デイケアの夏祭り行事ではなかなか楽しく演奏出来た。
だけど、時間が余ったので、私が懐メロの楽譜を見ながら、即興でいろいろと間違いながらもBGM弾代わりに弾いた。
いわゆる生演奏である。
十三夜
花街そだち
ラバウル小唄
悲しい酒
宵待草
などなど、たくさん手当たり次第に弾いた。
ちっとも生演奏の練習なんてしてなかったので、申し訳ないくらいに下手だった。
私のキーボードに乗って歌おうとした方が、乗って来た所で私がハタと間違えてしまうから、思わず止まってしまうくらいに下手だった。
やはりしばらく運指の練習が出来てないから、薬指と小指に力がないのだ
毎日の練習の積み重ねって大切だねぇ�
また意味は違うけど、夫婦間でもやはり毎日の積み重ねが大切だと思う。
元旦那の両親みたいな悲しい例を見た後では、夫婦だから愛し合っているのではなく、お互いに愛を欲していながらも素直に優しい言葉を掛け合う事が出来ずに、ボタンを掛け違ったまんま、最後まで傷つけ合う二人もいるのだと感じた昨今である。
私たちも確か初めの三年は凄く仲良くやって来た。
私たち二人がダメになったのは、元旦那が働かなくなって、私が反対したにも関わらず連帯保証人に勝手になって、私が第二子を仕事を続ける為に堕ろさなければならない事態になった時に、元旦那はさっさと自分の仕事に就いてくれなかったから、胎盤剥離兆候と言われた激しい痛みを我慢してキツい外来看護の仕事を続ける事が不可能になって、入院安静を望めないのなら危険だとドクターに言われ、とうとう第二子を諦めざるを得なかった所からである。
ここから、私たちは仲良くするのが難しくなった。
旦那さえ働いてくれていたら、私は入院加療して、第二子を産めた筈なのに、元旦那は働く意欲がなかった。
第二子を堕ろした後は私は長い間、鬱になった。
一人でいても桃太郎といても知らず知らず涙が零れた。
そんな母としての傷みを多分彼は理解していなかった。
桃太郎も胎盤剥離で死にかけたから、第二子にもその兆候があるとドクターに言われ、絶対安静を勧められたのに元旦那が働かないから私は入院加療出来なかった。
桃太郎の為に私は自分の命が危ないのに、危険な第二子の出産には賭けられなかった。
もしそれで自分が死んだら桃太郎が一人ぼっちになる。
一番したくない堕胎手術をする事になった。
だから私は元旦那を今でもどこかで憎んでいるのだと思う。
ボタンの掛け違いをどこかで彼が払拭してくれる出来事があるかと今まで期待して来たが、残念ながら今のところ、私が予期した様に悲しい方向に向かいつつある。
後は元旦那の気持ち一つに掛かっている。
だけど私としては、引っ越しを考えて荷物を捨てて行っている。
夫婦は本当はずっと仲良く、互いに思いやりながら、長く添い遂げるものだと思う。
私たちは夫婦を失格になったが、彼は私を愛していると思う。
仕事をしながら、いろんなお年寄りに出会って、夫婦って言うのは、どうのこうのと聴く度に、私は考えさせられる。
私が欲しかったのは安心して信用して一緒にいられる人間だったのだ。
絶対裏切らなくて、お互いに守ったり労ったり出来る暖かい仲のいつまでも恋人同士な間柄。
戦友みたいなものを例えば夫婦と呼ぶのではないだろうか�
私はいつも前線にいて、元旦那はいつも内地で遊んでいる。
そんなのは夫婦とは言わないのだと改めて思った。
今日は実は戦友と言う歌も私がランダムにキーボードで弾いた。
お年寄りはみんなこの曲を泣きながら歌うのだ。
だけど、時間が余ったので、私が懐メロの楽譜を見ながら、即興でいろいろと間違いながらもBGM弾代わりに弾いた。
いわゆる生演奏である。
十三夜
花街そだち
ラバウル小唄
悲しい酒
宵待草
などなど、たくさん手当たり次第に弾いた。
ちっとも生演奏の練習なんてしてなかったので、申し訳ないくらいに下手だった。
私のキーボードに乗って歌おうとした方が、乗って来た所で私がハタと間違えてしまうから、思わず止まってしまうくらいに下手だった。
やはりしばらく運指の練習が出来てないから、薬指と小指に力がないのだ
毎日の練習の積み重ねって大切だねぇ�
また意味は違うけど、夫婦間でもやはり毎日の積み重ねが大切だと思う。
元旦那の両親みたいな悲しい例を見た後では、夫婦だから愛し合っているのではなく、お互いに愛を欲していながらも素直に優しい言葉を掛け合う事が出来ずに、ボタンを掛け違ったまんま、最後まで傷つけ合う二人もいるのだと感じた昨今である。
私たちも確か初めの三年は凄く仲良くやって来た。
私たち二人がダメになったのは、元旦那が働かなくなって、私が反対したにも関わらず連帯保証人に勝手になって、私が第二子を仕事を続ける為に堕ろさなければならない事態になった時に、元旦那はさっさと自分の仕事に就いてくれなかったから、胎盤剥離兆候と言われた激しい痛みを我慢してキツい外来看護の仕事を続ける事が不可能になって、入院安静を望めないのなら危険だとドクターに言われ、とうとう第二子を諦めざるを得なかった所からである。
ここから、私たちは仲良くするのが難しくなった。
旦那さえ働いてくれていたら、私は入院加療して、第二子を産めた筈なのに、元旦那は働く意欲がなかった。
第二子を堕ろした後は私は長い間、鬱になった。
一人でいても桃太郎といても知らず知らず涙が零れた。
そんな母としての傷みを多分彼は理解していなかった。
桃太郎も胎盤剥離で死にかけたから、第二子にもその兆候があるとドクターに言われ、絶対安静を勧められたのに元旦那が働かないから私は入院加療出来なかった。
桃太郎の為に私は自分の命が危ないのに、危険な第二子の出産には賭けられなかった。
もしそれで自分が死んだら桃太郎が一人ぼっちになる。
一番したくない堕胎手術をする事になった。
だから私は元旦那を今でもどこかで憎んでいるのだと思う。
ボタンの掛け違いをどこかで彼が払拭してくれる出来事があるかと今まで期待して来たが、残念ながら今のところ、私が予期した様に悲しい方向に向かいつつある。
後は元旦那の気持ち一つに掛かっている。
だけど私としては、引っ越しを考えて荷物を捨てて行っている。
夫婦は本当はずっと仲良く、互いに思いやりながら、長く添い遂げるものだと思う。
私たちは夫婦を失格になったが、彼は私を愛していると思う。
仕事をしながら、いろんなお年寄りに出会って、夫婦って言うのは、どうのこうのと聴く度に、私は考えさせられる。
私が欲しかったのは安心して信用して一緒にいられる人間だったのだ。
絶対裏切らなくて、お互いに守ったり労ったり出来る暖かい仲のいつまでも恋人同士な間柄。
戦友みたいなものを例えば夫婦と呼ぶのではないだろうか�
私はいつも前線にいて、元旦那はいつも内地で遊んでいる。
そんなのは夫婦とは言わないのだと改めて思った。
今日は実は戦友と言う歌も私がランダムにキーボードで弾いた。
お年寄りはみんなこの曲を泣きながら歌うのだ。