ショコラ / CHOCOLAT

2000年作品

監督:ラッセ・ハルストレム
原作:ジョーン・ハリス
キャスト:ジュリエット・ビノシュ、ヴィクトワール・ティヴィソル、ジュディ・ディンチ、レナ・オリン、ジョニー・デップ

昔々、あるところに…ではじまるおとぎ話に夢中になった子供の頃。
ラストの「そして、いつまでも幸せに暮らしました」という言葉に安心して眠りについた。
そんな頃を思い出させる映画。

昔々、フランスの小さな村の人々は敬虔なカトリックで、戒律と伝統を守り静かに暮らしていた。
冬のある日、そのランスクネ村に赤いマントを着た母娘連れ、ヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)と
アヌーク(ヴィクトワール・ティヴィソル)がやってくる。
二人は教会の近くの閉店したお菓子屋を借りて住み始め、やがてショコラトリーを開店する。
季節はイースターの前の四旬節、断食の季節だった。

オープニングを観てあら、メリー・ポピンズみたいなんて思ったのを覚えている。
たいていのおとぎ話は良しにつけ悪しきにつけ、魔女が魔法を使うってきまってる。
この映画では魔女はヴィアンヌ。彼女はチョコレートという魔法を使って村人の心を開き、とりこにする。
しかしこの魔法とは、古の薬としてのチョコレートの力である。

ランスクネ村の人たちは厳格で伝統を重んじるレノ伯爵(アルフレッド・モリーナ)を長として
戒律を守り、勤勉に過ごしている。そんな村人たちはなんだか強ばっている。
排他的で禁欲的でモラルを重視し、はずれた事があればまるでなかったことのように黙殺する。
そんな空気を一気に溶かしてしまうもの、それがヴィアンヌの魔法、チョコレートである。

村の伝統を退け自由に振る舞うヴィアンヌを最初、村人は敬遠するけれど好奇心には勝てず
好みを言い当てられるまま彼女のチョコレートを口にする。
チョコレートの魔法はたちまち村人の心と体を溶かし見えないものが見えるようになる。
仕事の後、酒をかっくらっていねむりばかりの夫に不満が募る妻。
夫セルジュ(ピーター・ストーメア)の暴力と村人からの偏見で心を閉じてしまっていた
ジョゼフィーヌ(レナ・オリン)。
永遠に夫の喪に服すかのようなオデル夫人(レスリー・キャロン)と
彼女に想いをよせるギヨーム(ジョン・ウッド)と彼の愛犬のシャルロ。
ショコラトリーの大家で快楽主義者であり、ヴィアンヌの味方であるアルマンド(ジュディ・ディンチ)と
絶縁状態にある厳格な娘カロリーヌ(キャリー・アン・モス)の確執。

村人達の変化は目に見えて愉しい。
着ている服は色とりどりに華やかに、笑顔がこぼれおち、笑い声が絶えない。
一方いつまでもヴィアンヌを受け入れられないレノ伯爵だけは眉間に皺が深ーく刻まれていく。
絶食なんかするからだよーという突っ込みはさておき
ヴィアンヌに対抗するために教会を盾にして戦おうとするレノ伯爵は滑稽で哀しい。

ところでヴィアンヌは魔女ではない。ただのひとりの女、そして母親である。
劇中ヴィアンヌの旅のはじまりが明かされるシーンがある。
母の、そのまたずっと母からずっと続く古の薬カカオを処方して回る旅の暮らし。
ランスクネ村の人々とはまるで対照的だがここにも伝統に縛られる姿がある。
やがて自分が村人の心を溶かしたように、村人達に心を溶かされるまで。

「どのくらいここにいるかって、パントゥーフルが聞きたがってるわ。」
アヌークは旅の暮らしを嫌がる。友達ができたと思ってもすぐそこを離れなくてはならない。
カンガルーのパントゥーフルはそんなアヌークの唯一の味方、そしてエクスキューズである。
ヴィアンヌは娘の気持ちが痛いほどよくわかる。かつての自分がそうであったから。

ヴィアンヌはレノ伯爵や村人の拒絶に傷つき、時に苛立って癇癪を起こしそして悲しむ。
彼女は時にアルマンドに、またジプシー達のリーダーのルー(ジョニー・デップ)を前に心を打ち明け涙を流す。
まるで人間的である。
そこが魅力的である。

ラスト近く、長かった四旬節の終わりを告げるイースターでのアンリ神父(ヒュー・オコナー)のお説教は
また長かったこの村の伝統という呪縛の終わりを告げるお説教でもある。
つたないけれど、こころに響く。

エンディング、村の広場にあるレノ1世の像には風船がくくりつけられている。
笑って見えるのはきっと気のせいじゃない。