椿さんがブログに椿さんの原風景について書かれていて
私の原風景について考えてみました。
私の実家は世田谷にあります。
だから、子どもの頃の風景はアスファルトと建物。
自然は「どこかに行って感じるもの」。
世田谷は割と緑が多いので、あるところにはあります。
私は官舎で育ったので、公園もあったし
周りには学校がたくさんあったので
緑も多くありました。
夫と結婚して黒磯に住むようになって思ったのは
「空が広い」
私の見てきた空は、「切り取られた空」でしたから
これは贅沢なことだと思いました。
(ちなみにこの写真、栃木県のスマホフォトコンテストで大賞をいただきました。)
同時に高村光太郎の「あどけない話」を思い出しました。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山 の山の上に
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
夫は生まれた時からこの広い空を見ているので
この詩には共感できないようですが
私はここに住むようになって
智恵子の言う本当の空がわかった気がしました。
私の場合は安達太良山ではなく
那須山ですね。
私の原風景は幼少期に過ごした都会の風景ではなく
今いるこの地なんだと思いました。

