唐突ですが
中学時代からの古い友達と、老後に向けたライフワークとして東海道五十三次を順に歩こうと話が決まりました。
昔からいろんなことを一緒にやってきた友とのリアル弥次喜多道中です😆

弥次喜多が神田八丁堀の長屋住まいを畳んで伊勢神宮を目指したのに習い、私たちも初回は日本橋で待ち合わせし、1日ずつ歩けるところまで歩いていこうという計画です。



朝10時、日本橋・麒麟のたもとで待ち合わせ。
会って早々に友達が、この橋のたもとから出てる船乗るのもいいね?などと言い出すので歩く気あんの!?と笑いました。
途中疲れたら船もバスもOKの弥次喜多になりそうです😆
(実際、弥次喜多も馬など乗ってましたしね!)



スタートの記念に道路元標地点も写真におさめ、いざ出発🚶‍♀️🚶‍♀️

日本橋〜銀座〜新橋あたりはおなじみエリアで何度も歩いているのでサクッと通過。


警察博物館や博品館を軽く冷やかし、新橋からイタリア街に入りランチ。
弥次喜多のくせにろくろく歩かぬうちにパスタと白ワインをキメてしまった😆



再び歩き出し、高輪ゲートウェイあたりのビル建設風景に圧倒される。


巨大すぎて恐ろしいくらい…
自動車1台くらいありそうなガラスをクレーンで吊り上げているのを2人してしばし眺めました。
このあたりまで国道1号線そのままで、街道感はゼロ笑

そうこうするうち、品川御殿山あたりを右手にようやく初の宿場、品川宿に入りました。


江戸の頃はこんなところまでが海!


初めて歩く北品川商店街。


途中の善福寺では職人さんが修繕中でした。
壁にはなにやら由緒ありげな彫り物。


案内を読むと、伊豆の長八が手掛けた漆喰絵とのこと。
西伊豆・長八美術館の存在は知っていましたが、こんなところにその手になるものがあるとは!かなり欠損していましたが精巧さに目を見張りました。


善福寺の境内は、さきほどの巨大ビル群の近くとは思えぬ別世界でした。


こんな履物屋や金物屋も、北品川商店街には残っていました。



品川宿には本陣跡が残るほか、とにかく至るところに三島や浜松など他の宿場町から寄贈されたという松が植わっていました。
松さえあれば旧道感が出る😆👍🏻


途中のお寺では地域猫たちがくつろいでいました。
みんなよく太って幸せそう〜✨

歩いてるだけで楽しい品川宿!
途中は歩かず宿場町だけ拾って直行しながら西へ向かうのもありかも😆(だから歩く気あんの!?)




そろそろ日も傾き疲れてきたので、初日のゴールはここ、鈴ヶ森刑場となりました。
10時から歩き始めて、いろいろ寄り道しながら着いたのは16時半過ぎ。
歩いた距離は12km程ですが、それなりに足が痛くなりました。

弥次喜多は初日、戸塚宿に宿を取っているのでここからさらに30km以上歩いてる!
さすが江戸の人。


次回(があれば😆)私たちも大森海岸〜神奈川宿あたりの区間を歩くことになります。
宿場町が楽しみ!