ずっとずっと何度ももらっていたメッセージ

 

もっと休め

もっとゆるめ

 

こんなに休んでいるのに

こんなにリラックスしているのに

これ以上何をどうしていいのかが分からない・・・

 

ここ2ヶ月ほど

何かをやらかしたわけではないけれど

腰が痛くて痛くて仕方がなかった。

 

先生とのプライベートレッスンで

とにかく呼吸を意識して

 

尾骨から背骨にかけてのクリアリング

骨の伸ばす方向、胸の開き方、呼吸の入れ方

そして基礎的な太陽礼拝を

改めて意識しながら丁寧にやり始めた。

 

しばらくして

ただ漠然として全体的に痛かった腰の痛みは

身体をねじらせることで

より痛みを感じるようになっていった。

 

そんな時にふと気づいたのです。

 

この痛みはもともと長年ずっとあったもので

ただ私がそれを痛みとして認識していなかったのだと。

 

いろんなことを経て

やっと今、痛みと向き合う準備ができ

 

20年越しの古傷がようやく出てくることができたのだ。

 

こんなに軽くねじっただけで感じる激痛に

気がついていなかったなんて

どれだけ感じないように蓋をして

私は身体に我慢をさせていたのだろう。

 

あの頃は、毎日毎日罵倒され殴られ

睡眠時間2時間の休むことなく働き続け

何の楽しみも希望もなく、ただただ絶望的な毎日。

 

休むこともできず、弱音も吐けず

心も身体も痛過ぎてボロボロだったけど

 

痛みを痛みと認識してしまったら

私はとてもじゃないけれど生きてはいけなかった。

 

2年間もそんな毎日が続いていたから

とっくに正気ではなかったのだろうけど

 

それでも私が私を守るための最終手段は

何も感じないようにすることだったんだと思う。

 

蹴られて腰の骨にヒビが入った時も

安静にすることもなく働き続けた。

 

若いから何もしなくても治りが早いのかな・・

私痛みに強いのかな・・

ぐらいにしか思っていなかったけど

 

私が痛みを感じないようにしただけで

治りが早かったわけでもなく、痛みに強いわけでもなく

本当の意味では完治していなかったのだ。

 

痛くても痛いと誰にも言えず

ひたすら自分の中にしまい込み続けた。

 

その自分を守るための手段は

無意識にそのまま習慣となり

 

辛い状況が終わった後も続いていたのだ。

 

他にも日常生活で痛みが出ないよう腰をかばう為に

無意識にやってたちょっとした行動にもちらほら気づき出して

 

無意識の行動すごっっ!と実感するのです。

 

そしてちょっとややこしく

冒頭の話に戻るのですが・・笑

 

全力で身体をゆるめ、リラックスすると

自然な身体の重みがのしかかって

 

その自然な重みを感じた時に

特に腰に痛みが出てくるのです。

 

私はこの痛みを一生懸命感じないようにする為に

微力ながらにも力み続けてストッパーをかけていたのです。

 

私の中で

 

痛み = 生きていけない・・

レベルみたいな方程式になってるので

全力リラックスがとにかく怖かったんだ。

痛みを感じても大丈夫

 

向き合うことを恐れず

 

ただただ安心して

 

その痛みを感じきりなさい

 

痛みと共に在りなさい

 

いつかは必ず過ぎ去るのだから

もっとゆるんでいい

もっとリラックスしていい

そうすれば

安堵感の中に全てを委ね

もっと楽に、もっとパワフルに動けるだろう。

大丈夫、大丈夫!

痛くてももう怖くない!