クリスの時も、坂本達の時も、
それから前の夫の時も
私から声をかけたのではありません。
向こうから声を掛けてきたのです。
クリスの場合は、フランス語の授業で
「Oh!My God!(オーマイ・ガッ)」と
声がして、隣を見たら、目が合ったのが
クリスだったのです。
それが始まりだったのか、あるいは、
それ以前に私たちが、A5に入りますと
自己紹介した時からか分かりませんが。
その「Oh!My God!(オーマイ・ガッ)」を
聞いて、すごく懐かしかったのです。
その言葉の意味は、私は、理解していたのですよ。
綴りとか分かっていませんでしたけど。
クリスは、いつの間にか、私の隣に
座っていたのです。
それから、昼食のカフェテリアで食事を
した後、たむろしていた部屋があり、
そこにいたら、クリスが食事をして
出てきたら、「名前なんだっけ?」と
質問したので、「千恵子」と言ったら、
「分かった。」と。
それが3回くらいあったのです。
それで、その度に「千恵子」って
言って、「覚えた。Chiekoだね。」って。
その後、クリスたちと一緒に昼食を
取るようになったのです。
回数も覚えていませんが。
それで、カフェテリアの前で
内心クリス来ないかなって
思ってたのですよ。
数学の授業の前、教室で
スウェーデン人のパトリックに
松田聖子さんのカセットテープを
貸していたのを返してもらった
ところに、クリスが入ってきて
「それ、貸して!」って。
それで、貸したのですよ。
それが、こちら↓
アルバム「パイナップルとキャンディー」の曲が
入ったテープだったのです。
パイナップルの楽曲がこちら↓
参考元
そのテープを返してもらった日に、
クリスが、その曲名をひとつひとつ
質問してきたのですよ。
それを、服部きょうこ(妹)が
訳して行って、キャンディーの
「未来の花嫁を、The future bride」と
言ったら、日本人女子たちが、
「うわー」って言ってその時
私とクリスは見つめ合ったのですよ。
嘘ではありませんよ!!!
それから、日本人同級生の筆宝義隆が
数学の授業の後に、私たちの写真を
撮影したのです。
クリスと私たちが映っていた写真を
義隆がクリスに渡したのです。
私は、それがほしくて、筆宝義隆の姉の
輝子に送ってと頼んだのに、イジワルして
送ってくれないまま…
ひどすぎる!!!
その写真があったら、私は、どれだけ
毎日励まされたことでしょうか。
下記の写真は、クリスの誕生日に送ろうかと
思って自撮り撮影したのですが、気に入らず
送りませんでした…
筆宝義隆と姉の輝子と入れ替わりのように
パリ日本人学校の同級生の上野巌近が
転入してきたのです。
その上野が私の体に触るなど痴漢行為を
したのを見たクリスが「今度やったら
ぶっとばしてやる!」と言ったのですよ。
もちろん、暴力は振るいませんけどね。
あの顔で、すごく男らしいのです。
ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿の庭園など
皆で見学したのですよ。
下記の写真、クリスは、パトリックとアメリカ人のトムと
3人でボートに乗っていたのです。
その時のクリス拡大したのがこちら↓
他の生徒達
この時も、電車の中で、私は、ずっとクリスを
見つめていたのです。
それで、私のサイン帳(ノート)にサインをお願いしたら、
一旦は、そのノートを持って行ったのですが、
フランス語の授業の後、クリスが服部きょうこの
ところに行って、「今は、とても、書けるような
心境ではない、でも書くから」と言ったのです。
仕方なく、私は、そのノートを受け取り…
アメリカ人のジェーンに書いてって頼んだら、
1ヶ月もノートが戻ってこなくて…
それで、ようやく戻ってきたら、スチュワート美和の
ストーカー行為によって、逃げ回っていたクリス。
ある日から、学校に来なくなってしまったのです。
それで、仕方なく、クリスの家(ヌイイ地区)に行って
書いてもらおうとしたってことです。
パリのアパートは、大抵ドアが閉まっていて
入れないのですが、その日は、空いていたのです。
それで、クリスの家の部屋番号を確かめて
廊下を歩いていたら、口ケンカしている声が。
ケンカの内容は、わからなかったけれど。
早く終わらないかなって。
その時、どう考えてもクリスの声だったのです。
いつまでもケンカが終わらず、それで
ドアのベルを鳴らしたのです。
すると、パッと声がしなくなって
ドアを開けてでてきたのは、
妹のクリスティナだったのです。
「クリスいますか?」と高橋晶子が。
「留守です。」とクリスティナ
内心、どう考えてもクリスの声だけどって
思っていたのですね。
でも、ケンカしていたせいか。
クリスティナは、「いない」と言ったのです。
それで、「何かメッセージありませんか?」と
言われて、すかさず、高橋晶子は、
「実は、同級生漆間あやのおばさんがサンフランシスコに
住んでいて、」その住所を渡したのです。
私は、呆然としてたのです。
でも、その時、「二人の名前は?」と
聞かれ、その紙に名前を書いたのです。
それで、クリスのアパートを後にしたのですよ。
簡単に言うとこんな感じです。
で、私は、クリスの誕生日に手紙を2回出したのです。
返事がこなかったのですね。
ところが、高校3年の6月、
フランス語の授業が終わって、廊下に出ていたら
イラン人のシャーロックが「クリスって覚えている?」って
私たちに質問したのです。
その時、私は、満面の笑みをしたら、シャーロックが
目を丸くして驚いてたのです。
「クリス元気?」「元気だよ。電話もらったんだ」って。
普通に会話してて。
それで、シャーロックが去ったのです。
私と高橋晶子と、惣田くみ子さんと3人で
高校の出口に向かっていたら、また
シャーロックとすれ違ったのです。
「じゃーね」なんて言って。
一旦、シャーロックの姿が見えなくなったら
戻ってきて
「クリスのお兄さん、俳優なんだって、
名前はアンソニーって言うんだ。
覚えた?」って言って去って行ったのです。
私は、「クリスが俳優なのは知ってたけど
お兄さんも俳優なの???」って。
そのことを聞いて、もしかしたら、
将来クリスに会えるのかもしれないと
思い空を見上げたことを覚えています。
ただ、シャーロックは、クリスからの
きちんとしたメッセージを
伝えなかったのです…
その時、メモしたのがこちら↓
お兄さんの名前がアンソニー
1996年に私が、慶應義塾大学法学部で初めて
クリスの兄のHPにアクセスしたのです。
私が慶應義塾大学法学部で働いていた証拠こちら↓
こんな作り話しませんから。
そして、2007年にクリスの兄に手紙を出したのです。
クリスから、メールで返事が来たのです!!!
ここから、現在にいたるまで閉経するまで飼い殺し
卵子凍結もなし。
クリスの兄からの返事こちら↓
パワハラで、メールも手紙も届かず、
本当に、信じられませんよ。
もう、妨害するのはやめて下さい!!!
私は、クリスと結婚するために
サンフランシスコに住むのです。
分かりましたか?
D会の方々はじめ、大変な罪を犯した
人々は、罰せられますし、逮捕、刑務所に
入る人達もいます。
皆さんの罪が重いから、これだけ時間を
かけたけれど、皆さんは、とうとう
変われなかったのです。
もう仕方ないじゃないですか。
お詫びさえしないのですから。
本来だったら、何をして私の人生
めちゃめちゃにしたか、詫びるべきでしょう。
今だにみな黙っているのです。
信じられませんよ。
判決は出ているのですよ。
どれだけ泣いたと思っているのですか!!!
お金も全部返して!!!














