私は長年アパートで一人暮らしをしていました。
自分一人で選んだアパートに住み、とても快適で楽しい一人暮らしをしていました。
でも2022年9月に子宮頸がんが分かり、アパートでの暮らしも長くは続かないかもしれないと思いました。
私の実家は田舎なので、車が必須です。
私も18歳の時に運転免許証を取りました。
今住んでいるアパートは駅が近いので移動は全て電車です。
何不自由なく暮らしていました。
放射線治療をしていた時は一人でも大丈夫でしたが、手術後とTC療法での治療中は実家に帰って静養する事になりました。
久しぶりの実家暮らしでしたが、お父さんやお母さんが私に不自由がないようにと色々な物を買ってくれたり用意してくれたりしました。
アパートに帰れるのは、TC療法の副作用が抜けた後から次の抗がん剤までの間でした。
お父さんはアパートを解約して実家に戻った方が良いと言ってくれましたが、私はアパートを解約する事がすごく嫌でした。
仕事復帰したい気持ちは変わってなく、TC療法から維持療法になれば働けると信じていました。
でも、TC療法は最初だけ効いてすぐに効かなくなりました。
それでも私は仕事復帰を諦める事はなく、いつでも復帰出来るようにアパートはそのままにしていたいと思っていました。
アパートがなくなれば、私の社会的な居場所もなくなってしまうと思いました。
実家にいれば何でもしてくれるので食事や掃除洗濯の心配は一切いりません。
こんなに良い場所はないと自分でも思います。
でも、私の居場所は実家ではないとも思っていました。
そして今年、アパートの更新となりました。
4月中旬までで賃貸借契約が終わります。
とても悩みました。
もし更新したとしてもアパートにいる日はほとんどなく、勿体ないよなと思いました。
でもアパートは社会復帰の為の居場所だと思っていたので、それを失う事も悔しいと思いました。
だけど復帰出来る目処はなく、いつまでもしがみついていたって仕方ないと思いました。
復帰出来る目処が立ったらまたアパートを契約すれば良いんだと思いました。
こう思えるまで9ヶ月かかりました。
お父さんからは、アパート代が勿体ないから解約した方がいい、アパートなんてまたいつでも借りられるんだからと何度も言われていました。
本当にその通りだと私も分かっていました。
でもお父さんからある日こんな話をされました。
お父さん「お父さんが事業を失敗した時、事務所を完全に閉鎖する事が出来なかった。それは、夢を諦めきれず再起を目指して頑張りたかったからなんだ。それでお父さん、末っ子がアパートを解約したくないという気持ちがようやく分かったんだ。きっとお父さんが事務所を置いている理由と同じなんだろうと思ったんだ。末っ子からしたらアパートがあればいつだって会社に戻れるって気持ちがあって、その気持ちで今までの治療を頑張れたんじゃないかって思うんだ」
お父さんは頑固な人なので、なかなか人の意見を聞くタイプではありません。
そのお父さんが、今の私の気持ちを分かろうとしていると思っただけで、ありがとうお父さんと思いました。
今私が向き合わなくてはならないものは、仕事ではなく病気です。
仕事が生き甲斐で仕事がとても大好きだったけれど、あの時の私は今はいません。
あの時に戻るのではなく、新しく生まれ変わった私でまた頑張ればいいと思いました。
そして私はアパートの解約手続きをしました。
これでいい。これで良かったんだ。
今はそう思います。
これから抗がん剤を頑張って、また腫瘍が落ち着いてくれる事を願うばかりです。
この先どうなるかは分かりません。
でも、明るい未来がきっと待ってると信じています。
その為には、今の自分が大切です。
今の自分が決めたことが、結果的にこの先の将来に繋がります。
仕事を諦めた訳ではないです。
仕事をする為に、新しい目標を立てる事が出来たと思っています。
何かを得るために何かを失う事もあると思います。
全て自分の思い通りにはいきません。
どこかで妥協したり手放したりする必要が出てきます。
でもそれは、未来の自分に必要な過程だったといつか思える日が来るはずです。
大好きなアパート。
自分だけの居場所。
こっそり泣いたり笑ったり。
友達とワイワイ過ごしたり。
自分だけの大切なスペース。
長い間、本当にありがとうございました。
すごく楽しかったです。
またアパートを借りられるくらい元気になって、自分だけの居場所を作ろうと思います。