まだ余震が続いていますね。
 
みなさん、大丈夫ですか?
 
大丈夫?と心配して連絡をくださった方。
ありがとう。わたしは大丈夫です。
 
安否を心配してメールを送らせていただいたみなさま。
無事が確認できて本当に安心しました。
 
 
 
 
3月11日。
 
あの地震が来たとき、わたしはボスとの所用をすまし職場の自室に戻ったところでした。
 
デスクに座ってPCを開いたところでした。
 
あ。めまい?また地震?
って思ったらガタンっ
 
ものすごい揺れが来ました。
 
私の職場は大平洋に面した海岸沿いにあります
 
急いでテレビをつけると、20分後に10mの津波が来るとの警報が!!!
 
外を見ると、近くの工業団地からまっ黒な煙りが立ち上がりあたりは一気に夕方のよう。
 
揺れがおさまるのを待って高台の中学校へ避難。
 
まさに、着の身着のまま。
 
 
到達予定時間から約1時間が建った頃、警報は解除されませんが、貴重品と上着を取りに、避難してきた道を帰ると、さっきまで平らだった道が隆起したり、陥没したり。。。
 
 
天災は忘れた頃にやってくると言いますが、私たちも、上司も、近くに避難していたおばあちゃんも、みんなみんな、初めての体験。
まさか、自分が!?
そんな顔をしていました。
 
まるで夢のよう。
感じる余震の揺れが、わずかに真実と教えてくれるようで…
 
津波の被害は港周辺だったようで、多くの車が水没し、コンテナが流されました。
 
家に帰ると正面の空が工場の火災で赤々と照らされていて、それがまた夢じゃないと教えてくれて…
 
 
余震に震えながら一夜をすごし、また、空を見ると黒い煙りが…
 
 
やっと今日になって薄い煙りにかわりました。
 
 
ライフラインは水が使えず、市役所や井戸水をもっているお宅にいただきに行っています。
 
職場の仲間からメールでオープンしているお店の情報が回ってきます。
 
後ろの家の奥さんと、地震の次の日に、変わりありませんか?と初めて言葉をかわしました。
 
人と人との繋がりを本当に有り難く感じています。
 
 
 
実家のほうが被災がひどく、電気も水も通りません。
 
橋が落ちるくらいなんで、私がいるところよりさらにひどかったんでしょう。
 
父も母も偶然外に出ていて助かりました。
 
家のなかにいたらば…
と考えると怖くなる実家の写真がこちら↓
ロコ☆ログ-DVC00983.JPG
 
昨日、今日、ごはんを炊いて届けていますが、ガソリンもなくなってきたので、30分ならんで給油してもらいました。
 
このガソリン、いつか給油できなくなる日が来るんでしょうか?
 
警報は解除されたので明日の仕事には各自、飲料水と昼食、それに女子職員はトイレ用に水を持ってくるように連絡網が回りました。
 
 
大きな津波を受けられ、ここよりもっともっと悲しく辛い思いをされている方もいる。
だから私に出来ることからがんばらないと!
って思うけど、やっぱり不安で仕方がないんです。
 
 
言葉には出せないから。
笑顔でがんばらないといけないから!
 
記憶はいつか色褪せるし、弱音も吐けないから、ここでちょっとぐちってみました。
 
 
気持ちのへこむ日はこれからもっと来るかもしれないけれど、がんばろう!!!
 
そして、被災されたすべての方に一日も早い日常が戻りますように。
強く願っています。
 
 
 
 
 
ロコ☆