昔見た映画をもう一度見るシリーズ 映画-ラストエンペラー- | サボリ通信

サボリ通信

大村幸太郎ブログ

新年、、というのもかえって失礼ですね、2021年1回目のブログ更新です。どうぞよろしくお願いします^ ^

本日は軽く、ネタに困った時のいつもの、昔見たシリーズいってみましょう 夜も遅いので軽くね笑

僕は映画を見るキッカケみたいなのが結構ありまして、作品のアイデア詰まったらAKIRAみたり、お金のどうのこうの考えてる時はハゲタカみたり、恋い焦がれた雰囲気なったらタイタニックやジョゼみたり、その時の気持ちで見るものを決めます。
で、今回でありますが
なんてっても近頃の世の中、何か目まぐるしくないでしょうか?
いや、大分前に戻りますが、何かヘンやなと思い始めたのがイギリスのEU離脱決定から、トラ○プ大統領就任、そして世界を覆ったコロナウィルス、実はこれ全てこの4、5年の間に起こった出来事で例えばどれか一つとっても国々がまあまあ絡んでいかないといけない事案なのですが、あれよあれよ案件が出て一つの議題に追いつかず、今のコロナです、、、、
よく運命とは自ら、、と言ったりしますがこうした流れの中にいると、いやあ我々は運命の中に居させてもらってるのだな、と思います。

自分の思いとは別に世界は動き、何をどうしたって僕がEU離脱をどうの出来るものでもないし、トラ○プさんをジャッジ出来るものでもない、当然未知のウィルスをどうの出来るわけでもない、つまりはこの運命の中に、もう一つ別の言い方をするとこの-時代-に選ばれてるんだな、と思います。 僕が選んだものじゃないし、こっちの道、コロナの無いあちらが良い、とか選べないですしね
のちに語られるであろう時代の一つです。

で、本題です(結局長くなったけれど)
昔見た映画をもう一度見るシリーズ
今回は


ベルナルドベルトルッチ監督

「ラストエンペラー」




1987年 イタリア/イギリス/中国/フランス/アメリカ映画








何回も見て、感想文ももう何回か書いてる笑  しかし、見るんだなまた




現代の中国の前の前の時代くらいだったでしょうか、、?1900年ころは中国も王朝で「清」と呼ばれる国でした。1912年に滅亡するまで多分約300年くらいキープし続けて、ちょっと覗いてみても中々濃くて面白そうです

で、映画の舞台になるのは、この1912年に無くなっちゃう清の最後の皇帝として指名もらった「愛新覚羅溥儀」-あいしんかくらふぎ-の半生を映画にしたもの、 溥儀を通して一つの時代を描いたものです。

で、また悲惨な事にこの溥儀さまはありがちな利権絡みでわずか2歳で皇帝に指名ついて、親からも離され、よりによってまたここからの激変期を通って行かなきゃいけないわけです。 年表見てもらったら分かりやすいと思いますが1900年初頭なわけで、ここから世界情勢はえらい事になるではないですか。。、特に中国はこの頃革命革命明日も明後日も革命弁当なわけで、、しかしながら2歳!、2歳でここから、、ですよ、めちゃくちゃですわ、ご指名もつき方によっては最悪です

でもこの人生も選んだわけではないんですよね。
皇帝と成ろうが、もの凄く権力を持った人であっても時代とは平等に動くわけです
自分の意思とは無関係に

それは皇帝に限らず市井の人々も同じです。
みんなくぐり抜けて行かなきゃならない、多分銃剣や泥とかウィルスとかも、嫌いとか好きでなく。時代とは流れて来るものなのだから
今回この映画をみようと思ったキッカケもここからだったんです、この映画から今の何か考えたかった



そしてくぐり抜けたとしたら、あとはもう、夢か幻なんです。 後にあれは何が原因だ、あの指導者がいたから、とか言うだろうけれど、今も必死なってやってるけれど、通り過ぎたとしたらそんなのはおまけ
未来の方たちは、あ、そう? と言うでしょう。
それが自然だと思うし、時代を重ねるとはそういうものだと思う。100年前の人に今の気持ち言っても誰も共有してくれないし、僕らもその時代の気持ちはわからない。でもたしかに時代があった。今もある。で良いと思う。

それが好きです、いや、過ちももあるけれどそういうものでもあると思う、良いとか悪いでなく。
この映画ではそうした演出が上手で淡麗と言えばいいのか、時代の流し方や展開が非常に美しいんです、これが言いたかった。 ベルナルドベルトッチと言えば映像でもありますが、演出もほんま抜群、本当芸術に長けた監督です。




すみません、喋りもめちゃくちゃになってきた。 言いたいのはその時代の流れを-溥儀-という分かりやすい人物を通して時代とか流れの中に居る事を感じとれることです
これ、今もリアルに歴史は続いているわけで継続中なのです、清王朝無くなって実はまだ100年ちょい
溥儀に至っては僕の父親母親とも同じ時代を過ごしていたりしますしね。 /1967年没
この10年後には僕は生まれているのです


生きる事に意味無いとかありますが、この映画を見ていると人とはその時代や歴史を一枚一枚重ねるためにいるのかな?とか思います。その時代に居ただけで何か意味あるというか一部なんかなって思ったり、うまく言えないけれどこの-溥儀-という人物は僕らでもあると思う。一人フォーカスしたに過ぎず、みんな同じく時代ってのを通っていくものです



すみません、まとめ
この溥儀を演ずるには、しっかり時代の中をくぐってきた感が出せる方でないと務まりません。
ベルトルッチは見つけました。ジョンローンという俳優を。中年期から晩年までとにかく演技が素晴らしい   、演技?、いや、動き? いや違う、空気。空気だ!これを操る事が出来る役者です


そして
ラストの演出はやっぱ何度見てもカッコ良い!

夢の跡のような紫禁城を背景に、年老いた溥儀が城内の玉座へむかって本当に夢、幻であったかのような空気を作る。そして何とも詩的な演出のあと、
観光客誘導サイレンとともに観光地と化した現代の紫禁城へ移る、そこにあるのは遺産でもなんでもなく確かにその時代は在り、身をもって経てきて、そして終わりではなくてその歴史はリアルに今の今日まで続いている禍中にいる、そんな感動が胸に入ってくると思います。
時代ってそうなのだ、
ただ流れてゆくようなものなのだ。過ぎ去ると何も無かったかのように でも確かに存在しているのだ

ほんまカッコ良い映画です。表現出来てしまうところが本当にすごい
またこの映画は見ます。それまでに溥儀の家庭教師ジョンストン著の-紫禁城のたそがれ-も読もう


すみません映画見てからの深夜のノリでした
今年もいろいろ書いていきますね。



またブログします