本好きによる、本好きのため心理学 -8ページ目

本好きによる、本好きのため心理学

このブログは、本が大好きな著者が、同じく本好きの人たちために、暮らしに役立つようなアレンジを加えたブログです!
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未熟者ですが、気合入れて書いてます!よろしくお願いします!

人間が日常生活を営む上で大切なことはいろいろあると思います。

日常をたのしく生きるためにはやはり好きなことをやるということは欠かせないでしょう。

人は自分の好きなことをやっているときだけが最高の幸せを感じることができます。

好きな人と一緒に遊んだり、デートしたり。

自分の趣味に没頭して寝食を忘れてたのしむ。

いろいろあると思います。

その中でも、アニメオタクという人たちがいます。

アニメオタクのすごいところは、何時間もアニメを見ていても飽きないことです。

そして、アニメを見終わったあとでも、自分の好きなキャラクターを無意識に真似をし、日常生活すべてが「アニメ空間」の媒体になります。

よく、映画館で映画を見た人は、映画が見終わってからもその余韻が続き、殴る、蹴るなどといった戦闘シーンが多用に使われているような映画では、映画館から出た後でも視聴者はその映画の中の登場人物に対して強い臨場感が与えられるので、まるで自分が戦闘をしたかのような感覚で、
肩で風を切るようなしぐさを維持したまま映画館を出て行くといった光景はよく見られます。

また、小学生などの子どもが、戦隊物のドラマを見た場合でも同様の現象が起きます。

これは、男女に関係なく、視覚情報と聴覚情報そのものが心に対してまるで鏡を見ているかのように模倣する運動が起きます。

これは、脳の観点から言えば「ミラーニューロン」が関係しています。

ミラーニューロンは、他者が行う行為の真似をすることが得意な神経細胞の名前です。

このミラーニューロンが活発な人は、美術で言えば模写が上手く、音楽で言えば歌を覚えるのが得意といった能力が高い人たちのことを指します。

さて、アニメの本題に戻りましょう。

通常、人間が苦しみや楽しさを感じる空間は物理空間です。

学問的にいえば、この五感で感じることのできる、三次元+時間を合わせた四次元時空ということになります。

一方、アニメが大好きな人たちが感じている空間というのは、アニメの空間の中の臨場感空間であり、現実の四次元空間とは異なった臨場感があります。

アニメが大好きで、日常生活のうちの一部にアニメを見る習慣がついてしまっていると、アニメを見終わった後もアニメの空間から臨場感がなくならず、永遠にアニメ空間をループします。

これは、ヨガや瞑想の観点から単純に言うと、生命エネルギーがもれない(精がもれない)という感覚に似ているでしょう。

日常の臨場感空間であるRから、アニメ空間の臨場感空間R’に常に変性意識化しているということになります。

そのヨガや瞑想で何年も培わされなければ習得できない強い変性意識状態が、アニメオタクの人は簡単に習得できることになってしまいます。

常にR’に臨場感があり、すべてのたのしみや苦しみがアニメ空間の出来事として捕らえられるということは、楽観的で、心が楽な状態になっているということです。

通常、自分の心が傷ついたり、悲しんだりするといった感覚は、四次元空間に臨場感が維持されているからです。

認知科学の発展により、人間の臨場感は今まさに体感している空間そのものがリアリティーをもつということがわかったからです。

つまり、常に最高にたのしい状態を維持できるアニメオタクの心理状態は、もはや「神」といっても過言ではないでしょう。


かなり説明をはしょりましたので、あまり整合性のない説明かもしれませんが、すみません。






キャラクターの社会に対する影響はバカにできないものだ。

かわいらしいキャラクターがいるディズニーでいえば、ねずみ、アヒル、犬などをデフォルメしたミッキーマウス、ドナルドダック、プルートなどのキャラクターたちだ。

キャラクターは、実は、人間の認識感を考える上で面白い影響を与えることがわかった。

今流行しているのかわからないが、なめこを栽培するゲームがスマートフォンで流行っているようだ。

そんなこと言わなくても、今は「LINE」がある。

LINEの中でチャット機能に使われる、スティッカー君率いる仲間たち。

これはいろんなブランドがすでにLINE市場に参入している。

私はあるとき、ある日、ごくまれにしか行かないドンキホーテで、買い物をしていた。

いつものように、店内を物色する私。

店の中を一通り見終わり、出て行こうとした、そのとき、私の目には信じられない光景が飛び込んできた。

なんと、LINEのキャラクターである、スティッカー君が店内のブースで販売されていたのだ。

私は目を疑った!

なんと、ただの棒人間さながらの見た目もそんなにかわいいとは思わない(正直)キャラクターのグッズが売られているではないか!

しかも、ぬいぐるみにしてストラップがついていて、持ち歩けるようになっている。

棒人間だけでなく、クマの顔した人形も販売してあった。

なんでこんなものが売れるんだー!!!(大声)

と思ったのである。

私の認識はおかしいのでしょうか。ただの白い棒人間がキャラクターになっただけでビジネスとして成り立つ位、売れるようになるとは!!!(衝撃)

私は、それを見た後、そのキャラクターについて、キャラクターと人間の認識について、考えてみた。

それと私は、アニメ「クレヨンしんちゃん」で泣いたことがある。

普段は冷静沈着で自分が混乱する場面でもほとんど表情も変えないような人物がだ!

私は、素直に感動できないたちなので、なぜ、アニメに限ってこんなに泣く、つまり、アニメ空間に対して感情移入ができるのだろうかと。

私は、思った。

そう、その二つの事実と共通点があったのだ。

通常の物理空間にいる人間を3次元人だと定義する。

アニメ空間にいる人間を2次元人だと定義する。

ある人が映画を見ているとしよう。なんの映画でも良い、その映画のなかの登場人物が3次元人なら、我々は、その対象が演技をしているかとか、その人の生い立ちはどうなんだろうとか、いろいろ思いをめぐらせることができる、つまり、「自分で考えることができる」

しかし、その映画が2次元人だったとしたらどうだろう。

おそらく、その登場人物が演技をしている?とか、生い立ちはどうなんだろうとか、考えにくいはずである。

それはアニメという、時間軸も含めた、人間の認識による感覚だが、「LINE」で流行っているキャラクターというのは、アニメではない。

まったく動かないのである。

つまり、キャラクターを認識するときの人間の脳の活動は、思考が停止しており、そのキャラクターに対しての愛着だけが湧くことになる。

人間は、対して関心がないものでも、何回も何回も見たり触ったり、聞いたりすることによって、『愛着』が湧くようになっている。

これは心理学で言う、単純接触効果というもので、心理学のなかでは有名である。

つまり、キャラクターというものは、人間に思考させずに愛着を湧かせることができる、便利なツールだということだ。

これを元に成功したのが、ディズニーであり、ゲームであればポケットモンスターなのである!


まさに、あるキャラクターを好きになることそのものが人間を盲目化させることであり、ビジネス、宗教両面において最強の魔物だったのだ。






みなさんは、何らかのアニメを見たことがあるだろうか。

テレビでは毎週毎週、なんらかのアニメが放送されている。

先日、大阪に住んでいる友達と一緒に東京で遊ぶことがあった。

アニメが大好きな人は誰でも知っているという、「コミケ」いわゆる、コミックマーケットに付き添う形で行った。

場所は秋葉原で、通常の東京よりも、年末であり、かつアニメのイベントがあることからか、人はかなりたくさんいた。

ちなみに私は好きなアニメというものはない。

アニメではなく、漫画なら、HUNTER×HUNTERが大好きだ。

HUNTER×HUNTERは、一時期、作者の富樫義博さんの、ジャンプに投稿する漫画の品質が悪く、下書き同然のまま投稿していいたとして、HUNTER×HUNTERに対するイメージは悪くなった例がある。

また、富樫と結婚した竹内さん(セーラームーンの作者)と離婚した報道がなされていたが、実際には離婚しておらず、結婚したままである。

昔から週刊誌などのメディアは、スクープだと言って嘘八百のデマを記事に並べ立て、注目されている人や、有名人などをこき下ろし、さらにそれを自分の会社の利益にするといったことが多々ある。つまり、魔女狩りだ。

その魔女狩りにあった一人として、富樫義博という人物がいると私は思っている。

おそらく、HUNTER×HUNTERの人気が世間で下がっている根本理由のひとつとして、そういったデマが流されているからだという推測がつく。

もっとも、私の周りにだけHUNTER×HUNTERが嫌いな人がいるのかもしれないが。

HUNTER×HUNTERの良さをここで解説するには、とても字幅をとることになるので、今回は語らない。


では、本題の、アニメと宗教の関係についてお話していきたいと思います。

アニメでは、必ずといっていいほど、「アニメグッズ」がある。

いわゆる、アニメの関連商品である。

グッズは、そのアニメや漫画や、映画の主人公たちの登場人物や、その仲間のキャラクター、ゲームならゲームのロゴなど、挙げるときりがないほどの豊富さがある。

さて、このグッズに関して、私は疑問を持った。

友達が、自分で買ったアニメのキャラクターたちが写ったシールが貼ってある置時計を楽しそうに私に見せてくるのである。

「なぜ、ただの工業製品である、時計に対して、アニメのシールが貼ってあるだけのものが売れるのだろう」と。

なぜだろう。厳しく言ってしまえば、時計からシールを剥がしたら、ただの「時計」だ。

デザインが気に入っているのだろうか。

いや、時計は、何の変哲もない、ごく普通の時計だ。

うーん。

私は考えた。

そして、

ひとつ、ひらめいたことがあった。

『仏陀だ!』

なぜ仏陀とアニメが関係するんだ?という読者の方もいるはずなので、ここにその根拠を示したいと思う。

仏陀は、死後、火葬され、その形は骨だけになってしまった。

しかし、能力をたくさんの人たちに神格的にたたえられた仏陀は、死んあとも崇拝されるようになった。

その崇拝されることのひとつに、仏舎利がある。

仏舎利とは、簡単に言うと、釈迦の遺骨である。

その遺骨に対してありがたがっている仏教の信者たちがいるのだ。

つまり、その人本人が亡くなろうが、生きていようが、その人の身に着けているもの、構成している物質、そのものに対して、ご利益がある。その憧れの、実在していようがいまいがその人物に対して、近づくことができるという意味合いだ。

アニメの文化とは、まさに釈迦と同じ、遺骨に対してありがたがる精神の文化でもあったのだ。

これは他の宗教でも同じだと思う。

まさに、人の宗教観を利用した、巨大なマーケットのビジネスなのだ。

人間と宗教は、切っては切り離せない部分がある。

人間はもともと不完全な情報だ。眼球は360度物を見渡すことはできないし、聞こえる周波数帯も限られている。

それを専門的に言うと、部分情報だ。その部分情報が完全情報である神に対して憧れなどの信仰心を持つことは、ごく自然な感覚だ。

人間は誰しも夢や目標を持っている。なぜならば、夢がなければ明日を生きていく意味はないからだ。

夢がないと言う人でも、現状を維持するというゴールは持っている。

ホメオスタシス(恒常性維持機能)と言われる、人間の生体を、より長く生きながらせるための人体の機能である。

その夢というものは、漠然としたイメージだ。現状からずっと遠い場所にある、届かないものだ。

まさにそれは宗教と言える。

脳で言えば、前頭前野外側部。

その機能を、アニメに転換してしまえば、ビジネスで言えば、こっちのものだということだ。

キャラクターがなぜ愛着がわきやすいかと言ったことも、前に考えたことがある。

それはまた別の記事で書こうと思う。

長くなってしまったが、何が言いたかったというと、アニメ文化を支えているものは宗教だということだ。

知り合いに『あなたは何の宗教に入ってますか?』と聞かれたら、アニメオタク、もしくはアニメ好きの人は、アニメのタイトルでもなんら違和感がないと言うことだ。

別に日本だから仏教だとか、アメリカだからキリストだから、とか言わなくて良いということだ。

アニメは『世界を超える』のだ。

だから、みなさんも、自分がなんらかの宗教に入っていると思っていなくても、実際には、何かに属している可能性が高い。

ということで、また長文になってしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。
あけましておめでとうございます。

お正月早々、世の中にある固定観念を破壊していきたいと思います。

みなさんは、お正月や、クリスマス、その他の行事、祭事で独りで自分の家にいてさびしくなった経験はありますか?

お正月、年越しは家族で団欒するべきだとか、恋人といないと不安で、人肌が恋しい、なんていうことは、誰しもあることです。

しかし、私は、そのさびしい感覚に違和感を感じるのです。

後述しますが、それらはすべて、「正月ビジネス」だからです。


さびしいという感覚は誰しもあると思います。

人間はそもそも本当に自立しているひとはいません。

よく、日本では「親を敬え」という言葉があります。

子どものころ、目上の人には「さん」をつけなさい。

「お前は親がいなければこの世には生まれてこなかったのだから、親を敬いなさい」

などという言葉をきつく言われたことは思い返さなくてもあると思います。

では、なぜ親を敬えなければいけないのでしょうか?

「親」とは、自分(親から見たこども)を母親の胎内から生まれたときから一人の人間として認識され、なんの見返りもなく育て、面倒をみる人間のことを指します。

なぜ敬わなければいけないかということは、親がいなければ育てられずに、この世に生存できなかったからだという反論が、一見成り立つように感じます。

ですが、これは誤りです。

自分をこの世に存在せしめている存在が親であるとしたら、それは大いに間違いだからです。

なぜならば、その親自体、他の生命やあらゆる存在なくしては生きることができないからです。

食べ物然り、先祖然り、酸素、お金、太陽光......挙げるときりがないほどいろんな存在から成り立っています。

つまり、「親」というものは、自分を構成している自我の一部であり、「絶対」ではないということです。

親そのものを敬うということはすばらしいことだと思いますが、それを絶対にしている論理とははなから矛盾しています。

本来は、生きとしいけるものすべてに対して敬う心が大切なのであり、それをなんらかのかたちで表現することが「感謝」です。


さて、前述したお正月ビジネスについてお話しましょう。

お正月の元日に昇る日の出は「めでたい」とされ、初日の出として拝むそうですが、本当に初日の出はめでたいのでしょうか。

なぜ太陽は毎日昇るのに、めでたいのでしょうか。

キリストの生誕から年を数えるという文化が世界で定着した今日の年を越すという概念に対して、めでたいのでしょうか。

日本は、キリスト教文化というよりも、仏教宗派の家庭が大半ではないでしょうか。

それは、お正月は盛り上がって、散財しする、特別な期間があるということが当たり前だ。という概念を、いつの時代からメディアが流行らせたのだろうと推測できます。

Wikipediaでは、初日の出が盛んになったのは明治時代からだと言われています。

直感ですが、天皇となにか関係があるのかもしれません。

おみくじの文化もおかしいと言わざるを得ません。

おみくじとは、神に自分の運勢を決めてもらって、それが一年間くじを引いたひとに対して作用するという、いわば神による絶対的権力です。

おみくじを引いて喜ぶ人と言うのは、本人が見たことも感じたこともないであろう神に対して、魂を預け、運命を意図的に変えられることを好む集団のことをさすのだと思います。

その神そのものを感じたこともない人がおみくじに対して一喜一憂すること自体が矛盾していることに私は感じます。


しかし、その矛盾でさえも盲目にしてしまうのが、「文化」です。

周りの人間がみんな同じことをやっているのだから私もやろうということは、頭を使う、つまり、理性を働かせて何が正しいか否かという価値判断をするときに使う脳を使っていないこととおなじであり、まさに「宗教」そのものです。

その宗教的文化を作り出してしまうのが、「メディア」です。

ダイヤモンドの価値は、アメリカで、ハリウッドスターなどの著名人が見につけ、映画でダイヤモンド共にまるで、あたかもダイヤモンドに永遠の価値があるような錯覚を引き起こさせて、大衆をダイヤモンドが絶対的価値のあるものだということを意図的に洗脳したという話は有名です。

また、バレンタインデーの日にはチョコレートを送るという文化も、どの会社かは忘れましたが、広告を打った企業が流行らせたという経緯もあります。

こうして、「文化」はメディアによって「宗教化」されていくのです。

もし、元旦は一人で孤独でさびしい思いをしている方がいらっしゃったら、本当に自分はさびしいのだろうかと、いったん正月を止めて観ることをおすすめします。

そうすれば、いままで自分のなかで培われてきた価値観というものが、いかに他人の情報に踊られていた結果としてついた「心の垢」だということがわかるでしょう。

そしてあなたはまたひとつ、言語の束縛から自由になり、自分の意思で生きることができる自我が備わったのです。

あなたは自由になった「信念」で「新年」を迎えることができるのです。

それでは、良いお年を。







心理学の用語に、有名な「エビングハウスの忘却曲線」という曲線がある。

人間の記憶についての実験結果をグラフで表したもので、人間の記憶とは、指数関数的に減少していく。

心理学のなかでは有名な用語だと思う。

しかし、その忘却曲線は嘘ではないかという考えが浮かんだので、論理は曖昧だけども、みなさんの参考にしていただきたい。

まず、研究内容。

ドイツの心理学者、エビングハウスの実験に使われた記憶の条件とは、

子音・母音・子音で構成された意味のない単語の羅列だ。

rit, pek, tas, ,,,などなど

つまり、整合性を維持している「意味のある単語」ではないのです。

エビングハウスが実験したことは、バラバラな状態の情報を記憶できる能力を測ったものです。

私達は、当たり前ですが、「言語」を使うことができます。

日常会話で約一万語くらい必要とされていますが、その単語を覚えようとするならば、「エビングハウスの実験結果」はあてにならないものになってしまいます。

マジカルナンバー7という専門用語もあるように、人間は7+-2のチャンクで物事を覚えることが得意なようです。

しかし、先程も上げたように、人間には大量に記憶できる能力があります。

何かを覚えるときは「チャンク」でまとまりを作ってから覚えるべきですね。
当たり前ですが、、、。


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