私の通っていたパリインターナショナルスクール(EJM)、

インターナショナルバカロレア(国際バカロレア)に

ついて。

 

まず、国際バカロレア

 

参考元

 

 
こちら↓日本で、国際バカロレアを受験した方の動画

 

 

 

 

私の通っていた学校は、基本的に日本にある

インターナショナルスクールとは

かなり異なるので、そのところをお話します。

 

日本や他の国にあるインターナショナルスクールは、

英語を基本にしていますが、私の通っていたパリの

インターナショナルスクールは、高校2年からフランス語を

中心として授業を行っていたのです。

 

英語だけでは、国際バカロレア(大学入学資格試験)を

取得することはできない仕組みになっていたのです。

 

高校1年の時は、フランス語の授業以外は、

イギリス英語で授業を行っていましたが…

 

なので、かなり日本や他国のインターナショナルスクール

とは異なるのです。

 

それに、母国語である日本語の授業も

必修だったのです。

 

考えてみたら、バスケットボールも

フランス語。

 

国際バカロレア取得のための

授業が高校2年から始まる前、

科目を選ばないといけないのですね。

 

ハイレベル3教科

私の場合は、生物(イギリス英語)、日本語、

美術(フランス語)

 

卒業論文 日本語

 

スタンダードレベル3教科

地理(フランス語)、数学(フランス語計算機使用)

フランス語

 

必修 知の理論(フランス語)

 

スポーツ バスケットボール

男女一緒

 

ボランティア活動

目の不自由な人達のために

フランス語の本を読んだものを

テープに吹き込むことをしていました。

 

試験としては、ハイレベルが

普通の解答問題 3時間のテスト

論文が4時間

語学の口頭試問(面接)

 

美術の場合は、一つのテーマに沿って

2年間描いた絵24枚とそれについての

説明をクロッキーに各一枚小さい絵も

添えて提出。

試験の日は、24枚の絵を教室に

展示して、それについて試験官から

質問され、説明するというもの。

 

スタンダードレベルは、

普通の解答問題 2時間のテスト

論文が3時間 

数学解答問題2時間、応用テスト 3時間

語学の口頭試問(面接)

 

というのが試験だったのです。

 

私は、中学3年の2学期9月に

パリ日本人学校に転入し、

10月には、パリインターナショナルスクールに

英語とフランス語の補習授業を受けに通い

正式には、1月からインターナショナルスクールに

通いはじめたのです。

 

パリ日本人学校の卒業式は、1月19日。

卒業式の日の服装は、私がブレザーがほしいと言っても母に

買ってもらえず、カーディガンにズボンという格好で

校長先生と担任の先生に呼び出され叱られたのです。

それで、先生にいじわるされて、卒業証書をいれる筒をもらえず、

織立さんが座ってしまって、折り目がついた

卒業証書。

 

 

パリでは、2つの学校を同時に通うことが

許されていたのです。

 

パリ日本人学校の同級生、佐藤敏知(ヴィンチ)と

ヨヨ(朝野陽子・保坂)は、フランスの現地校

であるリセ・モリエールに通っていて

現地校が水曜日が休みだったので、

その日だけ、日本人学校に来ていたのです。

 

 

昔、NYに住んでいたとはいえ、

日本に帰国後、公立の小学校、中学校に通い、

すっかり英語は忘れてしまったのです。

 

 

 

 

NYから帰国した際は、まったく日本語が

話せませんでした。

 

その証拠がこちら↓

 

日本人同士でも英語だったのです。

 

それで、日本の公立の小学校にいきなり入って

壮絶ないじめにあったのですよ。

 

 

パリに行ってからは、

フランス語のA,B,Cから始め

イギリス英語も、できなかったので、

他の生徒より2倍も3倍も

勉強漬けでした。

 

フランス語の家庭教師、

英語の家庭教師、数学の家庭教師を

つけてもらって、本当、今

思い出しても、胃が痛くなります。

 

夜中の2時3時まで必死に勉強していたのです。

 

それでも、インターナショナル

バカロレアを取得できたことは、

自分の中の自信に繋がっています。

 

こちら↓がディプロマ(大学入試資格証明)

 

 

ま、当時、日本の大学受験で、

「国際バカロレアって何ですか?」と

質問される度、がっくりしたのを

覚えています。

 

何のメリットもなく…呆然。

 

 

現在の私の高校では、卒業式をおこなって

いますが、私たちがいた頃は、まるっきり

フランス式で、卒業式はありませんでした。

 

2023年、私の高校の卒業式

 

 

 

映画「エール(ベリエー・ファミリー)」の歌を歌っています。

元々は、歌手ミッシェル・サルドーの歌なのです。

 

この映画「エール」は、フランスの田舎で、聴覚障害の両親の

間に生まれた健常者のポーラ、弟も聴覚障害という家庭環境で

家族のために、自分の才能を無駄にしようとしますが、

最後には、その歌唱力が買われ、音楽大学に進むという。

 

その映画のシーンがこちら↓

 

 

歌詞としては、

 

親愛なるパパとママ、私は旅立ちます
ふたりとも大好きだけど、旅立ちます
もうパパとママの子どもはいないのです
今夜
逃げるのではなく、飛び立つのです
わかってください、飛び立つのです
タバコもお酒もやらず
飛び立つのです。

 

参考元

 

 
 
そのアメリカバーションの映画「コーダ(愛の歌)」

 

 

歌が異なります。

 

 

 

参考元

 

 

 

何度もいいますが、聴覚障害の両親を持っていたのは、

私の姉の夫榊原雅彦の兄のお嫁さんです。

 

それなのに、まるで、私の家族が聴覚障害者だという

ような話になっていたという。

 

ほとんど、皮肉で2023年の私の高校の卒業式に

歌っているのだと思います。

歌詞も少し異なり、「私は、旅立つ」でなく、

「8年前からパリにきて、

私たちは、旅立つ。友情。ディプロム取得、

思い出、EJM(高校のこと)」となっています。

 

 

フランスは、入学式も、始業式も、終業式

卒業式がないのが当たり前なのです。

 

参考元

 

 

インターナショナルスクールには、レベルがあり、国際バカロレアを

取得できない学校もあるので、そういう学生が編入してきたりも

していたのです。

 

 

インターナショナルスクールの高校を卒業したら、

日本の高校卒とみなされず、日本の大学受験する時、

大検が必要というネットニュースがありますが…

 

少なくとも、私の高校で国際バカロレアを

取得していなくても、大検など必要なく

帰国子女受験で大学に入学していた

同級生もいましたので、それは、

インターナショナルスクールの
レベルによると思います。

 

 

私の高校は、Ecole Jeanine Manuel

(エコール・ジャニーヌ・マニュエル)

昔は、Ecole Active Bilingue Jeanine Manuel

(エコール・アクティヴ・ビラング・ジャニーヌ・

マニュエル)という名前だったのです。

 

卒業生には、

 

 

シャルロット・ゲインズバーグの映画は、「生意気シャルロット」

 

モナコ公国 レーニエ3世とグレース・ケリーの長女

カロリーヌ公女の長女シャルロット公女

 

 

岸恵子さんのデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi) さんも。

 

 

参考元

 

 
このブログの方は、小学生のお子さんが、私のインターナショナルスクールに
通われているという。
 
参考元

 

という感じで、とても、優秀な高校だったのです。

 

私には、遊んでいる時間はなかったのです。

 

家族で旅行に出掛けている間も、帰ってから

どの科目、どれくらい勉強しなければ、と

憂鬱になったのも覚えています。

 

私のクラスの国籍は、フランス、イギリス、アメリカ、カナダ、

オーストラリア、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、

オランダ、ギリシャ、イラン、シリア、イタリア、スペイン、タイ、

インドネシア、韓国、日本という感じ。

 

これだけの生徒がいても、ケンカなんてほとんど

なかったのですよ。

 

それは、お互いを尊重する気持ちがあったからです。

 

宗教がちがうからとか、肌や目、髪の毛の色

言葉が違ったってそれを受け入れるのが

普通だったからです。

 

 

日本に帰国後にも、高校から連絡があり

どの大学に進んだか記入して提出しました。

 

内心「中央大学って言っても分からないだろう」と

思いつつ。

 

進学校なのですよ!!!

 

 

 

それから、帰国子女だから、遊んでいたというイメージは、

やめて下さい!!!

 

当時は、エイズも流行っており、まるっきり

そんなことは、ありませんよ!!!

 

蚊でも、エイズが移るとか、手がふれただけでも

なんて噂が飛び交い、皆それは、それは、

今のコロナ同様気を付けていた位。

 

何もありませんよ!!!

 

 

 

 

参考元

 

 
 
当時、どれだけ、おおごとだったか分かりますよね。
 

ボタン Dr. 木戸流「異文化コミュニケーション」 ボタン

89)世界が愛した「パリ・アメリカン病院」
 

参考元

 

 

ロック・ハドソンさんが、ドラマ「ダイナスティ」出演中に

パリのアメリカンホスピタルに入院し、エイズだと分かり

パリも大騒ぎだったのです。

 

その後、ロック・ハドソンさんは、パリのアメリカンホスピタルで

亡くなっています。

 

 

帰国子女というのは、留学とは違い、親の都合で

海外に行くので、その精神的な負担は、自らが

海外に行く留学生とは比べものにはなりません。

 

それでも、とても良い経験をさせていただいたと

思っています。

 

そのことだけは、断言させていただきます!!!

 

私たち家族が海外に行ったことを否定するのは

やめて下さい!!!