この、赤いベゴニアは植えてもないのに、じいじとばあば、つまり私の両親の実家に植えていた、ユスラウメの美味しい甘い実を食べた後にタネを大阪まで持ち帰って、植木鉢に植えてみたら、三本だけ芽が出て、一本近所の植木好きな女性に分けて、後の2本を別々の植木鉢に植えたのだけど、その根元に勝手にタネが飛んで生えて来たベゴニアなんです。


不思議だけど、このユスラウメが好きだから、その側に居たくてベゴニアは生えて来たのかなぁと思うのです。


だから、同じ植木鉢に移植しました。


だから、後ろに生えている小さな木がユスラウメです。


この木は元々、小学校六年生の時に同じクラスにいたサルソンからもらったユスラウメの赤い実をを食べて、実家の玄関先にぷっぷっとタネを飛ばしておいたら、何と、勝手に伸びて来たのです。


六年生の時のタネが、花をつけたのは3年後。


ちょうど、花をつけたのが中学校最後の緊張の思い出、高校受験の朝でした。


薄いピンクの可愛い小さな花でした。


ヒラヒラと繊細で、梅より小さいかなと思える花でした。


母は私が高校受験に行くドキドキの朝に私に言いました。


「初めて咲いた花が、受験する日に重なるという事は、これは受験に受かるって事やね。よかったな」


などと、まだ試験にも行ってない私の合格を褒めていました。そんな、アホな笑い泣き


でも、ホントに私は思っていた、進学校に合格し💮


その春から高校一年生となりました♪


今考えたら、母はどっちに向いて行くかわからない、好きなことをやり通す私のことをいつもヒヤヒヤしながら見守ってくれていたのだと思います。


一昨年両親とも亡くなったので、もう会う事は出来ませんが、よくぶつかって喧嘩になり、私が、小説家になりたい、とか、役者になる、とか、何かを言い出す度に、しょっちゅう喧嘩になっていたなぁと懐かしく思い出されます。


だけど、大阪に出て行って、大学附属の看護学校を経て、看護師を始めて数年経ってから数年経ってからは、私のことを少し俯瞰して見てくれていた気がします。


大人になったのをきちんと認めてくれ出したのを感じました。


親子が交差する瞬間ってありますね。


これからは自分の望む様に自由に、あなたの翼で羽ばたいて行きなさい、と言う母の気持ちを受け取った気がします。


そして、今ではその母も、大好きだった、暖かく、短気な父も、遺影の写真の中でイェイ🎉


文字通り、動かない写真に閉じ込められてます。


そして、実家も昨年末には潰してしまったので、なくなりました。


今では、こうして、ユスラウメだけが実家から受け継いだ木として、我が家の玄関先に一本、庭にも一本、有り難く芽吹いてくれています。


コロナで両親の最後には会えないと言う、申し訳ないことでしたが、時々、彼らは霊になってから、私のところに遊びに来ます。


それが父の香りや母の気配でわかります。


今日は春だけど、雪❄️みたいですね。


なごり雪❄️


この曲をピアノで初めて弾き語りしたのも懐かしく覚えています。


彼の前で歌って見せたのも恥ずかしい思い出です🫣


実家がなくなってしまって、暖かい思い出だけはたくさん心の中に煌めいています。


幸せって、そんな素敵な過去が心の中に棲んでいることなんですねおねがい



じーじとばーばんちの思い出

 

 

 

 

 

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