子供の頃って、思いっきり昭和でした。


そして私は男顔なので、スーツを着たりすると、どう見ても男の子。


うーん、我ながらなんて可愛い男の子ラブ


ポーズも昭和っぽく決まってますチュー


赤ちゃんの時には



笑っているじゃああーりませんか👋🏻


しかも流石の母の手作りな毛糸のベビー服👶


あの頃はみんな妊娠中には母は編み物🧶していたのです。お腹の中の子供のことを思いながら、せっせと夜鍋をして赤ちゃんの服を編んでくれていたのです。


そして生まれたらここぞとばかりに着せてますてへぺろ


今はダメですねぇ👎私には出来ませんでした。不器用ですから(高倉健登場ラブ)

なつかしの写真


そしてややピンぼけですが、この頃大流行りのアトムが私の枕元で守ってくれてます。


心優しラララ科学の子〜


ご存知でしょうか?アトムの歌を🎤


そんな昭和な生まれの私です立ち上がる立ち上がる立ち上がる


しかし、私の母は美容師💇‍♀️


だからすぐに仕事復帰したので、私はお守さんに預けられてました。子守のおばさん👩‍🍼


それで母とは何だかしっくり行かなかった気がする。赤ちゃんの時に母とあまりいた記憶がなく、お守さんのウチで寝ていたのを覚えています。あのアトムのお部屋を。


母の職業はその頃をときめく美容師だったのだけど、仕事のせいで子供とはあまり遊べず、日曜日も居なくて、母は月曜日に休み。


だから子供たちは小学生になると、父親と一緒に、日曜日は釣りに連れて行かれてましたねぇ。


ハッキリ言って、それは父の趣味にいつも付き合っていたってことですねぇ。


釣りか、鳴門ボートレースに連れて行かれて、外れた舟券をパーッと空に投げてヒラヒラヒラ〜と紙吹雪にして遊んでました笑い泣き笑い泣き笑い泣き


無邪気でした。今考えると父はボート好きのせいで、しょっちゅう夫婦喧嘩していたらしく、3歳の頃に何故か急に3歳の私を連れて父はウチを出たのです。


父は嬉しそうに私に言いました。


「奈良のドリームランドに行こうか?」


私は何故か船で海を渡って船奈良のドリームランドに遊びに連れて行ってくれたのでした。


回転木馬に乗ったり馬馬馬、コーヒーカップに乗って調子に乗り過ぎてハンドルを回し過ぎたら目が回り過ぎて吐いたりゲロー、まぁいろんな遊園地の楽しみを堪能して、帰ろうと思っていたら、父は言いました。


「今日はうちに帰らずに泊まろうか?」


え〜ガーン


私は泣いて嫌がりました。そんなこと子供には青天の霹靂おーっ!


絶対嫌だと泣き喚きました。


今、考えたら父はボートレースで給料全てスってしまって、帰ると母から地獄の責苦にあわされるので帰りたくなかった訳です笑い泣き


しかし、子供が泣くから仕方なく、真夜中にウチに帰ってみたら鍵をかけられていました。


仕方なく、父は二階の窓の雨戸に石を投げて、母を起こし、ウチに入れてもらったのでした。


すぐに寝た私は罪のない可愛い顔だったに違いありません。


しかし、きっとその後、父と母は大喧嘩になり、或いは、上手く行って布団の中でしっぽりだったのかもしれませんが、子供にはわからない事です笑


そんな昭和な子供時代。


ギャンブル好きな父だったのに、すっかり年老いてからは忘れていて、私が競馬中継をテレビで見ていると父は涼しい顔をして私に言いました。


「競馬みたいなもん、やってるのか、しょうもない。勝つ訳ないわ、ギャンブルなんて」

 

私は父の様にお金の為に競馬していたのではなくて、その頃走っていた、ディープインパクトが可愛くて賢くて、もう堪らなく愛しかったからなのでした。


しかし、自分は毎日曜日ボートレース🚣‍♀️に行って、給料を全てそこに注ぎ込んでしまう様な体たらくを私の目の前で示していたのに、すっかりボケて、よくもまぁ、そんな事言えたもんだなぁ、と呆れてしまいました。


そんな父も今は草葉の陰から、もう、そう責めるなよ。と苦笑いしているに違いありません。

そんな👨の姿です。




 あっ、恥ずかしくて逆さになっちゃいました笑い泣き

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