ブラフマンを知るものは 至高の目的に到達する。

ブラフマンは不変の真実なる存在であり、

純粋な知識であり そして無限である。

 

ブラフマンは心臓の蓮華の内に宿る

 

 

これを知るものは

ブラフマンとひとつになって

あらゆる祝福を享受する。

 

アートマンであるところのブラフマンから虚空が生じた。

虚空から風が、風から火が、火から水が、

水から地が、地から植物が、

植物から人間の体ができた。

 

植物の要素によって構成されている人間の体は

アートマンを包む物質のさやである。

 

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肉体とは別に 気息のさやが存在する。

これは肉体のさやに包まれていて

それと同じ形をしている。

気息のさやをブラフマンとして礼拝する者は

寿命をまっとうする。

このさやは、肉体のさやにとって 

まさに形をもった本質である。

 

 

 

気息のさやとは別に

思考器官のさやが存在する。

これは気息のさやに包まれていて

それと同じ形をしている。

 

 

言葉はブラフマンの歓喜を表現することができず、

思考器官はそれにたどり着くことができない。

それを知る聖者は恐怖から解放される。

 

思考器官のさやは気息のさやにとって

まさに形をもった本質である。

 

思考器官とは別に 知性のさやが存在する。

これは思考器官のさやに包まれていて

それと同じ形をしている。

 

すべての行為は知性によって行われる。

すべての感覚は知性のさやに敬意を払う。

 

知性をブラフマンとして瞑想するものは

罪を犯すことがない。

彼らは自らを他のさやと同一視せず

また肉体の情欲に屈しない。

 

知性のさやとは別に、自我意識のさやが存在する。

 

このさやは知性のさやに包まれていて

それと同じ形をしている。

 

すべてのさやを超越して 

アートマンが存在する。

 

ブラフマンを非存在であると考える者の生涯は虚しく

無益なものとなる。

 

ブラフマンを存在するものであると知る者のみが

真に生きるのである。

 

まことに死の時に、愚かな者はブラフマンに到達しない。

賢い者のみが到達する。

 

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賢者はそれを存在するもの

と呼ぶのである。

 

「創造の前には ブラフマンは未顕現のものとして

存在していた。未顕現のものから 未顕現したものを

創り出した。

それは 自分自身から 自分自身を生み出したのである。

それゆえに ブラフマンは 自存するものとして知られる。」

 

自存するものはあらゆる至福の本体である。

 

この至福のアートマンが心臓の蓮華に棲んでいなかったなら

誰が生きることができようか、

また誰が呼吸することができようか。

歓喜を与えるのは アートマンである。」

 

 

ーーーウパニシャッドよりーーー