今日はファミマのいちごフラッペを飲むと決めていた。




そのためだけに出勤した。






私はファミマのフラッペが、まあまあ好きだ。



330円と、若干高いように思えてくる程度の荒削りの氷を噛み砕いていくと、




途中、「お、これは330円でも納得」と思えるような美味しさがやってくる。




かと思えば喜びも束の間、あとはただの水と化す前に、ダイソンよろしくの吸引力で残りを吸い込むのがお約束の飲み方というものである。




いつしかファミマのフラッペは、なんでもないようなことが楽しかった大学4年間のなかで、じわじわと、私の夏の風物詩としてその存在を確固たるものにしてきた。






また別の記事にしたいと思うが、社会の荒波に打ちひしがれる日々の中で、ファミマの入り口に垂れ下がるいちごフラッペの広告は、一筋の光となって私のもとに降りてきた。




「環境が変わっても、俺はいるよ。」と言わんばかりのその広告から伝わる思いを受け止めるべく、私は地元のファミマの入り口をくぐった。




レジには、いかにもおじいちゃん、というような風貌の店長さんが立っていた。




私がレジにフラッペを置いたその瞬間、






「ちょっと硬いねえ……………」と一言を残し、店長さんはその場を立ち去ってしまった。




何が起こったのか、どうしたものかと立ちすくみ、隣にいた別の店員さんに目で助けを求めたが、なにも応えてはくれない。




春の終わりの風吹く夜の夢か、ということでむりやり納得した私は、気を取り直して店長さんを呼び戻そうとした。




すると、戻ってきた店長さんの手には、新しいフラッペがあった。




ちょうどいい硬さが美味しいフラッペの特性を理解している店長さんは、私に美味しいフラッペを飲ませられるよう、わざわざ商品を取り変えに行ってくれたのである。




美しい、と思った。





5日間みっちり世間の冷たい風を受け、かちこちになった私の心は、心地よくひんやりしていて少し柔らかいフラッペによって温められた。







やはり私は、ファミマのフラッペがけっこう好きだ。