何かの折にその上澄みから奥を、底を見た時、今までの自分が崩れていきそうになる
中島信子 著
−八月のひかり−

八月、夏休み。
五年生の美貴は、働くお母さんのかわりに料理や洗たくをして、毎日を家ですごしていた。
美貴には、夏休みに遊ぶような仲良しの友達はいない。
学校でも、だれとも友達になりたくないと思っていた。
それには理由があって、、。
本書トビラより−
入念な取材を重ね、伝説の児童文学作家20年ぶりの執筆と話題になった本作は、日本における子供の貧困 がテーマ。
切実なもの、訴えるもの がここにはあって、ページをめくるたび子供たちの声が聞こえてきます。
しかし
それは声に出して訴えることのできない叫び。
心の奥底、ずっとずっと先にある心の奥にしか届かない声。そんな小さな叫びがある。今の日本の、この生活のなかに
五年生の美貴は思いやりの無い言葉に、道理のゆかない社会に心がどんどん傷ついて崩れそうになる
それでもお母さんや幼い弟を想うと、流したい涙も叫びたい声も心の中に留めて、いつものように台所に向かい包丁を真っ直ぐ立て、キャベツを丁寧に千切りにしていく。 こうしていると辛いことも忘れてゆくから。
味見はしない、一口食べると空腹で全部食べてしまいそうだから
テレビでは高齢の女性が話をしている−
「私達は戦争でいつもお腹を空かせていました。空腹のなか、道端で腐りかけたキャベツを拾った時はこれで生きていけると思いました。
子供たちにはもう二度とあんな悲しい思いをさせてはいけない−」
キャベツを切りながら美貴は、自分が自分であるために一つの決心を自身に聞かせるのだった−
戦争、貧困の時代がかつてこの国にはあって、皆が飢え苦しみ生き抜いてきた。この世代の方がこの本を読まれたとしたら「ああ、現代にも私達と同じような苦しみを−」と仰っると思います。
でも、ちょっと違う。今は物が溢れる国となった。スーパーやコンビニには何でも揃う。今の時期なら節分も近くそこでロスされる食べ物も多い。
そのモノが溢れ捨てられてゆく中で、お腹を空かせているという苦しみ スキマなく商品が埋まるコンビニの棚を前に何も買えない気持ち 戦後の貧困とは違う、今は貧困を見せれなくなっている
本を読んで気持ちに寄り添うとかではなくて、まず−知る−という事だと思う
自分で知ってゆく
自分と社会、全ては繋がっているものだから
知る事から逃げてはいけないと思う