先週末から3日間研修を受けていました。
そこで一番心が動いたのは、人が何かに気づきを得て、「あ~っ、そうか。そうなんだ。」
そうやって、自分発見をして、自分のパワーを取り戻していく姿を見ていることが、本当に楽しかったということです。
自分の顔は自分で見ることができません。
自分の顔を見るためには、鏡や通りのガラス面などに自分を映して、自分の顔を確認するしかありません。
あるいは、他人に自分の顔を聞いたり、似顔絵を描いてもらったりして、自分の顔を知ります。
自分の手で触っても、なんとなくの輪郭だけで、明確に自分の顔を知ることはできません。
それが誰にとっても、たったひとつの真実なのです。
自分で自分の顔をはっきり知ることは、不可能なのです。
人生も同じかもしれません。
人は自分の人生が幸せかどうか、自分の人生があっているのかどうか、正しく進んでいるのかどうか、鏡を通して見ようとします。
その鏡役は、他人であったり、世間であったり、家族であったりします。
親は人と比較して、〇〇ちゃんよりかわいいけど、〇〇ちゃんより、ブスと表現するかもしれません。
日本の標準では、標準以下だけど、世界に行けば、個性的であり、アジアンビューティとして、エキゾチックな美人の部類に入るかもしれません。
もっと言えば、1000年前以上では、しもぶくれの一重の色白のあなたは、絶世の美人であり、1000年後は、ブスという評価になるかもしれません。
つまり、きれいの評価は何も意味がないのです。
あなたには全く関係ない評価なだけです。
自分がきれいと思ったら、それでいいし、周りがきれいと評価したら、それもいいだけです。
どちらも人生を表してはいないのです。ただ顔という一部分の評価だけです。
だれも本当にはあなたの顔の正しい評価をすることは、決してできないからです。
誰かと比較することでしか、たった今の評価をすることしかできない事実がそこにあるだけです。
では何にとらわれて、人は幸せ探しをするのでしょう?
きれいになったら、幸せの結婚ができる。
きれいと評価されたら、引きこもりしないで、人と出会える。
そう思っていること自体、何の意味もないことなのかもしれません。
幸せに条件をつけること自体、何の意味もありません。
条件なんて気にせず今から「幸せである状態」を創ればいいだけです。
大事なことは、その顔を持っている自分が、どう幸せになるかだけです。
あなたの人生は、誰にも本当には、何も見えないただの器です。
あなたという顔=(人生)は、他人から、かわいそうな人生だとか、輝いている人生だとか決められても、何の意味もないことなのかもしれません。
あるのは、その顔=(人生)を使って、自分がしたいことをする、幸せになることだけです。
だって、顔は自分では決して見えない。 自分の顔の表情はわからないのです。
人生には、楽しすぎて、ただ笑っていることだけでもいい。
そうするととびっきりの笑顔が顔にただ現れるだけ。
人生にはただ泣いている時があってもいい。
そうすると涙顔でぐちゃぐちゃの表情が顔にただ現れるだけ。
どんな顔をしてるかに悩むより、どんな『感情』『状態』を今持っていて、どんな表情を浮かべているかをただ体感するだけでいい。
それが人生なのかもしれません。
自分がどんな人生(顔)を送っているのか、人と比較して、理解しようとすることに何の意味もないこと。
大事なのは、その人生(顔)を使って、どんな体験(表情)をしているかだけなのかもしれません。
ただ自分が人生で表したいことを表せば、それで人生(顔)の役割は十分果たすのです。
「人生を観客席ではなく、コートに立ちなさい」
人生を下手だから、プレイできないとか、脇役だから、舞台に立てないというセリフはないのです。
自分が人生というコートに立たなければ、あなたの人生は、ただのコートという空き地だけなのかもしれません。
コートに立つとは、自分が自分を今すぐ「幸せである状態」にすること。
多くの幸せである今を創り続けること。
そして、出来れば、悲しくて泣く涙より、嬉しくて泣く涙を流したい。
それがもっと、幸せである状態を未来に創るのかもしれません。
人生の生産性を高めるとは、美人になったら、お金持ちになったらという条件付きでコートに立つということより、今すぐコートに立って、ボールを打ち続けることかもしれません。
頭で考えていても、決して上手にボールを打ち返すことはできません。身体で覚えた方が早いのです。ボールが返ってきたら、一生懸命打ち返すだけ。
ボールは日常の出来事です。幸せである状態を創り続けるだけ。そのうち上手くなり、幸せの時間がどんどん増えていきます。
仕事を通して、恋愛を通して、家族を通して、「幸せである今」を打ち続けることで、もっと軽快に、もっと生産性を高めて、上手くプレイをできるようになることを信じて、プレイし続ける。 人生を体感することこそ、人生をプレイする状態だからです。
「幸せになること」を待つより、「幸せであること」を今から創る決意が、人生を加速化させていく。
研修で学んだ内容より、研修に来ている人がどんどん元気になっていくことを一緒に分かち合うことが一番私が幸せな時間でした。
私はたまに思いついて、研修に行ったり、セミナーに行ったりするのですが、なんで行くのか、はじめて理由がわかりました。
人が変わる瞬間を共有したいからです。一緒にコートに立って、喜びを分かち合いたい、それが大好きだからです。
ヒーラーという仕事が飽きないのも、「グリーフケアセラピスト講座」をするのも、同じ理由です。
私の永遠の興味の対象は、「人は人を無限に幸せにできることの可能性」を発見したいからです。
それが分かったのが、研修の一番の成果でした。
研修会場に、山口智子さんが会いに来てくださいました。
智子さんは、1月に開催した井上紗佑里さんの「仕事にパートナーをあらわす為のセミナー」に来てくださいました。
尊敬するリーダーとのパートナーシップを学びたかったからだそうです。
智子さんのブログを見たら、私のことシェアしてくださっていました。
私に癒されて、励まされたとブログに書いてくださり、とても嬉しかったです。
でも私は、ほんのちょっと雑談しただけで、ただいつも通りの私でいただけです。
人生は、ただ楽しい表情を体験するだけでいいのかもしれません。
自分にとっては、ただ普通のことが、どこかで、確かに他の人のためになっている。
だから、他人の評価を気にせず、自分らしい表情を体験していけばよいだけです。
智子さんの表情(人生)は、輝いているし、間違いなくコートに出て試合をしています。
打てなくても、一生懸命ボールを転びながら打ち返し、戦っている智子さんの姿に、沢山の人が勇気づけられています。
智子さんが、あなたらしいプレイをするだけで、それだけでいいのです。
智子さんは、コートの前面に立って、試合に出ているリーダーの足手まといになっているのではないかと不安になっていました。
私は、前面でリスクを取って、試合に全力投球しているリーダーの立場を今とっています。
リーダーは、常に「お客様」に最高の商品を生み出したいために、常にアップグレード、アップデートを目指します。
「今心にあるものが人生に表れると信じている」からです。
私にとってお客様に提供している商品は、「愛」です。
いつだってお客様目線で、より良い「愛」の新商品を考えているのです。 だから、研修にも行くのです。
そういう私も、ビジネスパートナーである井上紗佑里さんに対して、とても厳しい面があります。
コートに立ったら、後ろを向いて、プレイできないのです。
常に正面を見つめて、ボールを打ち返しています。
だけど、前面に出てボールを打っているリーダーは、仲間を信じています。
どれだけ、コートの後ろで、私が見逃したボールを拾おうと構えてくれている仲間がいることが、リーダーの励みになっているかを知ってほしいのです。
後ろにいる仲間に厳しい面はあります。それは、一緒に試合にでているから。本気でプレイしているから。
でも信じているのです。真剣に試合をしていることを理解していてくれることを。
お客様に本物の「愛」という商品を提供することに一切の妥協をしないリーダーの後ろ姿を表すことが、リーダーの役目だと知っているからです。
そのために多少いらいらしたり、厳しかったりするかもしれません。
でも信頼しているのです。
いやな面をリーダーが表しても、本物をお客様に提供しつづける決意を、きっと受け入れて、あなたも一緒に、コートに立ち続けてくれる人だと信じているから、決して機嫌をとらないのです。
機嫌をとるということは、信じてないからです。
怒って、コートから降りる可能性を疑っているからです。
智子さんは、そのままで、もうすごいのです。
コートに立ち続けていてくれることが、何よりリーダーを奮い立たせることだって、知ってほしいのです。
そして、いつか、すごいスマッシュを決めますよ、きっと!!
智子さん、会いにきてくれて、ありがとう!!
*********************
人生を理解すると体験するという言葉の違いは、とっても大きいです。
観客席で応援している自分とコートで試合に出ている差は、とても大きいし、人生に違いを創ります。
どうせなら、上手い下手にこだわるより、楽しんだ人が人生のコートを最大限に生かすことにつながります。
人生を空き地にしているのはもったいない!
せっかくのバカラのグラスも飾っているだけではもったいない!
人生は、使って楽しんだ方が、よっぽど満足できます。
人生は、ただの器です。
何を表すかは自分次第だからです。
私は、人生のコートで、パーリーローズというグループで、試合に出て、勝ち負けではなく、楽しんで、自分が最高に楽しいーっ!!と
叫びたくなるほど、「自分を自由に無限に幸せである状態をこれからも創りだしていきます。」
グリーフケアセラピスト講座の仲間は、コートで一緒に「無限に人を幸せにする可能性を見出す仲間」なのです。
その楽しんでいる最高の表情(人生)が、いつのまにか人を間違いなく、勇気づけ、力づけているのです。
どんな試合になるか楽しみです!!
感謝
山田眞佑里
そこで一番心が動いたのは、人が何かに気づきを得て、「あ~っ、そうか。そうなんだ。」
そうやって、自分発見をして、自分のパワーを取り戻していく姿を見ていることが、本当に楽しかったということです。
自分の顔は自分で見ることができません。
自分の顔を見るためには、鏡や通りのガラス面などに自分を映して、自分の顔を確認するしかありません。
あるいは、他人に自分の顔を聞いたり、似顔絵を描いてもらったりして、自分の顔を知ります。
自分の手で触っても、なんとなくの輪郭だけで、明確に自分の顔を知ることはできません。
それが誰にとっても、たったひとつの真実なのです。
自分で自分の顔をはっきり知ることは、不可能なのです。
人生も同じかもしれません。
人は自分の人生が幸せかどうか、自分の人生があっているのかどうか、正しく進んでいるのかどうか、鏡を通して見ようとします。
その鏡役は、他人であったり、世間であったり、家族であったりします。
親は人と比較して、〇〇ちゃんよりかわいいけど、〇〇ちゃんより、ブスと表現するかもしれません。
日本の標準では、標準以下だけど、世界に行けば、個性的であり、アジアンビューティとして、エキゾチックな美人の部類に入るかもしれません。
もっと言えば、1000年前以上では、しもぶくれの一重の色白のあなたは、絶世の美人であり、1000年後は、ブスという評価になるかもしれません。
つまり、きれいの評価は何も意味がないのです。
あなたには全く関係ない評価なだけです。
自分がきれいと思ったら、それでいいし、周りがきれいと評価したら、それもいいだけです。
どちらも人生を表してはいないのです。ただ顔という一部分の評価だけです。
だれも本当にはあなたの顔の正しい評価をすることは、決してできないからです。
誰かと比較することでしか、たった今の評価をすることしかできない事実がそこにあるだけです。
では何にとらわれて、人は幸せ探しをするのでしょう?
きれいになったら、幸せの結婚ができる。
きれいと評価されたら、引きこもりしないで、人と出会える。
そう思っていること自体、何の意味もないことなのかもしれません。
幸せに条件をつけること自体、何の意味もありません。
条件なんて気にせず今から「幸せである状態」を創ればいいだけです。
大事なことは、その顔を持っている自分が、どう幸せになるかだけです。
あなたの人生は、誰にも本当には、何も見えないただの器です。
あなたという顔=(人生)は、他人から、かわいそうな人生だとか、輝いている人生だとか決められても、何の意味もないことなのかもしれません。
あるのは、その顔=(人生)を使って、自分がしたいことをする、幸せになることだけです。
だって、顔は自分では決して見えない。 自分の顔の表情はわからないのです。
人生には、楽しすぎて、ただ笑っていることだけでもいい。
そうするととびっきりの笑顔が顔にただ現れるだけ。
人生にはただ泣いている時があってもいい。
そうすると涙顔でぐちゃぐちゃの表情が顔にただ現れるだけ。
どんな顔をしてるかに悩むより、どんな『感情』『状態』を今持っていて、どんな表情を浮かべているかをただ体感するだけでいい。
それが人生なのかもしれません。
自分がどんな人生(顔)を送っているのか、人と比較して、理解しようとすることに何の意味もないこと。
大事なのは、その人生(顔)を使って、どんな体験(表情)をしているかだけなのかもしれません。
ただ自分が人生で表したいことを表せば、それで人生(顔)の役割は十分果たすのです。
「人生を観客席ではなく、コートに立ちなさい」
人生を下手だから、プレイできないとか、脇役だから、舞台に立てないというセリフはないのです。
自分が人生というコートに立たなければ、あなたの人生は、ただのコートという空き地だけなのかもしれません。
コートに立つとは、自分が自分を今すぐ「幸せである状態」にすること。
多くの幸せである今を創り続けること。
そして、出来れば、悲しくて泣く涙より、嬉しくて泣く涙を流したい。
それがもっと、幸せである状態を未来に創るのかもしれません。
人生の生産性を高めるとは、美人になったら、お金持ちになったらという条件付きでコートに立つということより、今すぐコートに立って、ボールを打ち続けることかもしれません。
頭で考えていても、決して上手にボールを打ち返すことはできません。身体で覚えた方が早いのです。ボールが返ってきたら、一生懸命打ち返すだけ。
ボールは日常の出来事です。幸せである状態を創り続けるだけ。そのうち上手くなり、幸せの時間がどんどん増えていきます。
仕事を通して、恋愛を通して、家族を通して、「幸せである今」を打ち続けることで、もっと軽快に、もっと生産性を高めて、上手くプレイをできるようになることを信じて、プレイし続ける。 人生を体感することこそ、人生をプレイする状態だからです。
「幸せになること」を待つより、「幸せであること」を今から創る決意が、人生を加速化させていく。
研修で学んだ内容より、研修に来ている人がどんどん元気になっていくことを一緒に分かち合うことが一番私が幸せな時間でした。
私はたまに思いついて、研修に行ったり、セミナーに行ったりするのですが、なんで行くのか、はじめて理由がわかりました。
人が変わる瞬間を共有したいからです。一緒にコートに立って、喜びを分かち合いたい、それが大好きだからです。
ヒーラーという仕事が飽きないのも、「グリーフケアセラピスト講座」をするのも、同じ理由です。
私の永遠の興味の対象は、「人は人を無限に幸せにできることの可能性」を発見したいからです。
それが分かったのが、研修の一番の成果でした。
研修会場に、山口智子さんが会いに来てくださいました。
智子さんは、1月に開催した井上紗佑里さんの「仕事にパートナーをあらわす為のセミナー」に来てくださいました。
尊敬するリーダーとのパートナーシップを学びたかったからだそうです。
智子さんのブログを見たら、私のことシェアしてくださっていました。
私に癒されて、励まされたとブログに書いてくださり、とても嬉しかったです。
でも私は、ほんのちょっと雑談しただけで、ただいつも通りの私でいただけです。
人生は、ただ楽しい表情を体験するだけでいいのかもしれません。
自分にとっては、ただ普通のことが、どこかで、確かに他の人のためになっている。
だから、他人の評価を気にせず、自分らしい表情を体験していけばよいだけです。
智子さんの表情(人生)は、輝いているし、間違いなくコートに出て試合をしています。
打てなくても、一生懸命ボールを転びながら打ち返し、戦っている智子さんの姿に、沢山の人が勇気づけられています。
智子さんが、あなたらしいプレイをするだけで、それだけでいいのです。
智子さんは、コートの前面に立って、試合に出ているリーダーの足手まといになっているのではないかと不安になっていました。
私は、前面でリスクを取って、試合に全力投球しているリーダーの立場を今とっています。
リーダーは、常に「お客様」に最高の商品を生み出したいために、常にアップグレード、アップデートを目指します。
「今心にあるものが人生に表れると信じている」からです。
私にとってお客様に提供している商品は、「愛」です。
いつだってお客様目線で、より良い「愛」の新商品を考えているのです。 だから、研修にも行くのです。
そういう私も、ビジネスパートナーである井上紗佑里さんに対して、とても厳しい面があります。
コートに立ったら、後ろを向いて、プレイできないのです。
常に正面を見つめて、ボールを打ち返しています。
だけど、前面に出てボールを打っているリーダーは、仲間を信じています。
どれだけ、コートの後ろで、私が見逃したボールを拾おうと構えてくれている仲間がいることが、リーダーの励みになっているかを知ってほしいのです。
後ろにいる仲間に厳しい面はあります。それは、一緒に試合にでているから。本気でプレイしているから。
でも信じているのです。真剣に試合をしていることを理解していてくれることを。
お客様に本物の「愛」という商品を提供することに一切の妥協をしないリーダーの後ろ姿を表すことが、リーダーの役目だと知っているからです。
そのために多少いらいらしたり、厳しかったりするかもしれません。
でも信頼しているのです。
いやな面をリーダーが表しても、本物をお客様に提供しつづける決意を、きっと受け入れて、あなたも一緒に、コートに立ち続けてくれる人だと信じているから、決して機嫌をとらないのです。
機嫌をとるということは、信じてないからです。
怒って、コートから降りる可能性を疑っているからです。
智子さんは、そのままで、もうすごいのです。
コートに立ち続けていてくれることが、何よりリーダーを奮い立たせることだって、知ってほしいのです。
そして、いつか、すごいスマッシュを決めますよ、きっと!!
智子さん、会いにきてくれて、ありがとう!!
*********************
人生を理解すると体験するという言葉の違いは、とっても大きいです。
観客席で応援している自分とコートで試合に出ている差は、とても大きいし、人生に違いを創ります。
どうせなら、上手い下手にこだわるより、楽しんだ人が人生のコートを最大限に生かすことにつながります。
人生を空き地にしているのはもったいない!
せっかくのバカラのグラスも飾っているだけではもったいない!
人生は、使って楽しんだ方が、よっぽど満足できます。
人生は、ただの器です。
何を表すかは自分次第だからです。
私は、人生のコートで、パーリーローズというグループで、試合に出て、勝ち負けではなく、楽しんで、自分が最高に楽しいーっ!!と
叫びたくなるほど、「自分を自由に無限に幸せである状態をこれからも創りだしていきます。」
グリーフケアセラピスト講座の仲間は、コートで一緒に「無限に人を幸せにする可能性を見出す仲間」なのです。
その楽しんでいる最高の表情(人生)が、いつのまにか人を間違いなく、勇気づけ、力づけているのです。
どんな試合になるか楽しみです!!
感謝
山田眞佑里