昨日は、一日ステに特別扱いしてもらって、大満足でした。



思ったのですが、私は誕生日パーティーを盛大にするより、

こうやって、ささやかでも、一日したいことができて、祝って

くれるほうが、嬉しいのだなということ。



それこそ、誕生日プレゼントは必要ないくらいです。

(ま、あるに越したことないですけど)




私の誕生日といえば、忘れもしません、小学4年生のとき。



その日、私は誕生日で、思いっきり期待して、「どんなプレゼントが

待ってるのかなー!」ってはりきって母に主張したところ・・・




「あ、そういえば、誕生日やったね。はい」



と、財布から1000円もらいました・・。



「1000円て・・!誕生日忘れてたんやろー!うわ~ん!」

床に突っ伏して泣きました。



あのときのショックは、今でも覚えてます。



しばらく思い出しては泣いてました。




その後は、プレゼントは、親からもらわなくなって、プレゼントと

言う名のお小遣いをもらったり、もらわなかったりでした。




というのも、高校生になると、誕生日は家にいるよりも、友達や

彼氏と過ごすようになったので、誕生日でさえも、親と顔を

あわせることもなかったりしたからです。





フランスに来て、いくつになっても、誕生日には、何かプレゼントを

渡していることに、驚きました。




私は、断然そちらのほうに賛成で、何ヶ月も前から、あの人には

このプレゼントを・・と考えるのも好きです。





でも、年々物欲がなくなっている私は、何が自分で欲しいかさえも

分からないくらいで、ステが前から、私のプレゼントがなかなか

見つからなくて・・と言ってくれるのも、申し訳ないけど、納得します。





ステ妹は、いつでも私に何をプレゼントするかというアイデアがあるようで、

私でさえも分からないのに、感心するほどです。





プレゼントというもの自体も、もちろんありがたいし嬉しいことですが、

そうやって、私のことを考えてくれるという気持ちが何よりも

私は嬉しいんだなと思いました。





そう思うと、きっとそうやって一年のうち一日だけでも、家族から特別扱いされる

ことに、昔から飢えていたのかなとも思いました。





今では、誕生日になるとメールで日本の家族からもおめでとうメールが

届きます。




目の前にしては言えないことも、メールでは素直に言えるのかもしれません。





この歳になって、やっといろんな家族の形、自分の過去、そして現在を

客観的に認められるようになった気がします。