それでね24日なんだけど
24日は朝起きて、雨の中、1号線を走って堺の仁徳天皇陵に走って、そこの堺市歴史博物館にいったんです。昼過ぎかな。
そこで古墳の副葬物とか見たかったんで。で、青銅器・金属器はそんなに出てないみたい。でも鉄製の鎧とかは発見されてて、
あとは須恵器の展示が多い。やっぱ焼き物なんですね。
堺の人々の祖先は宇佐・宗像からきた人々だと僕は思ってて、金属器・馬具に特徴ある人々(要するに渡来してきた人々)だと
思うんですね。
でっかい墓どんどん作って、ちょっと日本人離れしてるし。この辺の古墳はだいたい5世紀。奈良の箸墓が3世紀の半ばで、大化の改新といわれ、この堺の人々と密接と思われる葛城・蘇我氏が衰退するのが7世紀半ば。
堺に古墳を作った人々がまさに日本の歴史の黎明期の主人公だね。
で、そのあと東へ車で1時間ほど走って応神天皇陵を見学。高速に乗って大阪市内で大阪歴史博物館へ。
ここはおすすめ。きれいでおもしろいよ。デートの人も使えるというか、ここで相手の様子みてたら好奇心のある人かただの
馬鹿かわかるんじゃない。なんちゃって。
難波宮、不思議ですね。つぶしては建て、つぶしては建て。最初の倉庫群が建設されたのは5世紀で、まさに堺の古墳が築かれた時期に重なるみたい。すごく大きな倉庫群らいしいんだけど。そりょそうだ。あれだけでかい古墳つくるのに金は相当いっただろうし。
でもね。ほとんどかからなかったという研究者の方もいるよ。全国に知れ渡る大工事。全国から人々が集まって、そこで暮らすから町は大賑わい。にぎわった町から税金いっぱいとって、古墳作りは「うはうは」だったんじゃないかっていうんだ。
僕には真偽はわからないけど。
とにかく難波に倉庫を作った人々はそこに港をつくって全国と物資のやり取りをしてた。九州・瀬戸内海、そしてそこは淀川を経由して滋賀・福井方面への窓口でもあったっていうんだ。すごいね。大阪人は商売人ていうけど、実はこの時代のほうがもっとすごく合理的な政治運営・経済運営をしてたような気がする。
歴史博物館は江戸時代の大阪の町並みとかが再現されてておもしろいんです。僕が興味あるのは3世紀から7世紀の日本なんで、ちょっと時代は違うんだけど。日本は朝鮮から来た○皇家が設立した国家。こりゃ大変だ。
酒ばっかり飲んでるわけですが
23日(土)からブログ書いてませんでした。
そういえば23日の昼から車で京都に出かけて、
風邪薬飲んだら眠たくなって、コンビニの駐車場で
仮眠して起きたら朝になってたんでした。
京都って不思議じゃありません?
奈良に都がおかれた経緯はある程度わかります。
3世紀からずーと日本の中心ですから。
なんで突然、京都に都移ったんでしょう。
というかいったん、長岡京を経由したり、難波の宮
を経由したり、近江にいったりしてるけど。
なんで京都なんでしょう。
しかも奈良の地名と京都の地名じゃ、全然違いますよね。
奈良の政治勢力は九州だったり、吉備だったり、するんだけど、
京都の政治勢力ってのは滋賀・福井方面で、出雲とも仲の
いい人々で海を越えて半島とも仲のいい人々。
奈良と京都じゃ全然違うんです。ほんと。
で、京都にでてきた人たちと奈良から東へ行った人たちは
愛知あたりで合流してて、東へ行くとあとはどっち系なのか
わからない。
あなたは奈良系?それとも滋賀・京都系?