いつもお越しいただきありがとうございます😊
今回の記事は私の個人的な見解です。
もし気分を害された方がいらしたらお詫びいたします。
遠くへ行く旅で訪れた大船渡や陸前高田がある三陸沿岸は
先の震災で甚大な被害を受けました。
車を走らせていると、ここはきっと震災前は家があったんだろうと思われる広大な空き地がありました。
そして津波の被害にあった団地や旧道の駅やその他の建物が
震災遺構としてありました。
震災遺構として残すことは、津波の被害をわかりやすく後世に伝え残すことができます。
伝え残すことはとても重要なことです。
でも、津波はそこで暮らしていた人々の全てを奪い去りました。
辛い記憶しかない人は震災遺構を見るたびに辛い思いをしなくてはなりません。
残すことの重要性はあれど、辛いから残したくないと思う人もいたでしょう。
震災遺構を見ながら、どうすることが良かったのか
結論の出ないことを考えました。
ただ、残してくれたことにより
より自分ごととして考えられるように思いました。
道の駅高田松原には津波被害伝承館が併設されていました。
夫に見て行く?と言われたのですが
「泣いちゃうから待ってる」と言って入り口で待っていました。
見ておくべきだったとは思いますが
私にはまだもう少し時間が必要です。
大船渡の海の近くに行ったら、高くて長い防潮堤ができていました。
前に知り合いが、防潮堤があるから景色が全然見えない。と言っていたのを思い出しました。
たしかに目の前に壁があるので周りの景色を邪魔しています。
それでもあの地に暮らすみなさんにしてみたら
防潮堤なしの景色より、防潮堤を見ることで
いざという時守ってもらえるという安心感を与えると思いました。
観光で一回来るだけの人のためではなく
毎日の暮らしがそこにある人達の安全を守ることが最優先でいいのです。
ですが、三陸の海岸線の景色は重要な観光資源でもあると思うので
防潮堤を含めた景色が観光資源になるようになってほしいと思いました。
あの日から11年が過ぎました。
新しい家やビル、三陸道の新しいトンネル
復興は進んでいるようにも見えましたが
まだ道半ばでもあるように見えました。
1日も早い復興と
亡くなられた方のご冥福をお祈りして三陸を後にしました。
被害のなかった私たちにできることは
忘れないこと、長く長く支援を続けることだと
改めて思いました。
遠くへ行く旅、これでおしまいです。
お付き合いいただきありがとうございました😊