社会の底辺を行く日記

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やっちまった 俺は男だ

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先日、祖母の1周忌があったんだが、家族の連絡ミスで不参加


「あれ?言ってなかったっけ?」


聞いてねーよ


どうしても都合つかず嫁と子供だけ参加


当日俺風邪ひいた


どっちにしても行けなかったって事で


祖母は98歳の大往生だった。数えで99歳


葬儀の時、葬儀屋が早いけど誕生日と、数え100歳の祝いを用意


何とも親切な事


痴呆が入ってから10年以上、施設にいた訳なんだが、本当に長生き出来た


小さい時はお婆ちゃんってなついてたんだが、反抗期以降はほぼフル無視


お菓子とかよくくれたけど、お礼もちゃんと言った記憶がない。ろくでもない孫だな


施設に入ってから年に何度かお見舞いに行ったりしたが、それも親に言われたから


ホント、最低の孫です


でも、可愛がって貰ってた


小さな頃、地元の祭りで祖母に買って貰った小さなバスのおもちゃ


どこにいったか、いつ失くしたかも意識すらしてなかった物を大事に持っていた


「これ、覚えてるかい?」


あ…覚えてる。懐かしい。凄い嬉しかった事。思い出した。


でも「覚えてる」と素っ気なく一声だけ返しただけ



それが祖母との痴呆が入る前に交わした最後の言葉



後はどんなに声をかけても「どちら様ですか?」



元々身内に内面を見せるのが嫌なので、らしいと言えばらしいのだが、思えば少し寂しく感じた



亡くなる前も、看護師さんに強引に勧められ、一度だけ手を取った。温かかった。小さな頃、いつも感じたこの温かさ、全く覚えてなかった



でも、不思議と嬉しかった。認識すらされてないだろうが、それが小さな頃以来感じた祖母の温もりであり、最後の温もりだった



凄いわ。100年近く生きるって事は。戦争を生き抜き、決して裕福でない、困窮した時代の中、子を育てた事って想像がつかない



普通に生きる事も大変だが、動乱の時代を生き抜いた事は、想像を絶するだろう



そんな祖母がよく言ってた言葉がある



「負けるが勝ち」「ありがとうございます」



争う事を嫌い、日々に、人々に感謝しつづけた祖母らしい言葉だ



もっと優しくしてあげればなんて後悔はない。ただ、痴呆が入る前に、小さな頃買って貰ったバスのおもちゃのお礼ぐらい言えたら良かったのに。と思う



母方の祖父が亡くなった時は凄まじく後悔した。それがあったからなのか、あまり後悔はない



ただただ、ありがとう。それだけです。



また、会いましょう