待っていてくれた方はいたでしょうか?笑
今日は歌の成り立ち第6話。
旅も終え、年が明けた頃のお話。
TERRAとやまんchangの在籍バンド「THETA(シータ)」は
大井町でストリートライブを始めることになる。
春頃にラジオ局の音楽番組のテーマソングをかけたコンテストで
グランプリをとった。
ある日社長から『つんく♂に会いに行って来い』と言われ、
指定された日にメンバーみんなで会いに行った。
話の内容を聞かされていないメンバーは突然のことで訳も分からず。
「売れたいの?」と聞かれた。
『Tear』の歌詞を見ながら「なんで女性言葉で書かれてるの?」とも聞かれた。
「君はこのまま言ったら1000曲書けない」と言われた。
当時のTERRAの作詞作曲は経験の切り売りが特徴だったから。
夏になりアルバム制作の話が持ち上がった。
この時のアルバムが『ラッキー』というアルバムである。
(※ジャケットはいわくつきのため掲載できません)
書き溜めていた曲を10曲程度提出。
ディレクターから「プロデューサーが全曲歌詞変えてって言ってたよ」と言われ、
まだ見ぬプロデューサーの意見にショックを隠せなかった。
ディレクターから参考歌詞と方向性やテーマが届き、
我が強いTERRAが新たな壁に挑戦することとなった。
歌詞の全書き換えを行いながら途中で尋ねた。
「プロデューサーって誰なんですか?」
ディレクターは答えた。
「つんく♂さんだよ」と。あれ?知らなかったの?笑という雰囲気で。
歌詞制作は続き、3ヶ月かかった。
その間、何ども何ども修正を重ねた。10回以上も書き直した歌もある。
歌詞が完成するころ、アレンジャーから上がってきた楽曲デモが届いた。
バンドメンバーはそれに向かってひたすら練習した。
THETAの楽曲にはアレンジャーさんが手がけた曲も数曲存在する。
レコーディングは冬に入ってから。
ディレクターが紹介してくれたスタジオでデモレコーディング。
(小室哲哉さんが当時所有していた)
ご縁があり、その後TM NETWORKの木根さんのアコースティックギターをやまんchangが借りた。
デモレコーディングを繰り返し、レコーディング本番。
そして完成した。2006年になっていた。
事件勃発。
発売中止。
既に刷られていたプロモーション盤1000枚が手元に残った。
メンバー全員で話し合い、1000枚を全力で売ることにした。
ジャケットと歌詞を揃え、生写真を4パターン用意して手売り。
全曲CMタイアップがついた。
6月ついに発売開始。
東京と仙台を往復しての生活の始まりだった。
※詳しく話を聞きたい方は直接聞きに来てください。
※アルバム『ラッキー』は若干いわくつきとなっておりますが、要望がありましたらご用意できるかもしれません。
※聞きたい時代とメンバーのことがあればお知らせください。
いよいよ次は『混迷社会の歌』編。