「ラーゲリより愛を込めて」公開おめでとうございました〜!!!
遅ればせながら、そういえば長々と感想書いてなかったなと思い、書いてみます。
「ラーゲリより愛を込めて」
思っていたよりも、ど直球王道邦画という感じでした。
そんなに作品数見ていませんが、ジャニーズ好きの端くれの私が見た2022年の映画では1番作り込まれ、王道路線を走るどこに出しても恥じない日本映画だと思いました。
見て圧倒される、というよりは明確に伝えたいことがある、見せたいものがある、というような感じです。
ラストの手紙のシーンはもちろん涙をそそられますが、冷静に考えられるようになった今となってはよく出来た展開、考えられた構成だと感じます。
ただ、観客を泣かそうとしているわけではないので圧倒的な余韻があります。
人によって違うであろう個々それぞれある、言葉にできない余韻です。
それを、Soranjiの間中味わうことができる。
これは言葉に出来ません。
見た人にしか分からない感覚かと思います。
映画が終わったあと、身体中をめぐる想いや感覚は、
例えば「生きててよかった」とかそういう次元のものじゃないんですよね。
知らないといけない現実の一端だし、
私が1番見終わった後に強く残った印象としては、"今まで教科書で何を学んできたんだろう"というような絶望感でした。
これはあくまで私の感覚ですが、義務教育の一環で学んできたことは全然現実味を帯びていないと言いますか。
"歴史"を学ぶより圧倒的に学びになる、そういった感覚でしょうか。
とにかく苦しくて、しんどくて、つらい映画でした。
言葉に、、、できない。私は無理。
私は二宮くんが好きで観に行っていますが、
二宮くんの芝居はもちろんですが、この映画は言うまでもなく皆さんが素晴らしかったと思っています。
王道、に紐付けられるところでもありますが、
役者それぞれにちゃんと見せ場があるんですよね。
奥さんを思う桐谷健太の芝居、
お母さんを思う松坂桃李の芝居、
夫を思う北川景子の芝居、etc...
書き出したらキリがなくて、
相沢が「生きろ」と山本に言うシーン、夫の死を知るモジミのシーン、遺書を届ける4人のシーン、、、本当にどれも素晴らしかった。
特に遺書のシーン。
原の時は原の読み上げ→山本のナレーションと移り、
原の「山本くん、届けましたよ」で涙腺が終わっちゃうんですよね。(語彙力)
そこから松田の場合は、すべて松田の読み上げが採用されています。
もうね、言い方悪いけど演技力の暴力感ありますよね、構成と役者の芝居がドンピシャではまって輝いている形。
松田が読み終わり、泣き崩れてしまうのは、
山本の母を見て、亡くなった自分の母を思うから。
それがあまりにも伝わりすぎるから、こっちだって涙腺が緩みきっちゃうんですよ。
そもそも松田が母宛、相沢が妻宛などの役割と構成が完璧なんですよね。
父が待っている息子・新谷は息子たちへの手紙、
山本が1番お世話になった原は家族宛の総括的な手紙で、一番手に遺書を届けにきて経緯を説明する立ち回りですから、、、本当によく出来てる。完璧。優勝。
そこの構成だけで言えば、まあ完全に泣かせにはきてるなあと思います(笑)
遺書×4で、見せ方としては工夫しないと大変な構成かとは思いますが、大正解叩き出してきた感じ。
無駄がなくて考えられていて、、、、
涙腺がね。はい。完璧でした。
一瞬話それますけど、生きて帰れないのも、生きて帰っても待っていてくれないのも、生きて帰ってきてくれないのも、生きて帰ってくるのを待てなかったのも、みんなどれもしんどくて、、、、、、
その要素がもれなく網羅されてる完璧な役割と構成、、、、無駄がない。そりゃ泣きますわ。
生きて帰れても会いたい人に会えないんじゃ生きてる意味がないって本当何も言えないよ、、、
そんな、完璧な構成と完璧な芝居があり、
個人的には2022年一番の映画となりました。
王道だなと感じた点に関しては、オリジナルキャラクターとして描かれていた新谷という要素が強くあるように感じています。
新谷が全ての物語の展開を担っているんですよね。
新谷が存在することで、
意味もなく捕まっている人たちがいることを描き、
字のくだりから、手紙を書くと言うシーンに深みが増し、
記憶は誰にも奪えないという展開を作り、
クロの実話が映画上で生きてくる。
正直、新谷役の中島くんはめちゃくちゃ重要なポジションを担っていて難しかっただろうなと察します。
個人的にはあの新谷の明るさは最初は浮いて見えました。
もう少しいい頃合いの表現があったんじゃないかとも思いますが、、、一般人私にはあれ以外の正解も特に分からないのでそこら辺は省きます。
もしかしたら、本当にあんな感じで何が起こってるんだか分からず、明るく振る舞うことしかできない若者はいたのかもしれませんし、、、、
事実ベースにするとやはり作り込まれたものはどうしても見えてきてしまうことがあり、
今回は新谷がオリジナルキャラクターとどこかで知ってから観てしまったので、なおのこと新谷が持つ役割の重さを感じてしまったことも要因です。
それが印象として良かったのか悪かったのかは分かりませんが、その役割含む構成・展開に、王道さを感じるのです。
その王道さに、別に何か不満があるわけではなくてとにかく素晴らしかったなあ、と。
どの映画もそうですが、キャラクターの役割はこれだけ重く明確にあって欲しいし、
それを無駄なく生かす構成であって欲しいなと感じます。
情報の出し方一つ、構成一つで受け手の印象は大きく変わると思うのでね、、、(意味深)
そういう意味では、この「ラーゲリより愛を込めて」という作品は、比較的誰にでも分かりやすく作られた王道の映画。
そして、"戦争映画"ではないんですよね。
映画が好きな人はそういった王道さに、もしかしたら物足りなさはあるのかな?とも察しますが、
あのキャストをもって、ああいった題材を幅広い層に見てもらいたい、という面においては大正解の映画ではないかと思っています。
観て損はしない、確実に損はさせない映画かなあ、と。
そんな作品に自分の好きな人が出てるんだからもう私は満足するに決まってる、ってわけです。
相変わらず話がごちゃついてきましたのでそろそろやめます。
最後のシーン。結婚式。
これは間違いなくほんの数年前の日本の歴史なのだと感じるシーン。
遠い過去ではなくて、戦争の後遺症は今もまだ残っているのだと感じます。
結果論ですが、そんな後遺症が残っていると感じられる中での、今のこのご時世ですからね。
思うことはたくさんありますね。
からの、エンドロールのSoranji。
エンドロール中の写真は、場面写真とオフショットとあったように思います。
私はあのエンドロールが大好きです。
場面写真だけじゃない、オフショットだけじゃない、
あの塩梅が、どうにも上に書いた「ほんの少し前の過去の話」だと強く感じる、というところに直結するんです。
例えば、山本さんは二宮くんじゃないし、二宮くんは山本さんじゃない。
でも、二宮くんで山本さんを感じ、山本さんを生きる二宮くんで、私は今の現実に想いを馳せられるんですよね、、、伝わりますか、、、、
https://twitter.com/pear_n__a/status/1601239048097476608?s=21
見終わった直後に書いたホットな文章がふせったーのこれ。
まだこっちの方が上手く書けている気がするのでどうかエンドロールへのこの思いが伝わってほしい。
今日も絶好調で日本語不自由。
お付き合いいただきありがとうございました。
書きたい気持ちと書かなきゃなあという謎使命感とうまく書けないなあという気持ちと混ざって大変なことになってます。
どうか。
これからもどうか平和な日々が続きますように。
ちゃんと覚えておきます。
今日の天気。いつもの満員電車。
友達と食べた美味しいご飯。
家族と過ごす笑顔のひととき。
ダラダラと文章を好き勝手描ける環境。
愛を込めて。我らは尊い。