東京グローブ座で上演されている
「アシタを忘れないで」の7/31昼公演を観劇してきました。


発表後のメールに「ナゾドキシアター」とあるのを読んで直感的に「行きたい!」と思い、申し込みました。

調べたら、松丸くんが関わっていて、
謎解き好きとしては楽しそうだなあと、絶対行きたいなあ、と。

見事に当たり、行ってきました。



「参加型演劇って何?」
「きっと謎解きするんよね?頑張るわ」

という、"謎解きしたくて行く"ジャニオタしてました。
いや、もはやただの松丸謎解きのオタク説すら。
(オタクというほどではないが謎解きは大好き)



謎解き、楽しかったです。



東京グローブ座のあの空間で、
シンプルで素朴だけれども、
濃厚なエンターテイメントをしてきた気がします。






以下、ネタバレを含むかと思いますので
情報を仕入れたくない方はここまでで。



(「ロミオとジュリエット」の感想にも書きましたが、私はただの嵐ファンです。元々はここでは嵐以外のことを書く予定はありませんでした。が、このご時世で嵐の何かを書くこともそう多くはないだろうし(笑)、感想を書きたい!と思ったものに関しては書くことにしました。足を運べることはとても素晴らしいことですし。)












物語自体はそこまで緩急があるわけではなく、
シンプルで、お客さんに「謎解き」をしてもらうことが軸になっているエンターテイメントでした。


行った方は分かると思いますが、
まさかこの舞台が指す「参加型」が、
ああいった形で現れてくるとは思いもしませんでした。


言い方が合っているかは分かりませんが、
「物語が面白い」‪というよりは、
"構図"が面白くて楽しかったです。‬


【対になるモノ】の"構図"が、
時間が進むにつれて結果的に深みを持っていくんですよね。

この構図が面白くて、新鮮で、楽しかったです。



・晴れ / 雨
・昨日 / 明日

みたいな対になるような言葉って世の中にたくさんあるじゃないですか。


この舞台で言えば、

・舞台上 / 客席

・物語 / 現実

・誰かと一緒にいる時間 / 1人でいる時間

・人間 / 動物

・天使 / 死神

・店員 / 客

・親 / 子


とか。


こう言った【対】になる関係は、パッと見て単純で明確だと思っていましたが、
時間が経つにつれて、この関係性に深みが増していくんですよね。




深み、っていうのは私の中では例えば以下のようなことを指します。



A地点では晴れていて、B地点では雨が降っている。
天気の構図としては、【対】になっているかもしれませんが、同じ時間の中で、という意味では並行的だし、"同じ"空の話なんですよね。


とか。


昨日は過去、明日は未来。
現在という地点においては真逆を指しますが、
1週間後には昨日も明日も"同じ"過去になるんですよね。


とか。



表現の仕方=深みの付け方って多分色々あって、
エンターテイメントの醍醐味でもあると思うのです。



この関係性の深みの付け方が面白かったです。




人間と動物は例えば飼う/飼われるの関係以上の
相棒のような存在になるかもしれません。
ケケは"話す"し、アシタのことをよく知っています。


親と子は、時に"親と子"と呼べなくなるかもしれません。
大海原の娘みたいに、子には新しい親ができるかもしれません。


私たちは、誰かとお酒を酌み交わしたり、1人で家で飲んだりします。
大海原みたいにお酒を酌み交わして記憶を無くすこともできれば、
アシタみたいに【業者】を使って1人でも記憶を消すことができるわけです。
(アシタは彼女と一緒だったけれど)


私たちは普段の生活の中で、こうして演劇を見ることで別の世界(物語)に触れます。
アシタは"物語"がたくさん置いてあるレンタルムービーショップで働いています。
彼はそういう"現実の世界"で生きているわけです。




"何か"と"何か"の関係性はどんな風にでも色付けられて、深みをつけられるわけです。



そして、この舞台では演者と観客という対関係に
謎解きを通して深みを付ける。


謎を出す舞台側と、謎解きをする客席側。


無論、観客が謎を解くことで物語が進むわけです。


ただし、最後の謎を解いた時、
私たちは、いつの間にか"あの世界"で生きていたことに気づくのです。


そう、私たちは、"観客"ではなかったのです。


ああ、この舞台は謎解きを通して、
舞台側と客席側の融合が一番やりたかったのだろうな、と思いました。


そこから派生して色々な対関係に深みを足していったのではないかな、とそんな風に思いました。






アシタの忘れてしまった2年間に何があったのか、
というのがこの舞台における物語の軸でした。



アシタが忘れていたのは、"彼女"との記憶でした。

ベンチの下に隠されていた彼女との写真。
アシタはその彼女のことを覚えていませんでした。


千住が彼女と面識があるのは写真を見た時の反応で分かりましたが、

その"彼女"が、まさか"私"だったとは、、、、




この衝撃よ。
パスワード作って(打って)、契約書(?)を見た時の衝撃よ。


アシタだけではなくて私も忘れてしまっているではないか!?と。


目の前で繰り広げられているエンターテイメントにどっぷりハマってしまっているではないか!?と。


あの感覚が新体験で、楽しかったです。


「参加型」とは聞いていたけれども、
まさか"登場人物"だったとは、、、、、、


そこの想定はしていなかったので、
(していたとしてもあくまで物語における"誰か"でしかないと思っていたので)

まさか"私"は、"あの世界"で死んでしまって"この世界"でこうして生きていたとは、、、、


謎の男は向こうの世界では死神で、
こちらの世界では天使だったとは、、、


いやはや。驚いた。
この没入感。良かったです。
この構図は個人的には大好きです。
あの限られた空間で、濃厚なエンターテイメントしている気がして。





舞台構造は回転舞台。
レンタルムービーショップとアシタの部屋。

あと上手ツラ側に公園のベンチ。

公園のシーンで回転舞台がちょっとだけ回って公園の空間を作るのが細かくて好きでした。

あと、オープニングから随所に映像を用いた演出も好きです。
オープニングアクト、テイストがまとまってて良かったです。

随所に散りばめられたパズルが、記憶を取り戻す時に"完成"する。

パズルのところどころが映像ではなく後ろから照明を打っていて、
プロジェクションマッピングとの融合が綺麗でした。











終演後、アプリがパスコード入力画面だったからログインしたかったんだけれどもパスコードが分からなくてさ。

絶対何かあるだろう、と思ってログインを試した身にもなってほしいな。

まあパスコードが分からないから無理だったんですけれど。

それで諦めて普通に帰ってきたわ。


隠しファイルなんて知らなかった。

そんなアナウンス(アナウンスとは言わないまでも、いわゆる匂わせってやつ)ありました、、?

いや、あったらごめん、それはごめんって、気づいてなかったし気づく余地なかったですわ。

私はご覧の通り【担当】ではないため、精神的な影響はないですが、、、それはずるいなあ、と思います。


説明なしに画面にパスワードを出してくれればまだ何かがあることが全員に伝わると思うんだけどなあ。


存在をそもそも知らされないっていうのはなあ。
あれだけシンキングタイム取っておいて、、、
こっちは分かりやすいヒントがないなんてなあ、、、
しんどいなあ。



おそらく(私のただの願望ですが)全公演終了後にまたあのアプリに接続できると思っているのですがどうでしょうか。


SNSも凝っていたし(ハート押せた!笑)、
映画レビュー検索?も、ちょっとタイトル覚えられなくて「男はマジで辛いよ」と「クレイジーピザキャンプ2」しか調べられなかったんですが(笑)、ちゃんと大海原さんのレビュー出てきたし、
もう少し細かく見てみたいので、是非また接続したいなあと思っています。





最後に。


「アシタを忘れないで」というタイトルについて。


これはまさに、"忘れてしまっている"私たちありきのタイトルなのではないかなあ、と私は思いました。


"アシタの彼女"だった"私"は、
アシタと同様その存在を"思い出した"わけです。



「アシタを忘れないで」


このタイトルは、見た後に大きな意味を持っているなあ、と思いました。




晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、
私たちは明日を忘れないように生きなければならないのかもしれません。
明日は必ず来るわけではありません。
でも、迎えに行けるわけでもありません。

そんな、遠いような近いような明日を見続けながら
笑ったり泣いたりしながら生きていきましょうね。


今日という日を忘れないように、
明日も前を向いてなんとか生きられるように、
生きてみますね、こっちの世界で。









PS:
転球さん、足大丈夫ですか。
笑ってしまってすいませんでした。
でも、とっても面白かったです。好きです。


PS:
洋画コーナーのピクトグラム。
良いと思います、生感があって好きでした。