まとまらないまま、でも気持ち新鮮なうちに 映画「男はつらいよ お帰り寅さん」 | サボリ通信

サボリ通信

大村幸太郎ブログ

見て来ましたよ〜 映画「男はつらいよ お帰り寅さん」 第50作目!





いやー寅さんはやっぱり年末、明けても三が日までに見たいもの その時期がこそがこの映画の旬です

寅さん見て、「この一年色々あったけれど、、まあ何とかなるもんじゃあねえか、頑張ろ」ってもんで一年がはじまります


ご存知のように渥美清氏はもこの世には居なくて、今回は甥の満男が中心





満男は小説家となり、高校生の娘を持つ一児の父。若くして伴侶を無くし現在は娘と二人暮しのシングルファザー。 ある日偶然にもかつての恋人イズミ(後藤久美子さんですね^ ^)と再会したところから物語が始まります





とかくネタばらしな野暮な話じゃなくて、寅さん風に言えば「理屈じゃねえんだ」 そう、もうオープニングであの歌が流れるだけで涙腺にきます泣

回想シーンも含めてチラホラ現れる寅さん。思えばいつの時もフラッと現れて、一悶着あって、やれやれ、と思ったときにはもう旅に出かけている

けれどそのあとは人間同士の付き合い方とか腹の底からえぐり出す惨めさだとか情とか 普段眠っているものを起こしてくれる。涙あって出し切って、最後は観客もみんなが腹の中が空っぽになってるんすよね ああいう映画はもう今本当無いと思います




寅さんの何がいいって、やっぱ器量が大きいところで

例えば気に入らない、理解できない人物でも寅さんは堂々と「俺はお前を気に入らない、理解できない」とハッキリ言う、つまりしっかり相手の存在を認めていること

消し去るのでなく嫌いな人として存在を認め自分の中に受け入れていれて、啖呵をきる

これはなかなか出来ない事だと思う

特に現代社会では




嫌いな相手には関わらず逃げて、相手そのものを無いように消し去ったりするのが今の時代だと思う

もちろんヤバいヤツには関わらない方が良いのだけれど、第一印象だけで捉えたり、ロクに話しもせず決め付けでかかってしまったり

「男はつらいよ」を見ていると何かそうした元来持っていた−思いやり−みたいなものを何処へ置き忘れてしまったように感じる




もっと堂々としていればいいのかもしれないし愚痴や文句も堂々と言えばいいのかもしれない。

スマホを覗かず、愚痴ず 、手のひらなんかに呟かず 堂々と言えたら、、




遠回しに理屈をつけてSNSに皮肉交じりに書く現代人に寅さんなら、きっとこう言うだろうな

「お前、さしずめインテリだな⁈」











劇中、満男が「僕の伯父さんだったらきっとこう言うよ!」と叫ぶシーンがある

それは僕も時々思ったりする。寅さんだったらって


多分それは一人一人にとって、全ての人にとって寅さんとは 誰にとっても、僕の伯父さんなんだと思う










「満男、困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから」








うまく言えないけれど、映画って 本当はこんな大衆な、なんつーか誰もが新年を明るく迎えられるというか


だから寅さんには居てもらわなけりゃ、ホント星だと思う柴又の いや日本の めっちゃ純粋に光ってるやつ





消えないように光り輝かせてゆくために出来る限り純粋でありたい





またブログします









リリーこと、浅丘ルリ子さんが現在もめちゃくちゃ格好良かった 短いパートだったけれど、スクリーンに出てきた時の安心感というか貫禄は寅さんに近いものがありました。 なんかやっぱ連れ合いというか、女房やったんやな って思います^_^


今年もありがとうございました!
また会日! 良いお年をお迎えください

大村幸太郎