幸田文の箪笥の引き出し
青木玉

父・こんなこと
雀の手帖

流れる
おとうと
きもの
幸田文

すべて新潮文庫

夏にゆかたを縫ってから、きものに興味がわいた。
それから木綿の、普段着のものでしかないけれど自分で縫ったり着たりしている。
そうなると"きもの"という言葉に敏感になって本屋さんでもやたらと目につくようになる。
そんな時に出会ったのが「きもの」。

ぱらぱらと最初の何ページかを立ち読みして、すぐにるつちゃんが好きになった。
昔当たり前だったきものの生活というものにふむふむと感心しつつ、おばあさんの話に聞き入る。
読んでいるとるつちゃんの隣に居て一緒に聞いている気持ちになる。
まるで衣擦れの音が聞こえてきそうなきものの描写は布好きのわたしにはたまらなく心地よく
あああ触ってみたい着てみたい…幸田さんの表現はどの本でも音がリアルだ。
「すっぺりとしたきもの」なんてぜひとも着てみたい。
ついでにいうとメリンス(毛織物)の描写なんてリアルすぎてウールアレルギーなわたしには
読んでいるだけで痒くなってあかいぶつぶつが出そうな気分になる。

「きもの」は未完とされているが是非続きが、るつちゃんのそれからが読みたかった。

「きもの」に限らず小説の主人公の思いは幸田さん自身と重なるところがあるよう思えるのは
主人公の設定がというところに限らず、エッセイの中ので語られる幸田さん自身の感じたことが
小説のいろいろなところにリンクしていたりすることの方が大きい。

「父・こんなこと」でも書かれている父・幸田露伴との生活は短いTVドラマで見たことがあった。
が実際幸田文の文章で読むとそれはもっと厳しくせつなく柔らかく胸につっかかる。
自分も子であるので親というものに対する感慨は深い。(年も年だもので。)
そして「幸田文の箪笥の引き出し」は娘・青木玉によって書かれた母・幸田文のこと。
娘として母として書かれたものの後で娘から見た母の姿はまた別の面が見えておもしろい。
そして生前愛したきもののエピソードと一緒に写真が見られるのが嬉しい。

幸田文も青木玉も「親の話を」と請われた形で文章を書いたのかと思っていたけれど
読んでみると江戸言葉なのかな?しゃきっとした文章ででも情緒があってとても素敵な文を書く。
(青木さんのはもっと優しげで控えめな感じだけれども日本語が美しい。)
やはり才能溢れる方達なのだなぁと思う。

ところで新潮文庫が好きだ。
切りそろえられてない上端。濃い茶のリボンの栞。わりと薄い生成り色のつるつる紙に小さい字。
そんでちょっと重たいんだよね。本、という感じ。
幸田文の文章は新潮文庫に似合ってる。