オメデトウ 迂闊に言えぬ 誕生日
…三十代も後半になりますゆえ。

先日幼友達二人とご飯を食べに行った後の会話なんですけど。

友達の一人が言う。
「もうすぐ37歳になるの。」
あたしは(知ってるよ同い年だからね)と思いつつ
「あ~そうか、もう(今年も)そんなん(9月)か~。(月日が過ぎるのも)早いねぇ。」と言った。
こういう()の中身をはしょる話し方をする癖がある。後から考えるとよくなかったかも?というのも
この後友達が「37歳ってなんか嫌だ。」というような風に続けたからだ。

「え。なんで37。あたし35歳は節目という感じがしたけど。」
「36はなんとなくさらっと過ぎたけど、37はなんか嫌。」
「へぇ~…」感じ方って人それぞれなんですねぇ。
んーでも、それを言うならあたしの場合「35過ぎたらもう40の気分でいたけどねぇ、あたし。」と言ったら
「ええ~???」と二人にちょっと反抗された。乙女心?

ところであたしにとって誕生日とはお正月である。
ま、1月生まれのせいもあるけれど、やっぱり自分にとっての新しい年が始まる日と考えているので
今年の抱負は~といろいろ決心しつつ、小さなお願い事をいくつか心に願い
人におめでとうを強要する、というのがあたしの誕生日。
年をとる、という感覚はない、というよりも年は毎日とっていると思っているのであまり意識しない。
それに年齢って人の、いくつもある目印のひとっつですよね。

なので
「別に誕生日にどっと老けるわけじゃなし、そんな心配しなくたって
(毎日毎日あたしたちの体の細胞は確実に老化していってるんだから)年なんてただの数字だよ。」
と言ったら(この場合、()内は省くことに意義がありますね。)
「そうだよね!」と嬉しそうに同意してくれた。
ふむ。

その後もう一人の友達が
「でも○○ちゃん若く見られるでしょ?」とか言って話はそっち方面に。
途中は忘れたけどなんだかなんだの後で最初の友達が「あたしは少しは若く見られたい。」と言う。
それを聞いてまた「へぇ~…」となるあたし。
ほんなら答え出てんじゃん!若く見られさえすれば年なんてどうでもいいんじゃん!
もしかして若く見られるかどうかの基準に実年齢が必要?まさかね。
「あたしは年相応に見られたいと思う。」と一応主張しておいて、と。
ま、あまり老けてみられるのも嫌なもんだけどね。
そのへんも感じ方の違いなのねぇ。

でも年を言った場合、「ああ、年相応ですね」とか「老けてますね」って言われたことがない。
年齢を聞かれるというのは大抵相手がサービス業か会って間もない人なことが多いわけで
たいていの場合「え~?!見えない~!」、「若い~!」と言われますよね。日本は建前社会です。
(この「見えない~」「若い~」と言われるのにはもうとっくにうんざりしている。
気を遣われる年齢になってしばらく経つせいもあるのだろうけど。)
ならば何を尺度に若く「見られた」と判断するんだろう不思議。
あたしは「(年相応に)見えない」もしくは「若い」と言われるくらいなら
「伊達に年くってないね~」と言われる方が100万倍も嬉しい、んだがのぅ。

こないだ服を見ていて「うーむさすがにこれは36歳ではやばいかしらん?」という色の服を迷ってつい
「この色あんまり着たことないんだけど、あたしには大丈夫ですかね?」と若い店員さんに聞いてしまった。
「ええ~~??!!お客様なら、ぜんっぜん大丈夫ですよぅ。まだまだいけますよぉ。」と言われて腰がくだけた。
過剰反応すぎる…すぎるんです…普通にさらっと「お似合いですよ。」と言えないものか。
別にあたしぜんっぜんだめでとっくにいけてないと思うけどこの色大丈夫?とまでは聞いてませんから…

もちろん「年相応に見えない」「若い」が誉め言葉になる人はいるだろうけど
そういうことはそういう人に言ってくれ。
マニュアルじゃあないんだから(もしかしてマニュアルなの?!)自分の言葉で考えて喋って接客して、お願い。

「日本にはマチュアな人のための文化がない」と、誰かが書いているのを大分前に読んで
確かに…と思ったのを年を追うごとに更に確認させられるのは、ちょっときつい。
だってちょうどよい誉め言葉さえないんだもの。