。

 

 

吉岡堅二《群》
1941年 紙本著色
神奈川県立近代美術館蔵

 

参考元 画像Aと同じ

 

東本郷区駒込動坂町(文京区駒込)生まれ

父 吉岡華堂(かどう)

1921(大正10)年野田九浦(きゅうほ)指導

1934年福田豊四郎

太田聴雨、美術人社結成

福田と小松均、山樹社

福田、岩橋英遠(えいえん)

日本画研究会

1948年山本岳人(きゅうじん)

福田、上村松篁 (しょうこう)

創造美術結成

1969年東京芸大教鞭

1971年日本供術院賞受賞

1981年勲三等瑞宝章

フォービスムとキュビズム

この絵は、樺太、サハリンを

訪れたトナカイの群れ

たくましい息づかい

 

トナカイの群れ

 

クリスマスは無関係ですよ!!!

 

都、中井?

 

吉岡秀隆さん無関係ですよ!!!

 

川本末雄「うしお」

1967年

参考元 画像Aと同じ

 

熊本玉名軍玉名村 松岡映丘

1928(昭和3)年、松岡映丘(えいきゅう)

師事 亡き後、山口蓬春、日展会員

新日展出品作 「雪の並木」

外務省買い上げに

1971年文部省大臣賞

勲四等旭日小賞受賞

川本は、渇筆による風景画描いた

美術評論家

田近憲三「三彩」

1971年6月によれば

長崎県大村湾の海峡を西海橋

(さいかいばし)

うずがおしよせる。

 

⇒どこ?と思った人達が

私に塩対応したという。

 

どこってパリインターナショナルスクール

高校1年の同級生、サンフランシスコ出身

白人のアメリカ人

 

中村哲(あきら)「これは大学であるか」

1970年

 

高祖母の父は、江戸時代文人画家

浦上玉堂 キリスト教と成城学園

東京教育大法学部、法政大学法学部

教授に1968(昭和43)年総長

参議院議員 成城学園 正宗

徳三郎 美術おそわれる。

戦後 野口彌太郞

大学全学共闘会議による解体運動

新左翼 各派 内紛 激化

1970年法政大学内他校学生

リンチ殺害 

「これは大学であるか」

その時の心境

浦上玉堂150周年

銀座文芸春秋画廊個展

 

「これは大学であるか。墓場であるか」

落城 埋葬 9月3日

集団リンチ 十字架磔

 

恐ろしい絵でした。

 

⇒そうですよ。私もクリスも、集団で虐待に

あったのです。葉山町、逗子市、D会のね。

何も悪いことしていないのに。

 

法政大学は、中核派の拠点だったとのこと。

中核派とは、革命的共産主義者同盟全国委員会

フランス革命に強引に結び付けたという。

法政大学卒は、D会落合啓一さん

長女のたまえちゃん

 

中村哲「不動明王図」

1970年

 

「これは大学であるか」の

心境を不動明王図に。

 

 

結城天童《萬里》(「中國三題」一)
1962年 紙本著色
神奈川県立近代美術館蔵

 

参考元 画像Aと同じ

 

山形北村山郡 村山市河鳥 本名 正雄

京都 小松均に師事

川端龍子(かわばたりゅうし) 青頃

龍子「天童」号 さずかる

1945年 川崎市多摩区住む 故郷山形の自然や

多摩川の風景描く

龍子亡き後、解散

東方美術協会創立

1973年 川崎市の龍安寺壁画

1975年 同平問寺(へいけんじ)壁画

1974年 川崎文化勲章受章

1993(平成5)年山形県村山市名誉市民

「中國三題」中国の名勝 万里の長城

「明の十三陸」北京市天寿山にある

明代の皇族の陸墓群

「千山」仏教古跡 遼寧省鞍山市

山地描く

 

これって、映画「スーパーマン」では

ないですか???

クリストファー・リーブさん出演の。

違いますよ!

 

⇒チャゲアンドアスカ

「万里の河」無関係ですよ!!!

 

龍安寺⇒石庭 枯山水

私を、閉経するまで飼い殺し。

卵子凍結もなし。の状況まで

追い込んだD会山形Y.S会長ら。

その罪深さは、言うまでもありません!!!

 

結城天童「明の十三稜」(「中國三題」二)

1962年

 

⇒D会山形 安部稜ちゃんのせい。

クリスは、同級生です。1つ年上。

 

結城天童「千山」(「中國三題」三)
1962年

 

山、滝、沿った階段

 

⇒怪談ではありませんよ!!!

 

伊藤万燿(まんよう)「女」

 

本名満(みつる)

木の椅子 座る

赤いスカート 赤いスリッパ

手で椅子を掴む

 

日本画家 伊東深水の次男 満

朗峯画塾(ろうほうがじゅく)

父に師事

第4回 新文展 「樂人」初入選

除隊 日展 1947年

「落葉する頃」

1949年「高原清秋」

1967年「踊子」第10回

日展内閣大臣賞

ジャズ奏者 フラメンコダンサー

家族風景、美人画的人物像

父とことなる独自の表現

戦後 鎌倉市山ノ内

「月白山荘」画質

49歳 病にたおれる。

 

葉山小・中学生同級生伊藤知恵子(関浪)が

クリスの写真を女性だと言った。

とんでもないことです。

クリスは、普通の男性です。

それに、私は、一度たりとも女性を

好きになったことはありませんよ!!!

なので、重罪です。

閉経するまで飼い殺し

卵子凍結もなし。

落合弘美さんは、私が同性愛者だと

言ったのですよね。

信じられません。

 

近藤弘明(こうめい)「白光」

蝶 たんぽぽ

 

束下谷区台東区
天台宗 龍光山 三高寺
正宝院生まれ

1930(昭和5)年6歳 僧籍(そうせき)
入る 本名 弘明(ひろあき)

⇒こうめい

孔明 あるいは、公明党 無関係ですよ!!!

大正大学 日本画家 常岡文尾(つねおか
ぶんき)

植物写生学ぶ
志願入隊飛行 訓練中 八ヶ岳山麓
高山植物
滋賀県大津市 園城
寺法泉院 療養
志賀直哉のもと 通う


東京美学校 山本丘人(きゅうじん)
師事 創画会結成
1976年 杉並区小田原市 画家移し
紺綬褒章受章

「阿弥陀紅」の一節
寂光土(天台宗)
道のべ 花々 神秘の世界
たんぽぽ 白い穂 蝶

⇒高山植物の押し花は、
NYからの西家の別荘 十里木
富士山の麓で、私が採取して
小6の夏休みの宿題として提出。

 

求人ではありませんよ!!!

仕事はしているのに、お金が

一銭もはらわれず、すべて、

盗まれつづけているから。

 

小泉淳作《雲龍図》(建長寺天井画)小下図
1997年 紙本墨画淡彩
神奈川県立近代美術館蔵

参考元 画像Aと同じ

 

鎌倉荘 1943(昭和18)年

慶応大学中退 山本丘人(きゅうじん)師事

鎌倉 建長寺 法堂天井画

「雲龍図」

「色という感情的表現を否定したところから

生ずる象徴的世界であって、それが

精神的な世界へつながる可能性をかなり

秘めている。」

2002年 京都 建仁寺 法天井画

「双眼図」

2010年 奈良 東大寺

本坊に「東大寺本坊の桜」とふすま46面奉納

 

私の家にかざってある絵ですけど

それが何か???

私の姉は、龍年

 

建長寺の経営する鎌倉学園卒は、

NYからの都ちゃんの長男和君

中央大学同級生 松崎秀治

 

上野泰郎(やすお)「またとなきいま」

1989年

参考元

 

 

 

クリスチャン 裸の人達

 

東北豊島郡、豊島区

1943年(昭和18)

東京美術画稿 山本丘人師事

「自由にして純粋なる芸術

創造」求められた時代

創造性むしろクリスチャンとしての

宗教性を日本画に求めた。

「私がどこか絶対と信じる神の

存在を思い詰めており、原罪を

背負った人間のあわれさの

奥にある人間賛歌をうたっている

かもしれない。人間群像、いのり

嘆き、悩み、喜ぶ姿

人間を慈しむ

深いまなざし」

 

 

1989年 NYでは、何もありませんよ!!!

クリスチャンだからいけないと???

アメリカは、異教徒同士の結婚が普通に

あるのです。

年増と言った、失礼ですよ。

 

室井東志生(としお)《邕よう》
1982年 紙本著色
神奈川県立近代美術館蔵

参考元 画像Aと同じ

 

本名 利夫 福島県

 

邕とは、 四方を川に囲まれた

ふさがけれた土地から派生して

「和らぐ」

表情のとぼしい女性モデルの

特定はむずかしいが、室内

とじこもり長椅子 犬を背に

腕を広げ、寛ぎ孤独の中に

安らぐつかの間の心理が

独自の「形(ポーズ)から

醸し出される。

エンジ色のワンピース

 

白い犬と女 橋本明治に師事

法隆寺 金堂壁画再現模型

高橋常雄 、大矢紀

中路融人(なかじゆうじん)

妖艶な舞妓や人気画五代目

玉三郎 五代目 柳家こさん

美しいポーズ 思い出す

 

⇒ドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」

稲垣吾郎さん役、濱ソラリス高校を運営する

「学校法人・濱学院」の理事長尾碕美佐雄

(おざき みさお)が買っている白い犬

 

福島県郡山出身だったのは、

NYのラッセル家の故ともこさん

 

D会会員も福島県出身の人達いますが

その人達が、なりすましたのでしょう。

 

D会橋本さんが明治だと

言った???

 

荘司貴和子(しょうじきわこ)

「菅尾でみた旗」1978年

 

兵庫神戸 旧姓 中村 義母

日本画 荘司福 4歳長崎市

1956(昭和31年)父転勤

上京 東京芸大日本画

須田珙中(きょうちゅう)

田中青坪(せいひょう)

岩崎英遠、吉岡堅二

1979年 腸癌のため

39歳逝去

「社にて」も

 

 

⇒素顔

私には、義母も、義父も

いませんよ!!!

 

私の両親、姉、姉の家族皆

普通の血の繋がった家族です。

 

伊藤彬「浅間飛雪」

1982年

けむり出ている?

兵庫県西宮市 東京芸大

ギュスターブ・モロー

オディロン・ルドンの影響受ける

1984年 日本画研究

「横の会」1996年(平成8)

グループ「目」

中島千波「くずれゆく」村木

大気、水墨

福井県 永平寺 ふすま絵

集大成

モノクロームによる現代表現

 

 

目が誰かに似ているからって

不倫とか年寄りとか

一緒にしないでほしいです。

 

中島千波「青」

1969年

 

父中島清之 疎開崎

長野高井群小布施村生まれ

東京芸大名誉教授

人間題材 シリーズ

「衆生」「形態」

「桜」「牡丹」ちょうず

裸婦 自画像 

宮尾登美子「きのね」

の挿絵も手がける

1969年(昭和44)K氏賞受賞

「青」窓の中入れこうし、入れ子状

1本の樹の枝のばし、まどわくを

堺に生まれる外と内の対立関係を

有機的につないでいる。

窓をひらくとことなる。

 

私の携帯のメーカーも

無関係ですよ!!!

私は、寄付などしていません。

というか、勝手にやったことです。

寄付するなら、私に確認してからに

するのが常識です。

私は、お金を恵みません。

窃盗です。返して!!!

 

瓜南直子(かなんなおこ)

「信太(しのだ)」

石川鳳至郡(ふげし)鳳珠(ほうす)郡

穴水町

 

石川県 東京美芸大 工学科鍛金専攻卒

(たんきんせんこう)30歳すぎ

鎌倉 自分「兎」

神 としんこく)独特の世界描く

うすあかりの中の少女

兎とり、ひそかにたわむれる風景

神話の時空へと誘いこむ

この絵狐の面を被った女

異空間から蒲(がま)の穂が

ゆれる世界 降り立つ

信太⇒大阪和泉市 信太山の森

住んでいた自狐の伝説由来

「私は、いまだに旅人

南へ何里西へ何里いつか

この國にすめる日まで

月に護られるものになるまで

記憶をつむぐように。

地図なぞるようにまいたもの

みたものを描く

狐に姿をかえた女もまた

絵の中で今と昔、此処と

彼岸のあわいを超え

永遠に旅をつづけてゆく。

 

⇒池波志乃さん???

旅人ではありませんよ!!!

法が巣。

法律のせい。

 

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